(写真は、玉川東 陸閘(りっこう))
等々力渓谷の散策を終え、多摩川の堤防に上がって、
上の写真の玉堤通りを横切り、多摩川の河川敷に下りて
歩いて行きます。
写真は「下野毛排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水を
ここから多摩川に流しています。
自動車専用道路の「第三京浜(多摩川橋)」の下をくぐり
ます。
お腹が空いてきたので、多摩川沿いのフランス料理
「ルナティック」に入ります。
先ず上の写真の販売機で食券を買ってから席に着きます。
テラス席で多摩川の風景を眺めながら食事します。
(エスカルゴ:980円)
(牛フィレステーキ:1,860円)
(トッピング用のキャビアとトリュフ:490+490円)
(牛肉たたきカルパッチョ:960円)
(デザート)
フランス料理店・ルナティックを出て、田園都市線の
「二子玉川駅」を目指して、多摩川の旧堤防の上を
歩いて行きます。
旧堤防は、多摩川の堤防から100メートルくらい離れた陸側
に、写真の様に、土塁の形で築かれています。
写真は、二子玉川駅の手前の「玉川東 陸閘(りっこう)」
です。
「陸閘(りっこう)」とは、土手の一部を切断しておいて、
緊急時には、その土手の一部を開閉する堤防のことです。
この場所に「陸閘」が設けられたのは、以前に、ブラタモリの
「二子玉川・玉川 やなぎや」でもやっていましたが、以下の
理由によるものです。
明治から昭和の初期までは、この陸閘の辺りの多摩川に面した
場所は有名な行楽地でした。
料亭などが建ち並び、川の景色を楽しみながら食事をしたり、
屋形船での川遊びもしていました。
大正3年、二度の大洪水が多摩川を襲ったのを契機に、多摩川
の河口からここ二子橋の間の改修工事が始まりました。
しかし、この辺りの多摩川沿いに建ち並ぶ料亭が、「眺めが
悪くなる」として猛反対しました。
そこで、洪水時には立ち退くことを条件に、現在の多摩堤通り
沿いに築堤されて、料亭は築堤の外に残ることが許され
ました。
つまり、料亭街を除いた形で堤防が築かれ、いざという時の
脱出経路として、陸閘(りっこう)と呼ばれる、手動で開閉が
出来る堤防になりました。
しかし、その後、築堤の外に残った料亭は次第にさびれて
宅地になっていきました。
写真は、現在の堤防と旧堤防(陸閘)の間にある
「二子の渡し」跡跡です。
旧堤防の上を歩いて行くと、上の写真の二子玉川駅のホームの
手前に、私が住んでいたマンションがあります。
そう、この写真がそのマンションです。
え・・・?
ウソ~!!・・・?
我が家だったマンションが無い!
去年来たときには、ここに私が住んでいたマンションが確かに
あったのに?!!
慌てて旧堤防を駆け下りると、建て替え工事中の表示が・・・
(建て替え工事後の完成予想写真)
東急田園都市線の下をくぐって、二子玉川駅の東口に
出ます。
こちら側の旧堤防は、「玉川西 陸閘」です。
田園都市線の「二子玉川駅」から乗車して、あざみ野駅経由で
新横浜に帰宅しました。