ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

大河ドラマ館(「小栗旬」の「鎌倉殿の13人」)(鎌倉市)(その2) 2022.5.18

(北条義時役の小栗旬と源義経役の菅田将暉 

 :大河ドラマ館)

 


前回は、「鎌倉殿の13人」の先週放映分までの

あらすじを載せましたが好評だった?ので、

今回も少し長くなりますが、以下「鎌倉殿の13人」

の次回以降~最終回までの”私の予想するあらすじ”

を書いてみました。

 

前回、頼朝は、平泉に兵を送り、義経を襲撃して

殺し、義経の首を鎌倉に届けさせましたが、義経

の悲運の次は、義経と同じ兄弟の「源範頼」の

悲運についてです。

(源義経の菅田将暉)

 

(源範頼の迫田孝也)

 

源範頼と源義経の兄弟は、息の合った連係プレー

で「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」で見事に

平氏を滅亡させました!

 

頼朝の弟の「範頼」は、遠江国(静岡県)の蒲

御厨(かばのみくりや:浜松市)で生まれ育った

ことから「蒲冠者」(かばのかじゃ)と呼ばれて

いました。

 

頼朝は、富士の裾野で、大規模な「巻狩り」

(まきがり)を行いますが、この巻狩りの最中に

「曽我兄弟の仇討ち」事件が起きます。

 

 

(曽我兄弟の祖父の伊東祐親:浅野和之)

 

(曽我兄弟の仇の工藤佑経:坪倉由幸)

 

(「曽我兄弟の仇討ち」は、伊東家と工藤家の人間

関係が複雑なので、詳細な説明は、

「曽我兄弟の首塚」「曽我梅林」を見てね。)                   

この仇討ちの一報は、源頼朝が討たれたという

誤報として、鎌倉の源頼朝の正室「北条政子」の

耳に届きました。

政子は狼狽してしまいますが、「範頼」は政子を

安心させようと、「兄のあとには、私が控えて

いるので、心配ご無用です」との言葉を掛け

ました。

ところが、これを聞いた頼朝は、謀反の意志あり

と怒り、範頼は、伊豆国の「修善寺」に幽閉され

誅殺されました。

(源頼朝の大泉洋)

 

(義経と同時期に行った範頼の最初の挙兵について

は、「四日市~石薬師」の蒲桜を、範頼が幽閉

されて謀殺された寺と墓については、

「修善寺の歴史」の信功院を見てね。)  

 

しかし、その”恐ろしい頼朝”も、相模川の

橋供養の帰路で落馬し、やがて、あっけなく

亡くなりました。

 

頼朝が急死すると、嫡男の「頼家」が2代将軍に

なります。

しかし、頼家には御家人達を統率する力量がない

とみた北条時政と政子は、「有力御家人13人に

よる合議制」を始めます。

そして、時政と政子は 2人だけで実権を握る

ために、「頼家」の弟の「実朝」(さねとも)を

名前だけの次期の将軍にしようと画策します。

これを知った「頼家」と頼家の義父の「比企能員」

(ひきよしかず)は、北条氏(時政と政子)の打倒

を謀りますが、逆に、時政と政子は、比企能員を

自邸におびき寄せて殺害し、比企能員の館を急襲

して比企一族を滅ぼしてしまいました。

(北条政子の小池栄子)

(比企能員の佐藤二郎)

 

これにより、頼家は「伊豆の修善寺」に幽閉され、

刺客によって暗殺されます。

(頼家の幽閉と墓については「修善寺の歴史」

修善寺物語を、政子が我が子の頼家を供養した寺

については「修善寺の歴史」の指月殿を見てね。)                   

3代将軍・源実朝は、時政と政子の狙い通りに、

お飾りの将軍となります。

このため、北条義時を含む13人の家臣達による

内部抗争が激しくなりますが、最終的には、北条

義時がこの内部抗争を制し、遂には幕府の

最高権力者となりました。

(北条義時にとっては、めでたしめでたしの

ハッピーエンドです。← 私の最終回の予想です。


以下は、大河ドラマ館の展示内容です。

 

上の写真は、鎌倉幕府の雅な雰囲気の部屋の再現

で、烏帽子を被って記念撮影も出来ます。

 

以下は、出演者たちが身に着けた衣装です。

 

 

 

