(写真は、鹿児島中央駅の前の「若き薩摩の群像」碑)
「薩摩街道」の起点は「鹿児島宿」で、熊本宿を経緯して、
途中で長崎街道に合流し、小倉に至ります。
薩摩街道へは、古くは、豊臣秀吉が、薩摩遠征のために大軍を
率いて押し寄せました。
江戸時代には、島津斉興や島津斉彬などの島津の殿様が参勤
交代のために通りました。
また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に薩摩街道を江戸へ
向かいました。
そして明治時代、「西南の役」の際には、「西郷隆盛」軍が、
熊本城攻撃のために、薩摩街道を北上しました。
最近、「西郷どん」(2018年NHK大河ドラマ)の「西郷
どん大河ドラマ館」が取り壊されたという噂を聞きました。
「西郷どん」(せごどん:配役:鈴木亮平)関連のその他の
記念館や説明版も、順次取り壊されそうなので、今のうちに
見ておかねばと思いました。
という訳で、先月、熊本の実家に帰省した際、鹿児島空港経由
で「西郷どん」関連の施設を見学してから、熊本に帰り
ました。
鹿児島空港から帰るのは久し振りですが、昔のプロペラ機の
時代は、鹿児島空港が錦江湾岸にありました。
空港に着陸すると、眼前は噴煙を噴き上げる桜島で、
”ああ、鹿児島に着いたなあ。”、と実感したもの
でした。
現在は、鹿児島空港は山奥にあり、空港からリムジンバスで
約40分、前頁の写真の鹿児島中央駅に着きます。
鹿児島中央駅の前には、1865年に、イギリスへ派遣された
19名の留学生の「若き薩摩の群像」碑が建っていました。
1866年の薩長同盟以後、薩摩藩は、この留学生の派遣団から
ヨーロッパ情報を得て、その後の幕府軍との戦いを有利に展開
したそうです。
その後、留学生達は、アメリカやフランスに渡って留学を
続け、帰国後に、明治政府に仕えてその成果を大いに
発揮した、と説明版にあります。
鹿児島中央駅の前の道を、東へ約10分歩くと、明治維新の
有名人が多く生まれた「鍛冶町」があります。
「鍛冶町」は、鹿児島市街地の中心を流れる「甲突(こうつき)
川」沿いにあります。
上の写真のその「甲突川」は、大河「西郷どん」で、鈴木亮平
が、手掴みで鰻を獲るシーンで有名になりました。
その甲突川沿いに、上の写真の「維新ふるさと館」があり
ました。
維新ふるさと館は、明治維新を支えた英雄たちの姿を充実した
内容で展示、分かりやすく紹介しています。
(日本初の洋式軍艦・薩摩の「昇平丸」)
(篤姫コーナー)
(薩摩の食事・菓子)
特に、上の写真のメインの体感ホールでは、西郷隆盛や大久保
利通のロボットや人形などの演出で、歴史の1シーンを楽しく
学べます。
維新ふるさと館を出て、甲突川沿いから少し住宅地(鍛冶町)
に入ります。
(西郷隆盛の誕生地碑)
(大山巌誕生の地の石碑)
この狭い住宅地に、西郷隆盛、大山巌(いわお)陸軍元帥、
東郷平八郎(日露戦争の連合艦隊司令長官)、村田新八
などの明治維新の偉人達の誕生地が密集しています。
この鍛冶町辺りの狭い町の中に、明治維新の有名人たちが、
密集して住んでいたのに驚きます!
(村田新八誕生の地の石碑)
(東郷平八郎誕生の地の石碑)
鍛冶町の甲突川の川岸に戻ると、下の写真の様に、西郷らが
住んでいたという「下級武士の屋敷」が再現されていました。
1日乗り放題・600円の「カゴシマシティビュー」券を
買って、鍛冶町から、鹿児島市の一番の繁華街である
「天文館通り」へ向かいます。
鹿児島と言えば「白熊」、白熊と言えば、「天文館通り」
です。
さすが、白熊の本店だけあって、次頁の写真の様に、
「白熊」のメニューだけでも12種類もあります!
「白熊」を食べるために、わざわざ、天文館通りの白熊本店
まで来たのに、当日、余りに暑かったので、ついつい、白熊
ではなくて、食べ慣れた写真の宇治金時(740円)を注文
してしまいました・・・
う~ん、ここまで来たら、やはり、白熊を注文すべきでした
・・・
取り敢えず、喉の渇きがおさまったところで、鹿児島名物・
黒豚すき焼きの「西郷どん雅」(2,450円)を注文して、
午後の「西郷どん」遺跡巡りに備え、腹ごしらえします。