(写真は水前寺公園)
母の介護のために、熊本に帰省しました。
久し振りに、国の名勝・史跡である「水前寺公園」
(水前寺成趣園)へ行ってみました。
子供の頃は、よく遊びに来ていましたが、当時は、
公園の池には、阿蘇山の伏流水が常にこんこんと
湧き出ていました。
しかし、前回帰省した時は、池の湧水が少なく
なって枯れかけていました。
(前回帰省時の水前寺公園の池の湧水の状況
については「水前寺公園散歩」を見てね。)
ちなみに、歌手の水前寺清子は、この水前寺公園
からとった名前です。
熊本城から市電で15分、水前寺公園で下車
します。
矢印に従って少し歩くと直ぐに参道があります。
園内に入ると、桃山式の美しい回遊庭園が
広がっています。
(入園料400円)
水前寺公園は、肥後細川藩の3代藩主の「細川
忠利」が築きました。
水前寺公園の正式名称である「水前寺成趣園」は、
中国の詩人の陶淵明の詩に由来しています。
ここの回遊庭園の風景は、東海道五十三次に
なぞらえており、左端の芝の山を富士山に
見たてています。
池の周りを中心に、築山や松などを眺めながら
散策出来ます。
園内に入ると、直ぐ右手に、風雅な茅葺の建物の
「古今伝授の間」が建っています。
この茅葺の建物は、もともとは戦国時代の細川家
中興の祖である「細川幽斎」(細川藤孝)が
京都御所の中に建てたものでした。
当時、八条宮智仁親王(後陽成天皇の弟)に、
古今和歌集の解説の奥儀を伝授した場所である
ことから、この「古今伝授の間」の名前が
付きました。
細川幽斎が、智仁親王へ古今伝授を行っている
最中に、関ケ原の戦いが勃発しました。
幽斎は、領地の丹後の田辺城に引き返しますが、
石田勢1万5千に対し、田辺城に籠城した幽斎勢
は僅か5百でした。
死を覚悟した幽斎は、古今伝授の修了書を
智仁親王へ送り届けました。
これを聞いた後陽成天皇は、古今和歌集の奥儀の
伝授が途絶えるのを恐れ、勅命を発して石田勢の
囲みを解かせたので、幽斎は助かりました。
この「古今伝授の間」は、大正元年に京都御所
からここへ移築され、現在では一般公開されて
います。
落ち着いた書院づくりの屋内では、400年以上
過ぎても色あせない往時のきらびやかな面影を
見ることができます。
私は、写真のお茶とお菓子(望月)のセット(700円)
を注文します。
望月は、熊本の銘菓で、ふわっと卵白で仕上げた
滑らかな淡雪の様な皮の中には、黄色い卵餡が
たっぷり入っています。
細川のお殿様になった気分で、お茶とお菓子を
頂きながら庭園を眺めます。
湖畔に佇む建物の内部から眺める庭園は絶景です。
贅沢なひとときです。
古今伝授の間を出て、回遊庭園を一回りします。
(水前寺公園を造った細川藩3代藩主・細川忠利
の像)
(戦国時代の細川家中興の祖:細川幽斎の像)
お昼時になったので、水前寺公園を出て、市電で
熊本市の繁華街に戻ります。
上通町の「こむらさき」で、ニンニクがよく
効いた熊本豚骨ラーメン(特性チャーシュー
:1,200円)を食べます。
また、次の日には、下通町の「黒亭」の熊本豚骨
ラーメンも食べましたが、こちらもお薦めですよ。
ps.
九州の観光スポットについては
「中山道を歩く」の末尾をご覧ください。