ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿   :川崎側)   2022.6.23


(写真は、川崎宿名物の万年屋の「奈良茶飯」の包み紙)

 

 


前回は、六郷橋を渡って東京側へ下り、落馬止め天神と

旧六郷橋橋門を見物してから、六郷橋を引き返して、

前頁の写真の川崎側の橋の袂へ戻って来ました。

前頁の写真の赤い灯篭は、川崎大師への道標となる灯篭です。

川崎側の六郷橋の脇には、前回は見落としていましたが、

上の写真の「明治天皇六郷渡御」の碑がありました。

(前頁の赤い灯篭の写真の左端の石碑が、明治天皇六郷渡

 御碑)

明治元年、京を出発された明治天皇は江戸に入られました。

この頃には、未だ多摩川には橋が架けられていなかったので、

急遽、対岸まで船を並べて板を敷き、 その上を明治天皇が

渡られたそうです。

この六郷渡御碑には、その時の様子を描いた青銅レリーフの

「武州六郷船渡図」が、次頁の写真の様に、石碑の側面に

埋め込まれています。

また、その横には、上の写真の「長十郎梨のふるさと」の碑も

あります。

これは、明治時代、この近くの大師河原村では梨栽培が

盛んで、ここの長十郎という屋号の梨農家の名前から

「長十郎梨」と呼ばれたそうです。

 

第一京浜の六郷橋の下の道を川崎の中心街へ向かいます。

 

六郷橋の橋の下で、第一京浜と別れて「旧東海道」に

入ります。

江戸時代、東京側から多摩川を渡し船で渡り、六郷橋の

船着き場につくと、直ぐに「川崎宿」に入りますが、

この辺りには、旅籠や茶店が並んでいました。

その中でも、特に「万年屋」は「奈良茶飯」が評判の宿

でした。

(万年屋の奈良茶飯:江戸名所図会)

ここからの「川崎宿」は、京急川崎駅の南側に位置する繁華街

を歩いて行きます。

(川崎宿については、

「東海道を歩く・川崎宿」

「再び東海道を歩く・かわさき宿交流館」

「バスで行く東海道・日本橋~神奈川」を見てね。) 

 

 

写真は、「田中本陣跡」です。

説明版によると、本陣の主の「田中休愚(きゅうぐ)」は、

本陣・名主・問屋役の三役を兼務していました。

また、休愚は、六郷の渡しの権利を譲り受けることによって、

渡し舟を川崎宿の収入にし、宿場の財政を建て直し、川崎宿を

繁栄させました。

写真の店は「東照」ですが、この店では、「万年屋」で売って

いたという「奈良茶飯」を買うことが出来ます。

 

 

2011年の東海道踏破のときに買って美味しかったので、

今回も買います。(756円)

 

 

 

旧東海道沿いの写真の「宗三寺」を過ぎると、御休み処

「東海道かわさき宿交流館」(無料)があります。

 

私は、この交流館のオープン時に行きましたので、今回で

2回目の訪問です。            

ここは、川崎宿の歴史や文化の展示と、地域交流の拠点施設

として設けられています。

 

1階は、「万年屋」の部屋を再現したもので、ガイダンス映像

を見ることができます。

2階の展示場には、川崎の宿場町の模型で、川崎宿を俯瞰

出来ます。

 

 

 

(記念撮影スポット)

 

 

 

(明治末期の東海道)

 

 

3階の展示場は、川崎出身の有名人の写真などです。

 

江戸時代の本陣の主の紹介や、日航機墜落事故で亡くなった

川崎出身の坂本九さん等が紹介されています。

 

 

 

「東海道かわさき宿交流館」を後にして、もう少し旧東海道を

歩きます。

旧東海道と市役所通りとの交差点付近に上の写真の

「問屋場跡」があります。

問屋場は、人馬の継立を行うところで、人足や馬を準備し、

また荷の重さを量る貫目改めを行っていました。

以下の2枚の写真は、上の案内板の絵と写真を拡大したもの

です。

(川崎宿大師河原)

