(写真は、中山道と東海道の合流地点にある草津の「追分道標」:右側が京都方面、左側が江戸方面)
(写真手前の道が中山道、右側の奥から手前への道が東海道。)
「閻魔堂」から、暫くは、住宅街の中の長い直線道を歩いて
行きます。
やがて、中山道は、栗東(りっとう)市に入り、左手に、
大宝年間(701~704)の創建という「大宝神社」の
森が見えて来ます。
神社の鳥居の奥は公園になっていて、その公園の中に「芭蕉
句碑」とその説明の碑が立っていました。
”へそむらの まだ麦青し 春の暮れ”
(「へそむら」は、江戸時代に立場だった近くの「綣(へそ)村」を指しています。)
大宝神社の前の「佛眼寺の地蔵堂」の中を覗いてみます。
説明板によると、このお地蔵さまを川から拾い上げたときに、
寒かっただろう、と頭から綿を被せたので”綿被り地蔵”
というそうですが、お地蔵様は何も被っていませんでした?
佛眼寺の地蔵堂を過ぎて、暫く殺風景な道路を歩いて行くと
草津市に入ります。
間もなく、中山道の案内図があったので、これに従い、
JR東海道線の高架下の小さなトンネルをくぐって、
東海道線の反対側に出ます。
東海道線と並行して暫く歩き、高速道路のガードをくぐると、
その先に、国の重要文化財の「伊砂砂(いささ)神社」が
ありました。
伊砂砂神社を出て、草津市の街中を進んで行きます。
更に進んで、草津駅へ向かう道路との交差点を渡ると、
中山道は、「きたなか商店街」のアーケードに入りました。
この商店街のアーケードを通り抜けた所にトンネルがあり、
これを抜けると草津宿です!
トンネルの上は、草津川の川底です!
トンネルの出口の左手に、下の写真の追分道標があり、ここが草津宿の入り口です。
追分道標には、「左 中仙道みのみち、右 東海道いせみち」
と刻まれており、ここで中山道と東海道が合流します!
守山宿から草津宿までは、5キロです。
さて、ここで問題です。
「中山道の終点」は、「京都」でしょうか、それとも「草津」でしょうか?
もしも草津が終点ならば、私の「中山道踏破の一人旅」も、
ここでめでたく完了なのですが・・・
実は、このところ、中山道のゴールを何処にするか、①~③の選択肢で悩んでいました。
①草津から京都まで東海道と同じルートをもう一度歩く。
⇒ 同じルートを同じ史跡を見物しながら再び歩くという
のは、余程、お気に入りのコースでない限り、やる気
が出ないなあ~・・・
②草津から京都に小関越えを入れて異なるルートを歩く。
③東海道と中山道の合流点の草津をゴールにする。
⇒ 東海道を歩いたことが無くて中山道を歩く人は、当然、
草津をゴールにしないで京都まで歩くんだろうなあ~・・
しかし、既に東海道を踏破した皆さんは、この後どう
しているのかなあ~?
先般、JR東日本主催の「東海道と中山道の楽しみ方講座」に出席しました。
その際、講師の先生に、”中山道の終点”は京都ですか?、
それとも草津ですか?、という質問をしてみました。
講師の回答は、「中山道の終点は正しくは草津です。従って
中山道69次ではなくて、正しくは中山道67次です。」
とのことでした。
そこで、私のこの中山道歩きは、取り敢えず、”草津を
ゴール”とすることに決定しました!
蛇足ですが、このときのJR東日本の講座の趣旨は、
「東海道”53次”は広重が間違えて広めたもので、
大阪までの東海道”57次”が正しい。」というもの
でした。
この講師の説明だと、確かに、家康が東海道を整備したとき
は、京都までの”53次”でした。
これは、当時、未だ大阪には敵方の豊臣秀頼が頑張っており、
大坂は危険地帯だったので、このときは東海道を安全な京都
迄としたそうです。
しかし、大坂の陣で豊臣が滅んだその年に、東海道は大阪まで
伸ばされて”57次”になりました。
従って、広重の時代も含めて、江戸時代の大部分の期間は、
東海道”57次”だった、というのが講座の趣旨でした。
同様の趣旨で、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の最終編
(8編)は、京都ではなくて大阪で終わっています。
ps.
この「中山道を歩く」のブログでは、「続膝栗毛」の弥次さん
と喜多さんのエピソードについて色々とご紹介してきました
が、最後に、面白い話しを一つご紹介します。
「東海道中膝栗毛」の完結編(8編)が出た5年後に、
「東海道中膝栗毛(発端)」が出版されますが、その
中で、弥次さんと喜多さんの”関係”が次の様に暴露
されています!
”弥次さんは、駿河府中の商人でしたが、旅役者の華水
多羅四郎(はなみずたらしろう)一座の「鼻之助」という男
が好きになり、江戸で”同棲”します。
そして、この「鼻之助」とは、何と!「喜多さん」のこと
だったのです!”
この弥次さんと喜多さんの”関係”については、「真夜中の
弥次さん喜多さん」として、宮藤官九郎が映画化したので、
ご存じの方も多いかも知れませんが・・・
そして、「東海道中膝栗毛」が完全に終わっても、その人気は
衰えず、「続膝栗毛」として、『木曽街道』と『中山道中』
の他にも、「木曽路から善光寺道中」、「金毘羅参詣」、
「宮島参詣」、「善光寺道中」、「上州草津温泉道中」が
出版されました。
中山道を歩く(67-2:守山:守山からゴールの草津へ) 滋賀県守山市 5km 2016.4.20
2016-08-01 18:52:15
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