も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

11月30日 山陰旅の旅を振り返る No.3 匠農の郷やくのに移動する

2020-11-30 04:46:54 | 旅行
朝に波が岸壁にぶつかる音が激しくて目を覚ましてしまった。
後に確認したら舞鶴西港が近くにあり、そこから道の駅の直ぐ裏が川になっている。
恐らくそのせいで、今にもテントを波が襲いそうな、大きな音がしたんだろう。
おまけに車のクラクションが断続的に鳴った。
最近の車は防犯対策なのか、間違ったドアの操作をするとクラクションがなるようだ。
そんな事が有ったけれど、6時間は寝ているので睡眠時間としては十分だ。
早々にテントを畳み、まだ暗い中を道の駅「農匠の郷やくの」に向かう。
増設したLEDライトが道を明るく照らしてくれる。
カブを購入してから初めてのナイトランだった。
46kmの道程をのんびりと走って、空が明るくなってから駅に着いた。
農産物が中心の小さな道の駅だが、駐車場がかなり広い。

道9号線から離れているので、来る人が少なくなったのだろうか。
散策してみると広大なスペースに、やくのベゴニア園、夜久野高原温泉「ほっこり館」、他にレストランや和菓子の店、宿泊施設、郷土資料館、丹波漆展示館、茶室が有ったが、営業していたのは、ベゴニア館と温泉、和菓子の店程度であった。
ベゴニア園でパフェを注文したら、外の席まで持ってきてくれると言うので、山陰本線の夜久野駅を見下ろす、展望の良いテラスで待っていたら、持ってきてくれた。
少し寒かったが美味しかった。
「花あづき館」の丹波産丹波大納言を使ったぎんつばも食べたが、100パーセント黒豆のぎんつばも美味しかった。


道の駅の開業は1994年4月で、当時は大規模の道の駅で村起しの成功例と言われていたが、2007年に経営不振で倒産し、現在は「福山温泉ホテルロイヤルヒル福山」が指定管理人として営業している。

この道の駅の入り口に大きな「ドライブインやくの」があり、こちらは国道9号線に隣接しており、多くの人で賑わっていた。
丹波黒豆が売りのようだ。
こちらに人の流れを持っていかれそうだ。

温泉にも入り1日のんびりしていた。
道の駅の裏手に東屋があり、ここで静かな宿泊が出来た。


今日の日記
カブのライトを移設する。
旅の時は前かごの前に付けていたが、方向が今一合っていなかった。
旅の途中で何度も調整したが完璧に合う事が無かった。

そこで手の届く位置にレイアウト変更する。
ライトは工具なしで、方向を手で変えられる。
手の届く高い位置に変更した。
これで走りながら調整が可能になった。

うーん配線が今一だな。
あまり見えないように、もう少し考えて見よう。

終わって故人の自動車税の払い戻しを行おうと渡島振興局に行く。
納税担当者と話す。
かなりの難易度だ。
税の担当者も無くなった人の税の払い戻しをしたことが無いと言う。
要するに故人の財産だから、相続に当たると言う。
その為長男一人しか相続人が居ないといっても、元戸籍を取って親子の関係や相続する人が本当に一人なのか、公的書類で確認しなくてはならない。
長男一人だとしても、本人の印鑑証明と実印が必要だ。
東京の長男と何度もやり取りが必要になる。
1万1千円を受けとる労力は大きい。
今夜電話して払いもどしを受けない方向で進もう。


居間の改造をすることにした。
玄関付近の天井部の壁がオープンになっている。
作シーズンも冬は薪ストーブにも関わらず、冷える日は少し寒さ感があった。
今回上部を仮に塞いで見た。

他にキッチンのオープン状態を止めて、カーテンで塞いだ。
すると物凄く暖かくなった。
これで行こうと決めた。
ホームセンターに行ってOSBボード購入。
以前より値段が下がって1000円を切った。
これをカットして貰う。
3カットで150円。


明日工事をしよう。




















11月29日 山陰の旅を振り返る No.2 フェリーは退屈

2020-11-29 07:10:16 | 歴史
夜遅くフェリーに乗ったので、少し飲んで直ぐに寝てしまった。
バイクの走行も250km位なので相当頑張ったので疲れている。
朝起きればもうインターネットに繋がらない。
能登半島を越えるまでは繋がらないようだ。
朝起きて船内を一回りしても人とは殆ど会わない。
ツーリストの定員は12名なのに、私一人だけ。
コロナの感染防止での処置なのか、乗っている人が少ないのか。
船の窓からは大海原が見えるだけで、その景色は一向に変わらない。