次頁の写真は、シアター映像の入り口のポスター

です。

制作のウラ側など面白かったのですが、映像は

撮影不可です。

 

 

(出演者の相関図、サイン展示:但しサインは撮影

不可)

(撮影小物)

なお、鎌倉幕府の当時の中枢を再現したジオラマ

もありましたが、残念ながら撮影禁止でした。

 

また、土産売り場では、鎌倉殿の13人にちなんだ

お菓子やTシャツ等を売っていました。

 

 

小町通りで、昼食にする予定でしたが、平日にも

拘わらず、どこも修学旅行の生徒とカップルで

満席でした。


小町通りでの昼食を諦め、下の写真の「まめや」

で北条義時の絵柄の豆の詰め合わせセットを買う

だけにしました。

 

食事は、鎌倉駅の構内の「風凛」で「小町御膳」

(3,280円)を食べました。

 

ps. これまでの大河ドラマについては、

「渋沢栄一」「いだてん」「樅ノ木は残った」

を見てね。                                


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ウォーク更家
tadaoxさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
曽我兄弟の仇の工藤佑経(坪倉由幸)が早々と登場したので、曽我兄弟の仇討ちの伏線だろうと思い、曽我事件を柱に後半のストーリーを書いてみました。

しかし、結末の辺りは未だ、登場人物が出てきていないので、私の予測も外れるかも知れません。
まあ、私としては、史実に基づく結末を書いただけなのですが、脚本家としては、多分それだけでは面白くないということで、何かサプライズを入れた結末になるかもしれませんね。
tadaox
鎌倉殿の最終回
https://blog.goo.ne.jp/s1504
(ウォーク更家)さん、今回のブログは、まだ見てないなとおもいつつ読んでいましたら、脚本家ウォーク更家さんの予測でしたか。
史実に基づく結末でしょうから、間違いないのでしょう。さすがですね。
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、疑り深い頼朝の鎌倉幕府は源氏三代で果ててしまい、その果実は北条家に食べられてしまいましたよね。

ええ仰せの通り、頼朝は、”一所懸命”に開墾した者に土地を安堵する、というリアリズムを日本に根付かせた政権でしたね。

頼朝は人望は無かったけど、関東武士の反平家よりも”一所懸命”の方が大事という強い気持ちに、上手く乗っかっていったんでしょうね。
もののはじめのiina
源氏の鎌倉幕府 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/fb44d7af78a0115b4d6ece20dbe01b4c
鎌倉が人気ですね。
         大河ドラマとwithコロナに勢いが増した感じです。

鎌倉幕府は源氏三代に果て、北条家が最終的な果実を食べてしまいました。頼朝は自身が幽閉されこともあり、とても疑り深い将軍でした。・・・なんとも。

頼朝の源氏は、一所懸命に開墾した者に土地を安堵するというリアリズムを日本に根付かせた政権でした。
源氏を旗印としての役割しか持たぬ(軍事は北条頼み)のを頼朝は痛いほど分かっていたのに、義経は理解できずに討たれてしまいます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a9b90d77c8a77e5d3d5bee63afffd475


> 外での運動はマスク不要になったから、公園での鬼ごっこ、見かける様になるのでしょうか。
テレビゲームをしたり塾へ行ったりと忙しくて、鬼ごっこも忘れていきそうな気がしないでもありません・・・

ウォーク更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、自分が平清盛の温情から学んだ教訓が、頼朝を疑い深く兄弟愛の無い冷酷な武将にしたのかも知れません。

この時代から戦国時代まで、権力者は、兄弟でも自分の座を守るために平気で殺していますものね。

家康は、これらから教訓を得て、江戸時代、無能でも長男を跡継ぎにすると定めて、兄弟の跡継ぎの殺戮を防止したのでしょうね。

秀吉が生まれた場所から100メールの所で生まれ育ったとは、自然に歴史に興味を持つようになりますね。
hide-san
頼朝
https://goo.blog.ne.jp/hidebach
頼朝は疑い深く、兄弟愛の無い武将でしたね。
この頃の権力者は、兄弟でも自分の座を守るために、
平気で殺したのですね。

秀吉、家康の頃から変わって行ったのでしょうか?
自分の座は襲われないように、厚遇していたのですね。

ボクは秀吉が生まれた場所から、
南へ100mほどの所で生まれ育ったため、
やや依怙贔屓しているかもしれません。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事