も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

12月22日 テスト投稿

2020-12-22 14:41:37 | 歴史
旧ブログで投稿できないか色々試みている。
今までは投稿できずに新アドレス https;//blog.goo.ne.jp/mousan8955 に移った。でもまだ諦めずに旧ブログでの投稿を試みている。

12月3日 色々と忙がしい

2020-12-03 15:37:44 | 日記
先ずは朝一番に下駄箱の移動をする。
この玄関スペースで冬の間カブの全塗装を含めた整備をやろうと思っている。
色は黄色にする予定で、イエローキャブならぬ、イエローカブにする。
きっと可愛いイエローカブになるだろう。
その為には整備する場所が必要になる。
下駄箱を移動しなくてはスペースの確保が出ない。

工作室を整理しそちらに移動した。
スペースが空いたので、太い木を3本並べ上にコンパネを敷いて見た。




上がってみてもしっかりしているので、カブが乗っても大丈夫だろう。

見通しが付いたので、物探しに行く。
ベテラン旅人がホットサンドメーカーを使って、主に朝食を作っている。
ホットサンドメーカーと言えば、重いと言うイメージがある。
所が軽いし、安いし、フッ素樹脂加工なので、焦げ付かない。
8枚入れの食パンが有れば、後は野菜など何を入れても良い。
余った食材も有効に使える。
先ずはホームセンターホーマックに行く。
1つも置いて無かった。
次にイエローグローブに行く。
特売で安いのは有ったが、2個同時に作るタイプだった。
これは無いかも知れないなと思いながら、ふと浮かんだのがイオンだった。
台所用品売り場には一人用の、調理器具が色々な種類置かれていた。
イオンに向かう。
以前とレイアウトが変わっていた。
少し離れた所に有った。
キャプテンスタッグの物で、660gと重いし3000円越えだ。
今一だ。
更に探したら別なのがあった。
軽~い!!
値段も2000円だ。
フッ素樹脂加工もしている。
柄の部分も短くてコンパクトだ。
二つに合わせて使用するが、合わせるのに難しいらしい。
これは簡単に合わせられる。
これだとなり購入。
家に帰って重さを量ったら350gだった。
キャンプ料理や家での料理のバリエーションを増やそう。


午後から薪の補充をする。
気温3度だが作業をすると暖かい、アンダー1枚とウインドブレーカーで十分だ。

天井まで一杯になった。

今日はこれで仕事は終わり。
























12月2日 山陰の旅を振り返って No.5 出石城跡に行く

2020-12-02 07:42:23 | 歴史
昨日キャンプ場に来た時は、空いていたキャンプ場だが、夜までに多くのキャンパーが入り、良い場所は超過状態だった。
人気の無料キャンプ場なので、混雑が予想されていた。
それを見込んで金曜日の早い時間に来ていたので良い場所が取れた。
下の様に少しの空き場所を見つけてテントを張る人もいる。
荷物の運搬や炊事場とトイレは遠いが、静かで自分達の空間が出来るのも良い。

自分のテントの直ぐ下にテントを張った人もいた。
ここの場所は古墳群があちこちにあるので、斜面の中にも平坦な小さいスペースがある。
このテントの下も古墳であろう。
テントを張ったままにして、出石城跡を見に行く。
小さな町だと思っていたら、城下町は結構な広さがあった。
出石城は江戸末期、仙石氏の居住だったが、明治になって廃城令で城は取り壊された。
振鼓楼、石垣、堀は残った。
隅櫓、登城門、登城橋が復元されている。
兎に角凄い人出であった。
コロナ騒ぎが全く感じられない。
一通り城を見て回るが、城は再建された小さな城でそれほどの興味は湧かなかった。






おどろいたのはこの城下町に蕎麦屋の多いことだった。
出石蕎麦の店が50軒もある。
出石蕎麦は城主仙石氏と共に信州から来た蕎麦職人が在来の技術に、自分達の技術を加えて完成させた。
出石焼の小皿に載せて出てくる。
5一人前で、その後は好きな数の皿を注文できる。
店が多く何処の蕎麦屋に入れば良いのか迷ってしまう。
面白そうな蕎麦屋があった。
白黒の2種類の蕎麦を出している輝山だった。


