ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 36-1:蔦木)(長野県諏訪郡) 2021.10.11 

(写真は、蔦木宿本陣の表門)

 


「蔦木(つたき)宿」は、本陣1、問屋2、旅籠15軒でした。

1604年、江戸から甲府までの甲州道中が整備され、その後、

下諏訪まで延長されました。

 

蔦木宿は、1611年に新設された宿場で、東西に桝形が

配されました。

 

宿場町は、約490メートルの長さですが、何と、6回も

大火に見舞われています!

 

宿場町に入ります。

 

 

 

 

少し歩いて行くと、上の写真の「桝形道路碑」がありますが、

ここが「東桝形」です。

 

この桝形を抜けると、国道20号に突き当たるので、右折して

国道沿いに歩いて行くと、右手には、以下の写真の1417年

創建の「三光寺」があります。

 

 

三光寺の本堂には、写真の様に武田家の家紋が輝いています

が、これは、ここ信濃の国の上蔦木の地が、元来は甲斐の

武田氏の領地だったためです。

1582年、長年敵対関係にあった甲斐の武田氏と信州の諏訪氏

(現在の長野県諏訪郡)が和睦を結びました。

和睦の証として、甲斐の武田信玄の父の武田信虎は、信州の

諏訪頼重に、自分の3女の祢々(ねね)を嫁がせました。

その婚姻の際、武田信虎は、祢々の化粧料として、上蔦木を

含む武田領の18ケ村を諏訪氏に引き渡しました。  

このため、ここ上蔦木村は、甲斐領から諏訪領になりました。

それにしても、嫁ぐ娘の化粧料が18ケ村とは凄い!

スケールの大きな話だな~、驚き!

 

三光寺の隣に「十五社大明神」があります。

石鳥居の先の石段の上に、社殿がありました。

 

十五社大明神では、諏訪大社と同様に、七年に1度、御柱祭が

行われるそうです。

 

社殿には、その御柱の先端に取り付けるための「めどでこ」が

奉納されていました。

説明版によると、「めどでこ」とは、写真の様に、棒に縄の輪

をくくり付けたもので、氏子はこの輪に足を入れて、体を安定

させるのだそうです。

 

上蔦木の交差点まで歩いて行くと、右手に、上の写真の

「本陣 大阪屋源右衛門」跡があります。

写真の「本陣表門」は、1864年の大火後に建て替えたものだ

そうです。

 

本陣門の裏には、上の写真の「与謝野晶子歌碑」があり、

「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 

歩む夕暮れ」の歌が刻まれています。

晶子は、この地を訪れた際に、前述の三光寺に宿泊して2首を

詠みました。

本陣表門の先の右手に次頁の写真の「御膳水」があります。

明治39年頃、蔦木宿の街道筋には、この御膳水も含めて

16ケ所の水道施設が造られ、昭和26年頃まで使用されて

いたそうです。

御膳水の脇には、上の写真の与謝野晶子の歌碑があり、

「白じらと 並木のもとの 石の樋(ひ)が 秋の水吐く 

蔦木宿かな」の歌が刻まれています。

 

以下は、蔦木宿の町並みですが、家々には写真の様に、

旧屋号札が掲げられています。

 

 

 

 

 

 

 

蔦木宿の外れを左折すると、次頁の写真の「枡形道址碑」が

ありますが、ここが「西枡形跡」です。

道なりに右折し、正面のY字路を左手に進み、右に入ると、

対の常夜燈や甲子塔などがあります。

ここまで歩いてきたところで、股関節に違和感が・・・

次の金沢宿の近くの「JRすずらんの里駅」までは、

ここからは13キロもあり、その間は、電車もバスも

タクシーも無い交通機関空白地帯です。

ここでギブアップです!

JR中央本線の最も近い駅を目指して緊急避難します。

上の写真の西枡形跡の出口で、国道20号に突き当たった

ところを右折し、上蔦木の交差点まで戻ると、

下の写真の「信濃境駅」の道標がありました。

この道標によると、崖道を上る自動車道(県道195号)を、

約3キロ歩いて上って行けば、最寄りのJR信濃境駅が

あるみたいです。

道路標識の左下には、上の写真の様に、標高727メートル

標識が設置されています。

 

道標に従って、自動車道の上り坂を歩いて行きます。 

延々と上り坂が続くので、息切れがして苦しくなって

きました。

リュックサックの重みが肩に食い込みます・・・

少し股関節が痛み始めました・・・

何度も坂道の途中で休みながら、時間をかけて、ゆっくり

ゆっくり坂道を上って行きます。 

 

標高標識が、727メートルから850メートルに

上がりました。

 

 

 

 

 

スタートで727メートルだった標高標識が922メートルに

なりました。

 

 

ようやく、何とか信濃境駅に着きました!  

