Happy sprout / 幸福の芽 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)や古史古伝と共にみろくの世に向かって

神の下で人生を見直す

2023-03-12 01:33:00 | 日記

私のblogは2009年9月に書き始めました。

その内容には私個人のことも、たくさん含まれています。

人に聞かれたくない、書きたくない内容も書いています。

 

一方で神は私に、神の言葉をくださいます。

そしてそれにより、攻撃を受けて死んでしまうくらい苦しんでいると

「愛している」と言葉をくださいます。

 

 

「私は何も悪いことはしていない」という人がいます。

私が人生の中で様々なことがありながら、神の言葉を聞くことが

できることに対して、自分は何も悪いことはしてないから、

神に優先されるべきではないかという意見だと思います。

この話の先は、私が神と共に説いた法を無断で取っても良いのだと

すり替えが起こります。

「神よ、私は信仰深く、善に生きたのに何故このようなことが

起きてしまうのでしょうか」と与えられないことを嘆くということは

どういうことか、過去の歴史で聞いているとおりです。

 

こんな私が何で神の言葉を聞くことができ、言葉をいただけるのだろうかと

いうことですが、私は過去、1991年より前に、神の意思の下で人生を

見直した経験があるからです。

神は全てをご存じで私に言葉をくださいます。

そして後々のことですが、それは救済力と浄化力に変化していくと

聞いています。

文献にはあまり載っていないと思いますが、弥勒菩薩とはそういう菩薩なのです。

 

他人の悪いところばかり探して、弱みに付け込む。

そういう他人を無き者として、ユートピアの中には入れない、

自分の存在が在るように、他人の存在も在り続けます。

殺人でもしなければ、無くなりません。

そういう世界は救済力の全くない、選民的な、自分たちだけが

生き残ればいいというユートピアだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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