(写真は、磯庭園から望む桜島)
西郷隆盛が率いた薩摩軍が眠る南州墓地にお参りしてから、
墓地の参道の坂道をずっと歩いて下りて行くと、下の写真の
「今和泉島津家 本邸跡」バス停に出ました。
このバス停の前の敷地が、篤姫の実家の「今和泉島津家本邸」
跡だそうです。
篤姫が生まれ育ったという屋敷自体は現存しませんが、通りに
面した前頁の写真の石垣は当時のままらしいです。
その今和泉島津家本邸跡バス停から、1日乗り放題「カゴシマ
シティビュー」巡回バスに乗り、薩摩藩主の別邸だった
「仙巌園」(せんがんえん)バス停で下車します。
前頁の写真は、仙巌園の正門です。
「仙巌園」(礒庭園)は、1658年に、薩摩藩主の島津光久に
よって造園されました。
現在は、「仙巌園」の一帯には、薩摩藩主・島津斉彬が、
幕末に築いた工場群の「集成館」の跡地が拡がっており、
「反射炉」跡などが現存しています。
写真は、仙巌園の中にある「反射炉跡」です。
この反射炉は、島津斉彬が、鉄製大砲の鋳造を目的に築いた、
ヨーロッパ式工場群「集成館」事業の中核であり、当時は
20メートルの高さの建物だったそうです。
写真の赤い門は、「錫(すず)門」で、「西郷どん」のロケ
でも使われました。
この赤い門の屋根が、薩摩特産の錫(すず)で葺かれている
ことから、「錫門」と名付けられたそうです。
また、この門は、江戸時代には、藩主と嫡男のみが通ることを
許された最高格式の門だったそうです。
次頁の写真の様に、「西郷どん」のロケで使われたスポット
には、そのシーンを紹介する写真付きの案内板が建てられて
おり、とても分かり易いです。
仙巌園の庭園が続きます。
庭園を散策します。
庭園からは、桜島がよく見えます。
この仙巌園は桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた、いわゆる
借景庭園です。
写真の奥に見える生垣は、江戸時代には存在せず、近代に
入ってから、道路と線路を隠すために設けられたものだ
そうです。
庭園には、島津斉彬(渡辺謙)が、ガス灯の実験を行った
という前頁の写真の「鶴 灯籠」があります。
そして、西郷どんで、「御前相撲」がおこなわれたのが写真の
「前庭」です。
また、写真の「石階段」も、西郷どんのロケで使われました。
いよいよメインの「御殿」に入ります。
館内の撮影OKなのが嬉しいです。
ここには、「島津斉彬」(渡辺謙)や、「島津斉興
(なりおき)」(鹿賀丈史)と、「お由羅騒動(注)」
で有名な”悪女・お由羅(おゆら)”(小柳ルミ子)が
住んでいました。
(注)お由羅騒動
:藩主・島津斉興の正妻の息子の「斉彬」派と、側室
(お由羅)の息子の「久光」派との後継争い。
この後継争いで、斉彬派が、「斉彬の弟が早世したのは、
お由羅が呪詛(じゅそ)して、呪い殺したためだ」と主張
したため、「お由羅騒動」として有名になりました。
いったんは、久光派が勝利し、斉彬派の中心人物4名は
即切腹、斉彬派の他の四十数名も遠島などに処せられ
ました。
最終的には、斉彬が、老中・阿部正弘と組んで、密貿易の発覚
を理由に斉興の引退を求め、斉彬を後継とすることで決着
しました。
(大河ドラマの西郷どんの衣装)
(中庭)
写真は「謁見の間」ですが、「西郷どん」のシーンと同じ
様に、テーブル、椅子、薩摩切子のグラスが置いて
ありました。
謁見の間の奥の部屋は、床の間がある書院造です。
写真の「御居間」の縁側からは、錦江湾と桜島がよく
見えます。
(寝室:御寝所)
(風呂)
(トイレ)
「仙巌園」バス停から、1日乗り放題「カゴシマシティビュー」
巡回バスに乗り、出発点の鹿児島中央駅に戻ります。
鹿児島中央駅から九州新幹線に乗り、熊本の実家に戻り
ました。