蕎麦を食べて無くなれば、直ぐに係りの人が来て、追加は如何ですかとやってくる。
2枚追加注文した。

画像が無いので店のホームページから流用しました。
ここでのチャンピオンは56皿だった私は6皿だ。
蕎麦も堪能し、古い町並みも歩いた。


帰りに食料を買ってキャンプ場に戻る。

キャンプ場は更に人が増えていた。
薪ストーブを持ち込んでいるキャンパーがいた。
テストをするのに持ってきたそうだ。


高そうだな。
私には無理だ。

今日の日記
先ずはウオッシユレットの改善。
時々ウオッシュレットに繋がっている部分から僅かな水漏れがすることがある。
それも常時漏れているわけでなく、ホースが動いたときに、漏れるときもある。
ホースの接続部はフローテイングになっている。
いわゆるホースがどの位置に行っても捻れない。
漏れるヶ所は見えにくいし、常時漏れているわけでないので原因を特定できない。
接着剤で固め様とも思ったが、水圧が掛かると水は漏れやすい。
そこで安易に考えたのが、ホースの途中に蛇口を設けて、ウオッシュレットを使うときは開き、使わない時は閉める事にした。

回転ノブの開け閉めは面倒なので、レバーに変えた。

これならワン操作で開け閉めが出来る。
早速取り付けた。

少しは不便だが仕方がない。

居間の上部は開口になっていた。
それを仮に塞いで見た。
暖房効果はかなり高かった。

これを外してOSBボードに変える。

先ずはOSBボードを取り付ける枠を付けてペイントした。
乾いたところで、OSBを取り付けた。
これで暖房効率が一気に上がるであろう。


昨日スーパーに行ったら野菜が凄く安くなっていた。
キャベツが98円だった。
他にも茄子やニンジン、玉ねぎも安かった。
沢山買ってきた。
そう言えば野菜を置場所が無い。
何時も適当に置いていた。
この際、収納庫を作ろう。
廃材で簡単に作った。

今日の仕事はこれでお仕舞い。
夕食は久しぶりに鶏の唐揚げ。
いい色に仕上がった。


良い色に出来上がった。























12月1日 山陰の旅を振り返ってNo.4 農匠の郷やくの~大師山自然公園キャンプ場に移動

2020-12-01 05:51:05 | 歴史
道の駅の裏にある東屋にテントを張ったが、夜中になって寒くなり、慌てて衣類を出して追加で着た。
それからは朝の4時半まで寝られた。
霧が出れば人気の竹田城跡に行く予定だったが、天気が良いので、霧の中に浮かぶ城が見られないので中止にした。

竹田城跡展望台までの登りが厳しいと言うのも、行こうと言う気持ちが動かなかった。
小排気のカブに荷物満載での登りはかなり厳しいのだ。
テントを畳み駐車場にバイクを移動したら、車中泊で来ていたご夫婦の奥さんに話しかけられる。
今日は旦那さんと二人で車で来ているが、旦那さんはカブで旅するのが夢だと言っていた。
自分と同じ思いの人が居るんだなと思う。
トイレから帰ってきた旦那さんと暫くバイクの話で盛り上がる。
きっといつかカブ旅に出ることだろう。
昨日温泉の主人に聞いた近くにある小倉の玄武岩を見に行く。
映画のロケ地にもなった場所のようだ
30万年から40万年前に出来た京都府唯一の火山、宝山(田倉山)の噴火で流出した溶岩が冷えて固まる際に出来た1辺40から50cmの六角径の柱状節理はその独特の美しさを表現している。
夜はライトアップされているようだ。