こんな事もあろうと1冊の本を持ち込んでいた。

ペリーが来て開港する以前に多くの外国船が禁を破って日本に近づいていた。
当時の日本周辺の海は鯨が多くいて、アメリカの船も捕鯨に来ていたが、食料や水の補給をしたいのだが出来なかった。
彼らは数ヵ月に渡って捕鯨をするので、補給は重要な項目だった。
当時の日本の漁業は遭難が多く、大海に流され外国船に救助される事が度々だった。
ジョン万次郎もその一人だ。
彼はアメリカに渡り捕鯨技術を学び後に日本に帰ってくる。
函館にも来ており、函館の鯨塚には彼の名が残る。
多くの救助された漁師を日本が受け入れるのは、何処の港でも良いと言うことが無かった。
わざわざ長崎まで行かなくてはならない。
捕鯨を中断して長崎まで漁師を送り込むのは、大変な事だった。
しかしその時には食料や水の補給を受けた様である。
長崎まで送るのが大変なので、日本の近くで小舟を与え、漁師を乗せて日本に返したと言うアイデアも生まれた。
日本人が船で入国するのは問題無かった。
そんな本をずっと読んでいた。
途中の上りと下りの船がすれ違うときにボーと汽笛を鳴らす。
退屈なので見に行った。

夕食は船内のレストランで摂った。
昼もそうだったが若い男性の二人連れがいつも外のオープンデッキに食事を持ち込んで、楽しそうに会話しながら食事していた。
良い雰囲気だ。

かつ定食を地域クーポン券で食べた。
フェリーのレストランは高そうで、いつもは食事する事は無いのだが、意外と安かった。
肉厚のかつは美味しかった。
地域クーポン券は2日しか有効期間がない。
2日目の舞鶴に着くのは夜だ。
店が開いているか分からない。
残った分は船内の売店で消費した。
少し高めだが仕方がない。
夜8時過ぎに30分早く舞鶴港に着いた。

下船もスロープは急で更に照明も暗い。
一緒に乗っていたバイクの人に、よく転ぶ人も居るんですよと言われ緊張感全開。
慎重に下って無事下船。
ターミナルの外も暗くて寂しい。
事前調査ではこのフェリーターミナル付近に公園がある筈だったが全く分から無い。
結局、道の駅「舞鶴とれとれセンター」に行く。
もう閉まっていて真っ暗だ。
大型トラックが多かった。
エンジンがかけっぱなしだったが、気にせずにバス添乗員控え室の前にテントを張る。




今日の日記
今日は旅でのバイクの不具合を直した。
旅用にLEDライトを追加した。
古いカブは兎に角ヘッドライトが暗い。
特に暗いトンネルに入ると、左側の歩行者用の段差が見えず危険だ。
そこでトンネルの左側を照らすライトを付けた。
効果は有ったが、スイッチの位置が右手ハンドルから離れていて操作がしにくかった。

スイッチの左側に付いていた時計も旅の中で手が強当たり取れてしまった。弱いのは想定している100均だ。
この復旧も兼ねて改善を図った。
時計は台座に穴を明け、ボルトで固定した。


再取り付けを行った。

これで右側の赤いスイッチが、アクセルハンドルを離さないで操作が可能になった。
明日はLED照明の位置も変える。












































































11月28日 山陰の旅を振り返る No.1 バイクの購入~函館市から小樽まで走る

2020-11-28 09:02:12 | 日記
山陰旅の最中は余裕もなく、詳しいブログを書けなかったので、今日から旅を振り返って少しずつ旅の模様を発信していきます。

旅1日目
いよいよ人生初のカブによるバイク旅のスタートになった。
たまたまGOTOトラベルが行われていたので、貧乏旅人に取っては有りがたかった。
フェリーの場合、GOTOトラベルの適用が複雑で2日ほど時間を費やした。
バイクは高校時代はアルバイト先の果物屋のご主人がバイク好きで3台持っていた。
そのお陰で1台は専用で使え、私は毎日バイクに乗っていた。
今は知る人も居ないIMBの新車だった。
IMBは伊藤モーターバイシクルである。

最後にバイクに乗ったのは社会人1年目の時だから、約60年も経過している。76歳にもなると車の免許証返納も出てくる歳だ。
それがバイクで長期の旅に出ると言うのだから、不安も大きかった。
バイクが入手出来たのは、向かいに住んでいるNさんの息子さんが函館に帰って来た事にある。
離島で色々な機械の整備をしていたので、何でも直せると言う技術が有った。
Nさんのお父さんは既に亡くなっているが、車庫を持っていた。
そこを使って古いバイクを持ち込んでは整備して動かしていた。
トレーラー等も自作していて、私と何か相性が良い感じだった。
ある日、カブって中々見ないんだが何処で手に入れれば良いんだろうと聞いた事がある。
それから1週間くらいしてカブが車庫に有った。
タイヤを交換、バッテリ交換、マフラー交換等して整備も終わった。
38年前のカブが農家の物置に眠っていたのだ
当時リッター150kmを越えたバイクなのだ。
走行距離は2万キロメートルだった。
これに決めた。
タイミング良く新型コロナの給付金10万円が入った。
3年分の保険にも入って約5万円。
当初は自転車旅を考えていたが、山陰に詳しい方が、山陰はアップダウンがあるから自転車では大変だよとのアドバイスがあり、バイクに変更した。
その後、バイクを旅仕様にするのに多くの時間が掛かった。
何とか旅に出られる迄になり、これによって山陰旅が実現する事になった。

