(写真は、鶴川宿の町並み)
甲州街道の「上野原宿」を出て、「鶴川」を「鶴川橋」で
渡ると「鶴川宿」です。
“人足による川越”が行われていた「鶴川の渡し」が、現在の
鶴川橋の少し下流にありました。
「鶴川」は、甲州街道で唯一の「川越(かわこし)河川」で、
増水期には「川越(かわこし)人足」を置いて、川越賃銭を
徴収していました。
また、冬の渇水期には、仮橋を架けて、橋銭を徴収して
いました。
甲州街道には、鶴川以外にも笛吹川等の橋のない川は数カ所
ありましたが、これらの川は全て渡船で、鶴川が唯一の
川越河川でした。
旅人は鶴川の番所を手形で通過できても、川越ではそうは
いかず、番所役人よりも川越人足の方が怖かったそうです。
甲州街道は、人通りが少ないため、川越人足の収入は少なく、
生活の苦しさから、他国の旅人から大金を強請する事が
多々ありました。
更に大きな事件になってしまった例もあり、特に有名なのは、
歌舞伎の団十郎一座が、川越人足によって川に突き落とされた
というエピソードです。
もっとも、この話にはオチがあり、団十郎の祖先が武田氏に
仕えていたのに対し、川越し人足の祖先は、武田勝頼を
裏切った小山田氏の家臣だったから、というものです。
「鶴川宿」は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠8軒でした。
鶴川は都留川とも書かれ、鮎が名物でした。
鶴川宿は、小さな宿場町でしたが、鶴川が川留めになると、
大いに賑わいました。
鶴川を渡り、「鶴川宿」に入ります。
宿場町の入口に、写真の「鶴川宿碑」 がありました。
先に進むと、上の写真の1688年建立の「萬霊塔」が
あります。
萬霊塔は、人も獣も広く生あるものの霊を祀るための塔です。
宿場町の左手には、前頁の写真の1661年創建の鶴川村の
鎮守の「牛頭天王(ごずてんのう)社」がありました。
宿場の中心部分には、上の写真の問屋も兼ねていたという
「柏屋脇本陣」跡があります。
その隣りは、上の写真の「旅籠澤田屋」跡です。
上の写真のは、「加藤家・問屋場」跡です。
以下は、宿場町の町並みです。
江戸時代の古い民家は残っていませんが、新築の家も宿場町の
調和を保った造りで、町並み全体が落ち着いた雰囲気です。
宿場町の端に、「富田本陣」があったそうですが、現在は
上の写真の「老人ホーム・あいらーく鶴川宿」になって
います。
この辺りが、宿場町の西の枡形で、街道は直角に曲がり、
左折します。
その先は、「旧甲州街道(大月・甲府方面)」の標識に
従って、次の野田尻宿を目指して、坂を上って行きます。