(昭和17年頃の現在地)

間もなく、右手のずっと奥にJR川崎駅が見えました。

JR川崎駅の東口から乗車して横浜に帰りました。


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コメント一覧

ウォーク更家
tadaoxさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、川崎市も最近、川崎宿の保存や展示に力を入れはじめたみたいで、見どころ満載になってきました。

そう、宿場町だったころの旅人と商人の交流がもたらす名物やエピソードが残っているのは、川崎が身近な町だけに楽しいです。

食べてみて、現在の「おこわ」に近い味で、現代人が食べてもとても美味しいので、江戸時代に大ヒットしたのも頷けます。

明治天皇の舟渡しも、そんなに昔ではなくて明治時代の話であることを考えると面白いですね。
tadaox
川崎宿
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/97b626ae5fe20ccaaaf09f0af5d548c2
(ウォーク更家)様、おはようございます。
今回の川崎宿、見どころ満載ですね。
身近な町ですが、やはり宿場町だったところには、旅人と商人の交流がもたらす名物やエピソードが残っているものですね。
表題の写真に奈良茶飯風「おこわ」とありましたが、茶葉の風味を生かしたこわ飯なんですかね。
古風で日本的な感じで食べてみたいです。
明治天皇の舟渡しも面白かったですが、船橋の地名に行きく発想がいいですね。
楽しく読ませていただきました。
ウォーク更家
hidebachさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、考えてみると、今回で4回目の東海道です。

東海道は箱根までただ歩いただけとのことですが、私の場合も、1回目は、何も予習せずに、何も見ないでひたすら歩いただけでした。

その反省から、2回目は、歴史の先生がガイドをしてくれる旅行社のバス旅行に参加しました。
それがこのブログの中の「バスで行く東海道」シリーズです。

この先生のおかげで、全く歴史に興味が無かった私は、歴史に目覚めました!(-_-;)
hidebach
こんにちは
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
>「東海道を歩く・川崎宿」、「再び東海道を歩く・かわさき宿交流館」、「バスで行く東海道・日本橋~神奈川」を見てね。) 

3個のブログ+今回で4回目になりますね。

大変興味深く拝読しました。
ボクも東海道は箱根まで歩きましたが、
ただ歩いたと言うだけでしたね。
周りをよく見ない打歩いていました。
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
大和鶴間のイトーヨーカドーですね。ありがとうございました。
iina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d2b6d1d735e97f83fd5b3fd6cf488ddc
> ショッピングモールのトイロパークというのは何処にあるのでしょうか❔
興味をもたれましたか。

冒頭写真をクリックすると次のページを表示するように仕掛けてます。
ソコの「TOYLO PARK powered by リトルプラネット」をクリックしたら所在が分かります。お手数です
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a410f04c9cb26f1c08615b30651318a1

ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、「東海道かわさき宿交流館」は、川崎宿の歴史や文化の展示内容が充実していて、視覚的で分かり易いですし、色々と勉強になります。

そうですか、富山の神通川でも、同じように、舟を橋にして渡っていたのでしたか。

千葉の船橋の地名の由来もこれかも知れませんね。
もののはじめのiina
川崎宿
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/12dcf43dec8e3099070fbb874f8998d0
「東海道かわさき宿交流館」が面白そうですね。
川崎宿の歴史や文化の展示を学べそうです。

> 対岸まで船を並べて板を敷き、 その上を明治天皇が渡られたそうです。
富山の神通川でも江戸時代だったか、舟をこのように橋にして渡っていたと富山城内に説明していました。昔の知恵ですね^^


「風の盆恋歌」に描かれた酔芙蓉は、八尾にはなかったらしく、この小説の影響から風の盆期間に酔芙蓉の鉢植えを持ち込んだようです。

      「 夕されば 酔ひて散り行く 芙蓉花に わが行く末を 重ねてぞ見る 」

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