いよいよ出発だ。
自遊旅を7時半に出た。
気持ちは緊張感と期待感で溢れんばかりだった。
最初の難関大沼トンネルは照明が明るくて走りやすいが、車がハイスピードで追い越してしていく。
ハンドルを握る手に力が入る。
順調に来たが長万部では強風と雨に見舞われる。
そのまま走っていたら雨も上がった。
黒松内の道の駅で休憩。

その後、倶知安の旭ヶ丘キャンプ場に行く。
車のキャンパーが1人のみで閑散としていた。
長万部からの国道5号線は車も少なく、当初の不安から脱して、バイク旅を満喫していた。
夕方小樽港に無事着いた。
GOTOトラベルも無事適用出来、地域クーポン券も3000円分頂いた。




バイクの乗船駐輪場に置いたら、ご夫婦の方がやって来た。
北海道には毎年バイクで来ているそうだ。
今回は用事があって車で来たそうだ。
歳は幾つですかと聞かれたので76才ですと言ったら、頑張るねと言われた。
23時30分発まで十分な時間がある。
もう何処にも行かずフェリーターミナルで過ごす。

やがて乗船時間が来た。
スロープは意外と急だ。
登れるのか?
セカンドで登ったら何とか登れた。

早々に個室に入り寝てしまった。

今日の日記
昨日の夕方、ブログをアップしようとしたら、IDとパスワードを求めてきた。
入れたが間違いがあると受け付けない。
何度やっても駄目。
今まではPC版の画面から投稿していた。
仕方がないのでアンドロイド用のアプリをダウンロードする。
このアプリとPC版と繋がるのか?
3時間掛かってようやく繋がった。
繋がらないと新規のブログになり、見ていてくれてる方に連絡がつけられない。
繋がってほっとした。
今日は寝室の蛍光灯を交換する。
今付いているのは白熱球と蛍光灯が付いている珍しい物だが暗い。



変えたら随分明るくなった。

表玄関の暖簾と台所のねぶた暖簾を洗濯して、アイロンかけた。
春になったらまた出番が来る。


今日の夕食はおでんにした。
まずは時間の掛かる大根をストーブでじっくり煮る。

その後、昆布と鰹で出汁を取り、醤油とみりんで味付け。

今日最後の仕事は故人の電化製品の清掃。
冷蔵庫、洗濯機、レンジ、オーブン、扇風機、電気ヒーターと全て綺麗になった。


おでんは昆布味が染みて美味しかった。







































































































11月27日 喪中ハガキが完成した

2020-11-27 18:21:54 | 日記
今日はペットボトル、プラボトル、瓶の資源回収日。
故人の家から持ってきた、ペットボトルが90リットルの袋で3個。
プラボトルが2個、ガラス瓶が2個を出したので、部屋はスッキリした。
後は燃えないゴミを5袋捨てれば、全ての不用品は処理修了だ。
朝から喪中ハガキの製作。

昼までには完成し近くの郵便局に持っていった。
これが終われば今年の大きなやるべき事はない。

午後から皮膚科に行って痒み止めの薬を貰ってくる。
面白い事が起きた。
何時も小型の容器に入っている。
先月は長期の旅が有ったので、多めに薬を出して貰った。
量が倍くらい増えても処方せんは150円で、薬代は250円と小さい容器の時と同じだ。
今回は?
処方せんは150円払った。
薬局に行く。
出てきた薬は旅の時と同じ量の多い方だった。
薬代は250円と小型容器の時と同じ値段。
いったい薬の価格ってどうなっているんだろう。

東京の芸術家緒方敏明さんから展覧会のパンフレットが送られて来た。
東京高島屋で初の個展を開くそうだ。
自遊旅には10年くらい前に、植村直己賞を取った冒険家安東浩正とやって来た。
貧乏芸術家でお金の面で相当苦労して函館まで来たのだ。
でも凄かったのは中島廉売に買い物に行って、両手に余るほどの食材を持ってきた。
全て無料で頂いたそうだ。
どんな技を持っているんだろう。
今回わざわざパンフレットを送ってきた。
来てほしいと言うことなのか。
私も貧乏旅人だ行ける筈がない。















11月26日 年金処理に喪中ハガキ製作

2020-11-26 18:44:02 | 日記
喪中ハガキを作らなくてはならない。
何時もパソコンで1年間の我が家の状況を、知らせるのが例年だ。
カラー写真で楽しい年賀状なのだが、今年は喪中ハガキになる。
白黒の印刷は味気ない。
印刷リストを作って実家に行く。
妻の方の関係者に出す出さないの確認だ。
数量も確定したので郵便局で喪中ハガキを購入。

故人の後始末も後は年金処理で終わる。
旅以来のバイクで行く。
誕生祝いで貰ったバイクジャンパーは暖かい。
半袖のインナーと薄いフリースを下に着ただけで暖かい。
これなら冬も走れるかも知れない。
年金事務所に行ったら予約制になったという。
でも窓口はかなり空いている。
粘っていたら手続きしてくれることになった。
沢山の書類を持って行った。
八雲町からの指導で用意したのだが、年金事務所とは用意するものが違う。
無駄に資料を用意した。
結局足りなかったのはマイナンバーカードのコピーだった。
帰って喪中ハガキの宛名書きで夕方まで作業した。
70%は出来たかな。