ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(48-2:細久手:物見峠)  岐阜県瑞浪市 - 2015.09.24


(写真は、熊を捕獲するのための「箱罠」)
遅い朝食を済ませて、細久手宿の本陣「大黒屋」を出て、次の
御嵩宿へ向かいます。

本日も、横浜のYさんと、御嵩宿まで、抜きつ抜かれつの道中
となりました。
小さな宿場町の右手には、本陣跡碑だけがありました。




細久手宿を抜けると、中山道は広い舗装道路になりますが、
右手の土手の上には、「九万九千日観音」とも呼ばれる写真
の「細久手の穴観音」があります。

これは、縁日に拝むと、九万九千回分のご利益があると信じ
られていたからだそうです。

右手に「津島社」の小さな祠を見ながら進みます。


やがて、中山道は上り坂の山道になって、林の中を抜けると集落に出ます。


直ぐに、左からくる広い道に合流し、平岩橋を渡ると、再び
急な上り坂になります。






カーブを描きながら急な坂を上ってゆくと、
「左 中仙道西の坂」の石碑がありました。




その脇道の坂を上りきった所に、写真の「秋葉坂の三尊石屈」
がありました。





ここから先は、「鴨乃巣辻の道祖神」や「右 鎌倉街道」石標
などを見ながら、中山道は上り下りを繰り返して進んでゆきます。




途中には、例によって「クマ出没注意」の看板がありますが、
すっかり慣れっこになってしまい、もう驚きません。

でも、その先に・・・ ん? 何・・・?
「注意 この”箱ワナ”に近づかないで下さい。」

わっ~!
熊出没の看板だけではなくて、ついに、中山道の脇にまで、
熊を捕獲するのための「箱罠」が!
緊張感が走ります・・・
恐る恐る「箱罠」の脇を歩いてゆくと、やがて、街道の両脇に
「鴨乃巣(こうのす)の一里塚」が見えてきました。



地形の関係から左の塚と右の塚が16メートルズレている
ので有名なのだそうです。
一里塚に何か立て札が刺さっています?
近づいてみりと、何と!、

ご丁寧に、一里塚にまで「”この付近で”熊の目撃情報が
ありました」の立て札が刺してあります!
何だか、熊が近くにいる様な気がしてきました・・・
一里塚を過ぎると、山道は、長い下り坂になりますが、その
途中の石垣の脇に、酒造業を営んでいた「山内嘉助屋敷」跡
の石碑がありました。






やがて、中山道は、民家の庭先を抜け、曲がりくねった急な坂
を下っていくと「津橋の集落」に出ました。



津橋の集落から、再び、急な上り坂の山道になり「御殿場」
方面へ、延々と上っていきます。



山道の「諸の木(もろのき)坂」を上りきると「物見峠」で、
写真の「馬の水のみ場」がありました。

説明板によれば、五軒の茶屋と馬の水のみ場があったそうです。
右手の階段を上ると、皇女和宮が降嫁の際に休憩されたという
「御殿場」見晴台です。




「続膝栗毛(第二部)」(静岡出版)(1,500円)では、
細久手宿~御嵩宿で、弥次さん喜多さんが遭遇した
”生き仏と死に仏の取り換え騒ぎ”について、次の様に
書いています。

弥次さん喜多さんの前を、供の男を一人召し連れた勅願所の
和尚が、問屋の人足に担つがせた乗り物に乗って行きます。
人足の中の一人は、坊主権太という呼び名で、坊主頭に鉢巻姿
で、黒い衣を着た、変わった格好の人足です。
坊主権太は、勅願所(ちょくがんじょ)という御絵符(天皇家
が祈願する格式の高い寺院の印)を挿した箱を担いで、人足の
親方と話しながら、二人で乗り物の後を歩いています。
弥次さん:”坊さんの雲助は珍しい。”
坊主権太”:俺は御嵩の暴れ坊主で、昨晩も、通夜で飲み
過ぎた。酒を毎晩飲みたくて、坊主の仕事の片手間に、
この様な駕籠の人足もやっている。”
二人がこの様な話しをしていると、その後ろから、”南阿弥
陀ァ~”と念仏を唱える葬式の列が、この乗り物に追いつき、
並びます。
葬式の列の先頭は、念仏講の頭分です。
念仏講の頭分:”やあ~!、坊主権太ではないか。俺は、
念仏の音頭取りは苦手だから交代してくれ。”
頼まれた坊主権太が、叩き鉦を受け取り、念仏講の頭分が、
代わって御絵符の箱を担ぎます。
坊主権太:”南阿弥陀ァ~”
すると、葬式の棺桶を担ぐ人足が、勅願所の和尚の乗り物を
担ぐ人足に頼みます。
葬式の人足:”やあ~、問屋の人足じゃあないか。えらく
重たい仏様なので、代わってくれないか。”
そこで、葬式の棺桶の人足達と、勅願所の和尚の乗り物の人足達が交代します。
ところが、葬式の人足達は、皆、頭に三角の白い布をつけて
いて、うっかり、そのまま、葬式のお寺に入ってしまいます。
勅願所の和尚は、危うく、葬式の仏様と間違われそうになります!!
葬式の人足達が、間違いに気付き、慌てて引き返そうとした
ところで、寺に入って来た葬式の棺桶と衝突してしまい、
死体も勅願所の和尚も、放り出されてしまいます。
そこで、弥次さんが一句。
”すでの事 死んだ仏と 間違いて あぶなく寺へ 
 いきぼとけさま”
(すんでの事に、死んだ仏に間違えられて、危なく寺へ行って、生き仏にされるところだった。)