 

駅のホームには、写真の様に、ここ信濃境駅は、ドラマ

「青い鳥」の清澄駅の撮影現場です、と書かれています?

 

インターネットで調べると、「真の幸せを求めてさまよう男女

の姿を描いた、豊川悦司主演のラブストーリーだそうです。

 

主人公の理森(豊川悦司)が駅員としてこの駅で勤務して

いましたが、この田舎の平凡な駅員が、愛した人妻とその娘と

共に全国を逃避行する物語。」とありました。

 

私は一度も見たことがないので、何ともコメントのしようが

ありませんが・・・

 

 

信濃境駅から列車に乗り、韮崎駅のホームで、前回食べて

美味しかった「ワインのめし」とワインを買って、

特急列車に乗り換え、この駅弁を食べながら、八王子経由で

新横浜に帰りました。

 

 


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コメント一覧

ウォーク更家
コスモタイガーさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、この第6波では、街道runへのモチベーションもあがりませんよね。

私は、5街道踏破を終えて、街道歩きは現在休眠中で、ブログ用の甲州街道の残りの写真を整理中です。

ええ、信濃に入国して、ゴールまであと一息です。(実際にはゴールしていてブログで追っかけ中ですが・・・)

そうなんですよ、この辺りの川沿いの甲州街道が、崖の上の中央本線と離れているために苦労の連続です!

当時の軍用道路として整備されていた時代に比べると、現代ではすっかり、限界集落が続く微妙な旧街道です・・・( ;∀;)
コスモタイガー
微妙な距離
https://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
随分ご無沙汰になってしまいました。
第6波もあって、街道runへのモチベーションも高まらない今日この頃。
慣れないテレワークにも四苦八苦です。

さてさて、もうまもなく信濃に入国ですね。
もう一息じぉないですか!

この辺の甲州街道は、ホントに微妙に中央本線と離れてますよね。
軍用道路として利用価値の高かった当時の甲州街道も、現代ではちょっと微妙な旧街道、というイメージがあります。
ウォーク更家
tadaoxさんへ
奥まで分け入って信濃堺駅までたどり着く道中、本人の私は、ホントに駅にたどり着けるのか?、ハラハラドキドキのしどうしでした・・・(-_-;)

武田氏と諏訪氏の敵対と和睦、政略結婚など、戦国時代を生き抜くのはホントに厳しくて大変だと、当時の史跡を見物しながら実感します。
戦国時代に生まれなくてホントに良かった!
tadaox
歴史の機微
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/97b626ae5fe20ccaaaf09f0af5d548c2
(ウォーク更家)様、いよいよ奥まで分け入って、信濃堺駅までたどり着く道中、ハラハラしました。
武田氏と諏訪市の敵対と和睦、政略結婚など、戦国時代を生き抜くのも大変ですね。
今回もいろいろ勉強させていただきました。
ウォーク更家
iinaさんへ
そうなんですよね、蔦木宿も寂れてしまったいわゆる限界集落なのですが、それでも旧宿場町はもいつもの通りに歩きこたえがありました。

よくご存じですね、信玄は父の信虎を追放し、和睦した諏訪頼重を攻め落とし、頼重の娘を側室として迎え生まれた子供が勝頼で、勝頼で武田氏が滅亡して・・・
ホントに、歴史はめぐり巡って面白いですねえ。
iina
歴史の皮肉 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/9ca772fbe1611588d8703b880b734acc
「蔦木(つたき)宿」もいつもの通りに歩きこたえがありましたね。

武田信玄は、父の信虎を追放し諏訪頼重を攻め落とし、頼重の娘を側室として迎え、後に信玄の子・勝頼を生みます。
歴史は、めぐり巡って暗転するものです。


> 蔦木宿は、1611年に新設された宿場で、東西に桝形が配されました。
足柄道も、そのころ1618年に箱根路ができて、官道ではなくなり足柄街道と呼ばれるようになったということでした。

きようは、金太郎の古里を訪ねました。

ウォーク更家
hide-sanさんへ
ええ、信濃境駅までの標高差は大きく、結構きつい坂で、何とか最後まで堪えました。

田舎の宿場町は、どこもこの様な感じで、昼間でもほとんど人影がありません。

空き家も散見されますが、人が住んでいる気配の家の方が多いので、多分、皆さん高齢者で家に籠っているのでしょうね。

たまに、田や畑には農作業の人がいたりして、挨拶しようとすると、人の場合より案山子の場合の方が多いです・・・(-_-;)
hide-san
標高
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
信濃境駅まで標高922mは関節痛が無くても、
結構きつい坂ですよね。

それにしても古い家並みがありましたが、、
人は住んでいるのでしょうか、
写真では人影が見当たりませんが・・・
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