この後、イオンで買い物をして36km離れた大師山公園キャンプ場へ向かう。
Googlemapの案内通りに行って、キャンプ場も近づいた場所に来た。道は突然、細い急な坂道に入った。
対向車が来たら車同士は交わせないくらい狭い。
最後はローギアにまで入った。
道はうねうねと曲がって登っていく。
マップだと後、450mの所まで来た
すると舗装路が突然獣道になり先に続いている。
どうしたら良いんだ。
自転車なら迷いもなく押して突破しただろうが、バイクは重いので押していけるのか?
迷ったが安全策を取って戻ることにした。
ブレーキは掛けっぱなしでギアもセカンドに入れて、何とか下まで戻った。
少しうろうろしていたら、道に3人のお婆ちゃんが話をしていた
「この近く山の上にキャンプ場がある筈ですが知りませんか?」と聞いた。
お婆ちゃんの一人が「あん日本人じや無いね。東南アジアの人なの?」と聞く。
函館訛りはあるが、東南アジア人と呼ばれたのは初めてだ。
話している内に話も通じる様になり、キャンプ場の事を聞いたら、反対側にも道があると言う。
行ったら入口には立派な看板もあった。
指示通り進んでいく。
山に向かって行く道に入った。
あれ~ゲートがあり閉まっている。

一瞬キャンプ場はやってないんだと思った。
しかし良く見ると、この柵はクマが町に降りない様に設置したものであることが分かった。
鍵は掛かって居なかった。
片側を開けて通過した。
クマが町に降りられ無いと言う事はキャンプをしているエリアの方に熊が居ると言う事だ。
危ない危ない。
細い道を随分登ってキャンプ場の上部に着いた。
本来のキャンプ場は下の広い芝生のようだが、何も指示がない。
トイレや炊事場が近い方が良い。
早速テントを張った。


静かな場所なので安眠出来そうだ。
今日は6台の車と自転車が1台。
それに私のバイク。
自転車は更に上まで押して登っていった。
後から行ってみたら上にも炊事場があった。
その辺り一帯は桜の木がかなりの本数あった。
桜のシーズンは混みあいそうだ。
でもここの桜の木は肌が病気なのか、あの独特の艶のある木肌では無かった。



今日の日記
今日は居間の上部を塞ぐ作業をする予定だった。
しかし北斗市の某さんの奥さんから、DVDが再生できないし、録画も出来ないと言う。
行く事になった。

まず実家に寄っていく。
週一度は自遊旅の食料費の清算がある。
領収書を付けて提出する。
今週は3600円。
妻が持ってきたのは3300円。
300円足りない。
あらそうと言う感じで300円追加。
毎月月始めはささやかな小遣い支給日。
支給日何だけど----。
あらそうなのと言う感じで持ってきた。
誕生日プレゼント頂いたバイク用のジャンバーが暖かったので下も欲しいと思い、聞いたら買った店が分からない。
娘からワークマンでしょうと言われ、分かった様だ。
この年になればお互いボケてくる。
まあそう思って生きていこう。

北斗市の某さんの家に行く。
DVDの再生も録音も出来ないと言う
再生しようとDVDトレイをオープンしたが全くトレイが開かない。
これは重症だ。
最初から設定をやり直す。
まずはDVDの再生が出来た。
次に録画の何度も設定を繰り返して30分くらい経って録画も出来たのでほっとした。
旦那さんは電気は全く弱いと頼りならない。
バイクを持っていて、125ccハンターカブ。
今年は300km走って来たそうだ。
旅の話になり、退職して2日目に夫婦で屋久島に行って縄文杉を見てきたそうだ。
私は2003年と2004年に屋久島にそれぞれ1ケ月滞在した。
一番好きな場所である。
先日乗せたヒッチハイクのドイツ人も一番好きな場所と言っていた。
来年は九州一周を計画している。
南に行くのはこれが最後だろう。
屋久島まで行けるかな。
DVDシステムも直っておいとまする。
お土産を貰った。
かぼちゃ餅があった。
すいとん作れるぞ‼️

