![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2d/9de41559909614b381c62d1ff625f9db.jpg)
(写真は、旧見付学校)
旧東海道は、国道1号の左側を並行して走り、やがて国道1号
を斜めに横切り、1号線の右側に変わります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d1/44fdba4985f95e8739661de91b58172e.jpg)
「東海道五十三次ガイド」によると、この旧東海道と1号線
とがクロスする地点が、遠州の鈴ケ森の処刑場の跡で、
打ち首になった白浪五人男のリーダーの日本左衛門が獄門
にかけられた供養塔がある、と書いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
遠州鈴ケ森の看板を見つけて、直角に近い石垣の急な石段
を、手すりにつかまりながら登ります。
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階段を登った所は、雑草が生い茂り、6畳一間くらいの狭い
スペースしか無く、そこに石碑が二つ建っていましたが、
説明板も何も無く、石碑の字も読めないので、日本左衛門の
供養塔なのかどうか、よく分かりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/95/7202e687a06e9fc8be51a794a4a94bf6_s.jpg)
遠州鈴ケ森から暫く歩くと、見付の宿場町に入った感じで、
街道沿いには、問屋場跡などの丁寧でわかり易い案内板が
続きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/7d/e0cec4ccdb8a39e83230dace84b80c08_s.jpg)
脇本陣跡の門は、江戸時代のそのままの門が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/0b/37b4a758677fbec59198f926dae564c9_s.jpg)
「見付」と言っても、皆さんはピンと来ないと思いますので、
あのサッカーのジュビロ磐田の「磐田市」と言った方が良い
かもしれません。でも、それにしては、町の中には、
ジュビロ磐田のポスターがほとんどないし・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/soccer.gif)
それに、こんな小じんまりした小さな町で、あんなに強い
サッカーチームが何故成り立つのでしょうか?
う~ん?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
熱狂的な町の風景を想像していたので意外でした。
街道を更に進むと、冒頭の写真の旧見付学校がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
「旧見付学校」は、現存する日本最古の洋風木造建築の校舎
だそうです。洒落たデザインの素敵な建物ですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
見付宿のメインストリートは、歩道の幅が広くて歩き
易いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/b0/22a3dd1a8a32f5236e2fdd26b755abf8_s.jpg)
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日没が早いので、見付宿の南の端のJR磐田駅から、JRに
乗って宿を予約している浜松駅に向かいました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
次の日は、浜松から磐田駅まで戻ってスタートする予定です。