(栗がたくさん落ちています。)
皇女和宮が降嫁の際に休憩されたという「御殿場」見晴台から
先は、下り道となり、途中に下の写真の「唄清水」があり、
脇に句碑が立っています。



 ”馬子唄の 響きに浪たつ 清水かな”(五歩)
中山道は、やがてアスファルト道路に出ますが、この左手に
写真の「一呑(ひとのみ)の清水」があります。





太田南畝も仁戌紀行で触れており、皇女和宮も飲まれたという
名水です。

一呑の清水から、一度アスファルト道路に出ると、右手が、
昔、十本の松並木があったという「十本木 立場跡」です。


中山道は、立場跡の先から、再び、脇道へ入って行くのです
が、写真の様に、工事車両が、その脇道の道標の前に
止まっていたため、道標を見落として、いったん行き過ぎて
しまいました・・・

アスファルト道路の途中で、行き過たことに気付き引き返します。

その工事車両の後から、再び、脇道へ入り、上ってゆくと、
その先は、「謡坂(うとうさか)」の石畳道になりました。



石畳道を上り切ると、下の写真の民家が、あり、その前に
説明板がありました。
それによると、この民家が、広重の「御嵩:十本木の立場の
夕暮れ」のモデルとなった木賃宿だそうです。

浮世絵の民家の障子には「きちん宿」と書かれています。

宿の前の左手の小川では、老婆が米を研いでおり、右手には、
手拭を被った女が、桶に汲んだ水を天秤で運んでいます。
宿の中では、主が囲炉裏に薪をくべ、周囲を客達が囲んで談笑
しています。
謡坂の石畳が終わり、再び、舗装道路に出て暫く歩くと、耳の
病気にご利益があるという「耳神社」がありました。

説明板によると、耳の悪い人がお供えしてある錐(キリ)を
一本かりて耳に当て、病気が全快したら、歳の数だけ錐を
奉納するのだそうです。

耳神社を出て、舗装道路を直ぐに右折して、山道に入ると、
「ハチ注意」の看板が!

やれやれ・・・、”熊”の次は”蜂”です・・・

そう言えば、最近、蜂の異常発生のTVニュースをよくやって
いますが、どうすればいいんだっけ?

取り敢えず、身体を低くして、ゆっくりと進みます・・・
「ハチ注意」看板の先は、「牛の鼻欠け坂」という名の急な
下り坂になりました。

説明板によると、あまりの急坂に、荷物を背負って歩く牛の
鼻が、地面に擦れて欠けてしまったそうです。

一路(上) (中公文庫)
浅田 次郎
中央公論新社


浅田次郎の小説『一路』では、一路の一行の「牛の鼻欠け坂」
での様子を以下の様に書いています。

 ”峠道は次第に勾配を増した。
  別名を「牛の鼻欠け坂」と称する難所である。

  ブチ(お殿様の愛馬の名前)は、まさしく鼻づらの
  舐めそうな急坂を、健気に登り続けた。

  やがて白い鬣(たてがみ)から湯気が立ち昇り始めた。
  しかし、ブチはけっして歩みを緩めようとは
しなかった。”

この「牛の鼻欠け坂」の急坂を下り終わると、狭い
アスファルト道の田園風景になりました。

ようやく、山間部を抜けて、平地に辿りついた感じです。
「和泉式部(いずみしきぶ)日記」で有名な「和泉式部」
廟所の矢印に沿って進むと、民家の裏手に廟所がありました。

