先日、記載した[神と眷属、魂の成長とは何か]という記事を書きました。
その中で、
【道端の白き花】は血筋など言わぬ道端に咲く雑草の花に違いなく、その雑草の花の魂も人が祈るほどに白く咲くことが可能である (黄金の巻44帖国常立神ひふみの歌より)
この一節が私の魂を揺さぶります。
一方で、
日本の家々には家紋があり私の家も家紋がある、しかし今このような記事を書いている私は元は名も無いものである、神は意図的にそういう私を選び、法を説かせている。
このようにも書きました。
今、私はひふみ神示を通し、神道、古神道の記事を書き続けています。
私と神道の繋がりについて知りたいと思う方々がおられるようなので書きます。あまり知らないのですが私の家は神道の家、神社の家ではありません、古くは街にあるようなお寺と共に国内を移動してきた家です。
また私は家の家紋の他に血筋には【橘】の家紋があります。少し遠縁ですが【沢潟】の家紋もあります。詳しい方なら何かわかるのかもしれません。
だからといって私は特に名も無いものです。
みろくの世 miroku_F_G 蓮みろく