Happy sprout / 幸福の芽 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)の八通り目の解読や古史古伝と共に弥勒の世に向かって 

[次の世のカタ]について3 2024.11.4

2024-11-04 00:53:00 | みろくの世 Miroku_F_G

ひふみ神示の中で国常立神が岡本天明氏に【アホ】になれ、【アホ】結構ぞと何度も繰り返しています。

阿保(アホ)をnetで調べると愚かなこと、またそういう人を指します。語源では秦の始皇帝が異常に大きな宮殿である[阿房宮]を建てた結果、それを項羽が焼いたところ3か月もかかったことから馬鹿げたことを[阿房(あほう)]と呼ぶようになった説や、中国の南方方言で[ぼんやりした様子+~さん]であり言葉の意味では[おバカさん]程度の軽い感じのようです。[あほう]を省略して[あほ]というようになったのは近世以降です。

国常立神は[中々アホにはなれまいがな]と言われているので直訳すれば想定通り、学があると[中々ぼんやりした様子になることや利口でないようにはなれないだろう]ということだと思います。

 

ひふみ神示で言われる【アホ】とはどんな状態でしょうか。ひふみ神示のア火ハの巻には改心がアホになることと書かれています。

改心とはアホになることざぞ、世界中のアホ中々ぢゃ、中々アホになれまいがな。世界中の人民に云ふて聞かせて改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らんぞ、世界の説教をよく聞きてくれよ、天の教、地の導き、よく耳をすまして聞きとれよ、神の心段々と判りて来るぞ。この者は見込ないとなったら物云わんぞ、もの聞けん様になったら、神示いやになったら其の守護神、可哀想になるのざぞ、見込なくなれば神は何も申さんぞ、今の内に神示肚に入れよ。

(ひふみ神示 ア火ハの巻(アホバの巻)第18帖

これによると【改心】とは【アホ】になることです。改心とは何か、それは神の心が判ることでそれにより改めることだと書かれています。

こうなると[アホ]は悟りの境地だと思えます。

岡本天明は神道家であり、神典研究家であり数霊などの学もありました。国常立神からその【学】を捨てて【アホになれ】と繰り返し繰り返し言われました。

日々身霊磨きをして【神人】になる、神の意【神意】を知るには【アホになれ】なくてはいけません。

 

【アホ】はどのような悟りでしょうか。

その内容を[次の世のカタについて 3]として書きたいと思います。

ひふみ神示 日の出の巻、黒鉄の巻には以下のように書かれています。

11月3日 X-twitter

次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二の通基(二)の世ぞ、⦿☽の月の世ぞ、取違ひせん様に致して呉れよ。 智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、月の神様祀りて呉れよ、素戔嗚の神様祀りて呉れよ、今に会得る(わかる)事ぞ、日暮よくなるぞ、日暮に祀りて呉れよ、十柱揃うたら祀り呉れいと申してあらうがな

(ひふみ神示 日の出の巻第3帖)

小さいことから始めよ。小乗の行と馬鹿にするでないぞ。小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。
(ひふみ神示 黒鉄の巻第12帖) 
 

【月の世】とは簡単に言えば仏教の【悟りの世】です。

小乗の行として【悟りの境地】に至るには智や学は無くてもならぬが、智や学がありては邪魔になるものです。

私がMy masterに以前言われた仏教語で言われる【無念無想】と【無我】がひふみ神示に書かれている【アホ】と同じであると思います。ひふみ神示の【アホ】は実は高度な【悟りの境地】でした。

10月1日に掲載した記事[次の世のカタについて2]の記事の最後に【無念無想の境地】と【無我】について書いています。

10月1日

私の日常生活は常に神、神々と共にあります。神、神々は24時間稼働していますので現界、3次元で生活をしている表層意識の私を見つめる私がいて神が見つめている私の中の私は無念無想です。そういう私を365日24時間、僅かな心の動きまで神は見ておられます。私には苦痛ではありませんがたぶんこれが苦痛にならない為には神をよく知り、多くの心の鍛錬が必要だと思います。

【無念無想の境地】 

禅定に入り無念無想になろうとすると【無念無想】というものを考えています、これは無念無想ではありません。 

また、禅定に入っている時とは別に通常の社会生活をしている時の無念無想とはどういうものかというと何もせず、何も念ず、何も想わず考えない、何の努力もしない境地ではなく、社会生活をしている表層意識とは別に自身の心を俯瞰している自分が無念無想ことになります。 

私は多くの邪魔が入ると敢えて表層意識で違うものをたくさん取り入れますがこれは皆様にはお勧めしません、もし邪念が多く感じられる時があったら散歩にでかけましょう。 

【無我の境地】 

では【無我】の境地とは何か。 

仏教用語ですが無念無想の境地から無我の境地へと考える方もおられるでしょう。我が無い状態、自分というものに捉われず考えない状態、これはひふみ神示で言われる身魂磨きと関係が深いと思います。無我を目指すという前に神とは何か、仏とは何かを深く考え知る必要があります。 

 

私のblogの読者さんには有名な寺院で修行をされた方もおられると思いますが、私の記事は私のわかる限りで次回から[次の世のカタについて 3]として【無念無想】と【無我】について幾つか記事を書きたいと思います。

blog[現代の悟りに至る道]には仏教で言われる悟りに至る道は主に2通りあります。ひとつは小乗の修行において悟りに至る(自利)もの、もうひとつは社会生活を送りながら悟りに至る(利他)大乗のものです。これについては注意が必要です。小乗も大乗も到達点が大乗でなくてはならないのですと書いています。

 

〇以前、私が記載した次の世のカタについて

次の世のカタについて1

https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/1e60c95c0d1fda92ef438cb90815030f

次の世のカタについて2

https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/7e8aa7d57fffbbdf97b36fbc7933f498

 

〇以前、私が記載したひふみ神示の修行について

現代の悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6ff515cbb8a8aa286d158cadd57052eb

ひふみ神示~悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/0309b178cef659f8e407070536c41da8

maitreyaとみろくの解毒作用 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/5081fc4d604c77b5a097ef2f8084d855

(ひふみ神示にみろくの解毒作用について書かれていました、【心の梅干し】です)

身魂磨きと神人 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/7df687da214afc7005f09004f996fbd5

身魂磨きと神人2 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6cfc070e3c47c55cd700b6c435b26e69 

社会的リーダーの方々へのインスピレーションについて 

https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/fb9a6c13eb3d016bc37a5455b712038e

 

みろくの世 miroku_F_G  蓮みろく

 

 

 

 

 

 

 


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