(北条義時役の小栗旬:大河ドラマ館の入口の
巨大看板)
インターネットで入場券を事前購入して、鎌倉殿
の13人の大河ドラマ館へ行って来ました。
鶴岡八幡宮の二の鳥居の下の「段葛」(だん
かずら)からスタートします。
段葛は、鶴岡八幡宮の参道の中央に、葛石(かずら
いし)を積んで一段高くした道です。
段葛(若宮大路)の両側には、レストランや
土産物屋が立ち並び、暫く歩くと、右手のビルの
奥に、次頁の写真の「北条泰時邸跡」の発掘調査
の遺構が保存されています。
写真の様に、床がガラス張りになっており、
その下にある建物の柱跡などを観察することが
できます。
ここ「鎌倉殿の13人」の主人公の「北条泰時」
の屋敷は、若宮大路(段葛)の北の端に位置して
いました。
ガラス張りの床の前のお店「侍気分」のご主人
が、丁寧に詳しく遺構の説明をして下さい
ました。
上の説明板は、鎌倉を訪れた人々で、
ジョンレノン、ヘレンケラー、
スピルバーグ等の顔写真が並んでいます。
北条泰時邸跡を出て、鶴岡八幡宮の大鳥居
をくぐると、右手に「旗上弁財天社」があり、
その裏には「政子石」があります。
”旗上”弁財天は、後鳥羽上皇の軍に対抗する
ため、北条政子が御家人をこの地に集めて
旗上げ(出陣)したことに由来します。
政子石は、源頼朝が、妻の政子の安産を祈願する
ために設けた石です。
(小池栄子の北条政子)
「NHK大河ドラマ館:鎌倉殿の13人 」が、鶴岡
八幡宮の境内にある鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
内にオープンしています。
鶴岡八幡宮の三ノ鳥居から参道を真っすぐに少し
進み左折すると大河ドラマ館があります。
入場料は1,000円ですが、鎌倉国宝館(300円)
と鎌倉歴史文化交流館(300円)の入場券が
セットになっているので、実質的には400円です。
上の写真が鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムで、
ここで鎌倉殿の13人展を開催中です。
ミュージアムの右側は下の写真の併設カフェです。
階段を上がった先にはNHK大河ドラマ「鎌倉殿
の13人」の巨大看板がありました。
(鎌倉殿の大泉洋)
少し長くなりますが、以下「鎌倉殿の13人」の
今週放映分までのあらすじです。
平家が栄華を誇った平安時代末期、戦いに敗れた
源氏の嫡子である「源頼朝」(大泉洋)は、
伊豆国(伊豆半島)に配流されます。
(北条時政の坂東弥十郎)
伊豆国の弱小豪族だった「北条家」の長男の宗時
(片岡愛之助)が、頼朝を北条の館に匿ってくれた
のが発端となり、頼朝は、北条時政の長女の
「政子」(小池栄子)と結婚します。
(頼朝と政子の結婚については、「修善寺の歴史」
の頼朝と政子像を見てね。)
(北条宗時の片岡愛之助)
(北条義時の小栗旬)
(北条義時の妻の八重:新垣結衣)
(三浦義村の山本耕史)
頼朝は、このときに、北条家の次男の「北条義時」
(小栗旬)や「三浦義村」(山本耕史)とも出会い
ます。
頼朝は、以仁王より平家追討の令旨を受て挙兵
しますが、石橋山の戦いで敗れ、安房国に
逃れます。
(安房国への逃亡については、
「房総白浜温泉」の頼朝隠れ穴を見てね。)
しかし、その後、全国に雌伏していた源氏一門が
挙兵し、頼朝は鎌倉に入り大倉御所を構えます。
(菅田将暉の源義経)
異母弟の「源義経」も参戦します。
(頼朝と義経の対面については、「沼津~興津」の
対面石を見てね。)
やがて、源氏と平氏は、駿河国の富士川を挟んで
対峙しますが、夜、水辺で大きな水音が上がり、
これに驚いた水鳥が一斉に羽ばたきました。
平氏は、その羽音を源氏の襲撃と勘違いして
慌てて逃げ出したため、源氏は戦わずして勝利
しました。
(この富士川の戦いについては、
「沼津~興津」の平家超えの碑を見てね。)
一方、木曽で挙兵した「源義仲」(木曽義仲:
きそ よしなか)は、「倶利伽羅峠の戦い」で
平氏の大軍を破って京に入ります。
(義仲の木曽での挙兵については、
倶利伽羅峠の戦いについては、
「倶利伽羅峠」を見てね。
(木曾義仲の青木崇高)
(木曾義仲の愛人の巴御前の秋元才加)
(後白河法皇の西田敏行)
木曽義仲は、後白河法皇を幽閉して、頼朝追討の
宣旨を引き出しますが、義経と範頼の兄弟は、
数万の軍を率いて京へ向かい、源義仲を粟津の戦い
で討ち取りました。
そして、範頼と義経の平氏追討軍は、「屋島の
戦い」で平氏を海上へ追いやり、「壇ノ浦の
戦い」で滅亡させました。
(壇ノ浦の戦いについては、
「下関散策」の壇之浦古戦場跡を見てね。)
義経は、捕虜となった平宗盛父子を伴い、相模国
に凱旋しますが、頼朝は義経の鎌倉入りを
許しません。
仕方なく京に戻った義経は、後白河法皇に、頼朝
追討の宣旨を強く求め下させます。
しかし、結局、頼朝追討の兵が集まらない義経は、
戦わずして京を落ち、奥州に逃れ、藤原秀衡の
庇護を受けます。
(義経の奥州への逃避行については、
矢向神社を見てね。)
(藤原秀衡の田中泯)
しかし、義経の愛人の静御前は、頼朝に捕えられ、
頼朝の前で舞を舞う様に命ぜられますが、義経を
恋い慕った歌を唄い舞います。
これに激怒した頼朝が、刀に手をかけますが、
奥方の北条政子が、静の心情を哀れんでとりなし
ます。
静御前は、義経の子を身ごもっていましたが、
生まれたのは男の子だったので、生まれて直ぐに
頼朝の命により殺されました。
(静御前のその後の運命と墓については、
「栗橋」を見てね。)
頼朝は、義時に奥州行きを命じ、藤原秀衡の長男
・国衡と国衡の弟・奏衡との不仲につけ込んで
義経を討たせます。