Happy sprout / 幸福の芽 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)の八通り目の解読や古史古伝と共に弥勒の世に向かって 

日記 近況について2

2023-07-16 15:43:00 | 日記

追加

2023.7.28

職場でどうしてもできないことがあれば通常は身を引きますと

書いたのですが、2021年11月「悪戯な」ことを

しなくてはならないことは死にたくなるほどの苦痛でした。

当時、心が壊れそうで耐え切れなかったと書きましたが、今も

同じです。社風に合わなかったということなのでしょう。

次に進みたいと思います。

 

近況で思うことを書いていきます。

私の環境の変化の時期になりました。

次の一歩はまだ決まっていません。

ここ最近のことで思ったことを幾つかに分けて書いていきたいと

思います。

 

私は長く高齢者福祉の仕事をしています。

すでにいろいろな記事にそのことを記載してきました。

日本には宗教の自由があり、信教の自由を保障とあります。

また、通常の職場は「布教をしないこと」と明示しています。

幸福の芽、このblogを長く書いている私ですが職場で布教することは

ほとんどありません。

現時点の職場では全くありません。即ち私はただの一職員として

仕事をしていました。

社会で生活できるような私と神と話す、確固たる曲げられない

信念を持った私を使い分けています。もう随分前ですが信仰生活に

入った頃は一つひとつ認識を持って分けていました。しかしある時を

きっかけにあまり気にせず、社会生活を送っています。

心の中は信仰生活を続けている。これは私だけなく信教がある人なら

皆そうだと思います。普通の社会が理想と違っても理想を忘れずに

社会に合わせることは日常的にあります。どうしてもできないことが

あれば通常は身を引きます。

副業と言えば収入のあることですが、副業ではなくても

本来自分の時間に宗教、それ以外に何か活動している人は多いのでは

ないでしょうか。そういう意味で使い分けています。

心に信仰を持ち続けながら、世間に合わせて生活するということです。

この春、肺炎になりました。非常に無理な勤務体制で1年仕事をして

3月末に高熱を出しました。神から「もうこれ以上無理しなくてよい」

と言われました。

5月中旬に再び高熱を出しました。肺炎と診断され、原因不明で

入院をせずに有給1日で仕事をしていて長く全身の寒気が続きました。

これは私の縁しですが、私の周囲では違うことが動いていたようです。

神は私にそれに参加せずに治療と療養を選ぶようにしました。

 

この職場ではただの一職員として仕事をしていたので、そのように

ふるまい、私の持っている経験知で仕事をしていました。

神の力に頼ったことは一度、あるガラスの器を縁にそこに込められた

真剣な願いに2年間応えるべく祈りの気持ちを持ち続けたことだったと

思います。

神への祈りにはまず信仰が必要です。今までに何度も書きましたが私を

排除したり、卑下しては私を縁しに何も生じません。

神の法、私のblogとfacebookを取ろうとしたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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日記 近況について1

2023-07-16 15:33:00 | 日記

以前の話をします、Twitterに書いた金子さんと服部さんのことです。

 

私は某社会福祉法人で仕事をしていた時、

そこの方々にたいへんお世話になったと同時に私を悪者にする金子さんと

いう人と会いました。よくblogに出てきている名前です。

私は幸福の芽みろくのblogを書いていましたし、福祉関係の学会で

私より自身のほうが上に立ちたいという気持ちだったと思います。

私はここではblogを書いていることを公にしていませんでしたが

ある人を介し耳に入っていた。彼は私が書いている内容や行って

いることの内容を見て大きくなることを恐れた、

仕立てられた悪い噂に輪をかけて私を犯罪者に仕立てた。

身を売ったと称し、「一緒にいると恥をかく、自分の名前を汚す」

と笑いながら無残に道をふさいだのです。

 

私はその後、数年前に服部さんのところで仕事をしました。

この先65歳くらいまで仕事を続けたかったことと、私には

信じる神が現に存在し、何かしたかったからからです。

金子さんは私の福祉関係の内容の大きさを知っていて法を

自分のものにしたいと思ったことで服部さんに私を悪口を伝えた。

服部さんのために言っていると言いながら。

私はこの時も福祉関係のことと信仰のことは使い分けるつもりでした。

しかし、服部さん自身は私の福祉関係の内容と信仰までも自分のものに

したかった。

渋谷という場所は私にとって今でも特別な場所であることには

間違いありません。できたらここで仕事をしたいと強く思いました。

服部さんは私が入職したと同時にルールを変えて辞めたら東京で

仕事ができないように仕向けた。当時は私はこれほど酷いとは

思っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

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