案内板によると、和泉式部は病いに倒れこの地で没したそう
です。

廟所の横には、
 ”一人さへ 渡れば沈む 浮き橋に あとなる人は 
しばしとどまれ”
の句碑がありました。

横浜のYさんと、抜きつ抜かれつで、国道21号沿いに、更に
どんどん歩いてゆきます。

やがて、左手に御嵩宿の道標があり、ここから脇道に
入ると、もう御嵩宿です。



細久手宿から御嵩宿までは、約12キロです。


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コメント一覧

更家
大黒屋は良かった
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、私はコスモタイガーさんと違って、大黒屋に泊まるしか選択肢が無かったのですが、でも泊まってホントに良かったです。
やはり、江戸時代の旅人の気分になりきって中山道を歩くためには、江戸時代からの旅籠に宿泊するのが一番だと思いました。
コスモタイガー
大黒屋
http://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
泊まられましたか!大黒屋。
うらやましいです。
私もいずれ宿泊してみたいと思いつつ、近場で日帰り圏内であることが逆に仇になってますかね。
何度も目の前を通過はしてるんですけどね・・・(泣)
更家
帰り道の大黒屋の前
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、今、帰り道で、細久手宿の大黒屋の前ですか。
細久手宿の先の稲を干している場所、田舎に住んでいた子供の頃を思い出して、何だかホッとする景色だったので、写真を撮りました。

これから和田峠にかかるので、丹波の國さんの中山道歩きの続きは、来年でしょうかね。

私の方は、平野に下りて来て、未だ穏やかな天候が続いているので、来週、美江寺から続きを歩こうか、思っています。
丹波の國から
帰りの途中に
今、細久手宿の大黒屋さんの前にいます。
私は泊まれなかったのですが、あの時御一緒させてもらい、いろいろ話しを聞かせて頂きたかったです。

同じ写真を撮っておられ、嬉しかったです。それは細久手宿を、出た先の"はざかけ"(地元の方に聞きました)稲を干している風景です。

色々とありがとうございました。今から、ゆっくりと高速使わず、丹波の里に帰ります。
更家
もう下諏訪ですか
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
もう、下諏訪ですか、かなりのハイピッチですね。

そう、塩尻峠の展望台からの景色は素晴らしいですよね。

清瀬市の方、日本橋から京都まで休まずに歩くとは!
一気に歩くという方は、初めて耳にしました。
何をしていらっしゃる方なんでしょうか、凄いですね!

和田峠は来年ですか。
結構、遅くまで雪が残っているらしいですし、標識が整備されているとはいえ、十三峠よりはるかに厳しいので、事前の十分な研究が必要だと思います。
丹波の國から
下諏訪宿まで来ました
楽しく拝見しています。

塩尻峠展望台からの景色最高でした。富士山(地元の方曰わく、11月になれば見える日が多くなるとの事)、八ヶ岳、甲斐駒、北岳と反対側は白くなった中央アルプスがよくみえました。

今回も横浜の方と出会いました(塩尻峠にて)。又、清瀬市の方は木曽平沢で会ったのですが、日本橋から一気に京都まで歩くとの事でした。
和田峠は来年になります。JRがないのでどうするか、宿題とします。
更家
アドバイスありがとうございます
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
アドバイス、ありがとうございます。
来年は、甲州街道歩きの方向で検討してみます。
hide-san
正解かも
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
甲州街道の方が面白いかもしれませんね。
更家
日光街道は淡々とした道
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、日光街道は、淡々とした道が続いてゆく感じですか。

であれば、山道が厳しい甲州街道を先にもってきて、日光街道は、もう少し年をとってからでも大丈夫、という事でしょうかね。
hide-san
淡々とした
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
淡々とした道が続いたような気がします。
更家
発想の転換:箱罠の中に逃げ込む
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
熊に襲われたら「箱罠」の中に逃げ込めばよい、なるほどね!
素晴らしい発想の転換です!

そうなんですよ、街道沿いには、お地蔵様、観音様、道祖神などが多く、旅の安全を見守っています。
そして、江戸時代の旅人は、これらを、街道歩きの目印にもしていたんでしょうね。
もののはじめのiina
箱罠
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7543dd5987e0aa9214c371c48dac7e3c
熊捕獲「箱罠」を見かけると怖気が走りますが、更家さんは鈴を鳴らして歩くほど慣れっこでした。でも、万一 熊さんに
出くわしたら、その「箱罠」の中に跳び込めば安全ですょ。

それにしても、街道沿いにお地蔵さまや観音さまが多いです。仏たちに見守られていると、旅が安全なように感じて
歩いたことでしょう。

健康寿命を延ばす意味からも、街道歩きは有効です。

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