実家からは期限切れのトバを貰った。
全く大丈夫だ。

帰りに北斗市のせせらぎ温泉に浸かって帰る。




















11月30日 山陰旅の旅を振り返る No.3 匠農の郷やくのに移動する

2020-11-30 04:46:54 | 旅行
朝に波が岸壁にぶつかる音が激しくて目を覚ましてしまった。
後に確認したら舞鶴西港が近くにあり、そこから道の駅の直ぐ裏が川になっている。
恐らくそのせいで、今にもテントを波が襲いそうな、大きな音がしたんだろう。
おまけに車のクラクションが断続的に鳴った。
最近の車は防犯対策なのか、間違ったドアの操作をするとクラクションがなるようだ。
そんな事が有ったけれど、6時間は寝ているので睡眠時間としては十分だ。
早々にテントを畳み、まだ暗い中を道の駅「農匠の郷やくの」に向かう。
増設したLEDライトが道を明るく照らしてくれる。
カブを購入してから初めてのナイトランだった。
46kmの道程をのんびりと走って、空が明るくなってから駅に着いた。
農産物が中心の小さな道の駅だが、駐車場がかなり広い。

道9号線から離れているので、来る人が少なくなったのだろうか。
散策してみると広大なスペースに、やくのベゴニア園、夜久野高原温泉「ほっこり館」、他にレストランや和菓子の店、宿泊施設、郷土資料館、丹波漆展示館、茶室が有ったが、営業していたのは、ベゴニア館と温泉、和菓子の店程度であった。
ベゴニア園でパフェを注文したら、外の席まで持ってきてくれると言うので、山陰本線の夜久野駅を見下ろす、展望の良いテラスで待っていたら、持ってきてくれた。
少し寒かったが美味しかった。
「花あづき館」の丹波産丹波大納言を使ったぎんつばも食べたが、100パーセント黒豆のぎんつばも美味しかった。


道の駅の開業は1994年4月で、当時は大規模の道の駅で村起しの成功例と言われていたが、2007年に経営不振で倒産し、現在は「福山温泉ホテルロイヤルヒル福山」が指定管理人として営業している。

この道の駅の入り口に大きな「ドライブインやくの」があり、こちらは国道9号線に隣接しており、多くの人で賑わっていた。
丹波黒豆が売りのようだ。
こちらに人の流れを持っていかれそうだ。

温泉にも入り1日のんびりしていた。
道の駅の裏手に東屋があり、ここで静かな宿泊が出来た。


今日の日記
カブのライトを移設する。
旅の時は前かごの前に付けていたが、方向が今一合っていなかった。
旅の途中で何度も調整したが完璧に合う事が無かった。

そこで手の届く位置にレイアウト変更する。
ライトは工具なしで、方向を手で変えられる。
手の届く高い位置に変更した。
これで走りながら調整が可能になった。

うーん配線が今一だな。
あまり見えないように、もう少し考えて見よう。

終わって故人の自動車税の払い戻しを行おうと渡島振興局に行く。
納税担当者と話す。
かなりの難易度だ。
税の担当者も無くなった人の税の払い戻しをしたことが無いと言う。
要するに故人の財産だから、相続に当たると言う。
その為長男一人しか相続人が居ないといっても、元戸籍を取って親子の関係や相続する人が本当に一人なのか、公的書類で確認しなくてはならない。
長男一人だとしても、本人の印鑑証明と実印が必要だ。
東京の長男と何度もやり取りが必要になる。
1万1千円を受けとる労力は大きい。
今夜電話して払いもどしを受けない方向で進もう。


居間の改造をすることにした。
玄関付近の天井部の壁がオープンになっている。
作シーズンも冬は薪ストーブにも関わらず、冷える日は少し寒さ感があった。
今回上部を仮に塞いで見た。

他にキッチンのオープン状態を止めて、カーテンで塞いだ。
すると物凄く暖かくなった。
これで行こうと決めた。
ホームセンターに行ってOSBボード購入。
以前より値段が下がって1000円を切った。
これをカットして貰う。
3カットで150円。


明日工事をしよう。