(写真は、太田宿の中山道祭り。)
2011年9月、完全リタイアしたのを機に、非日常のウォー
キング「東海道53次」の一人旅に出掛け、2012年3月に
完全踏破しました。
東海道の一人歩きでは、ゴールの三条大橋が近づくにつれ
解放感の一方で、もう終わってしまうのだなという寂しさに
襲われました。
また、目標の京都を目指して、がむしゃらに歩いたので、京都
が近くなるころには膝を痛めてしまい、ほとんど歩けない状態
になっていました。
従って、辛くて長かった 街道歩きは、東海道だけで終わりにするつもりでした。
しかし、辛かった思い出は少しづつ薄れ、街道歩きの楽し
かった感覚だけが強く蘇えってきて、また”どうしても街道
歩きがしたい”という強い誘惑にかられる様になりました。
膝の痛みも消え、東海道53次の完全踏破から8カ月後の
2012年11月、再び日本橋をスタートして、中山道を京都
へ向かう一人旅に出ました。
中山道の踏破にあたり、先ず、東海道の反省を踏まえて下記
の方針を決めました。
「第1」の反省点は、東海道では途中でよく道に迷ったことです。
一人旅だったため、いったん思い込んでしまうと、
誤った道をどんどん歩いてしまい、もとの道に戻るのに
半日を要してしまったこともありました。
そこで、中山道の詳細地図が記載された「誰でも歩ける
中山道六十九次」と「ちゃんと歩ける中山道六十九次」
の2冊を携行することにしました。
これで、ほとんど途中で道に迷うことも無く、東海道の時
の様な苦労はしなくて済みました。
それでも、詳細地図に記載の無い分岐点で、右か左か判断
に苦しむことは多々ありました。
その様なときには、東海道でつかんだ”嗅覚”が大いに
役立ちました。
旧街道の独特の”匂い”に敏感になり、分岐点で直感で
判断できることがありました。
「第2」の反省点は、4か月で東海道を完全踏破するという
目標をたてて、歳も考えずに1日30キロ以上のハイピッチ
で距離を稼いだことです。
結果的に膝を痛めて、最後には1日5キロまでペース
ダウンしてしまい、その上に治癒に半年を要しました・・
これを踏まえ、中山道では、踏破の所要日数の目標を
決めず、無理をせずにペースを落とし、のんびりと
歩くことにしました。
「第3」の反省点は、東海道では、下調べもしないで、
がむしゃらにどんどん歩いたため、見落とした遺構などが
多々あった事です。
中山道では、事前に、小説の「夜明け前」、「一路」、
「続膝栗毛」等の本を読んだり、中山道を踏破した
皆さんのブログをチェックしたりしました。
この予備知識をもとに、宿場町の歴史的な遺構や風景な
を、じっくり楽しみながら歩きました。
上記の東海道の反省を踏まえて、中山道踏破をスタート
しましたが、中山道には、東海道では経験しなかった下記の
「1」~「5」がありました。
「1」:中山道の峠道は厳しい山道の連続でした。
特に、崖状の急な登り坂が続く「碓氷峠」、険しい山道が
22キロもある「和田峠」、自動販売機も無い20キロ
もの「十三峠」は、ホントの難所でした。
「2」:中山道には、交通の不便な区間があり、鉄道はおろか
バス路線もない区間もありました。
特に、望月宿~和田宿間は、中山道と並行する電車やバス
の無い交通機関の空白地帯でした。
従って、東海道のときはガムシャラに歩けば京都に着き
ましたが、中山道は、事前に僅かな本数の路線バスの
時刻等を調べて、踏破の作戦を練る必要がありました。
「3」:中山道には、東海道と違って、江戸時代の雰囲気を
漂わせる多くの宿場町が残っていました。
そして、芦田、奈良井、木曽福島、妻籠、細久手の宿場町
では、江戸時代の旅籠に宿泊して、昔の旅人気分を満喫
しました。
また、板鼻、下諏訪などの本陣跡には、ご子孫の方が
住んでいらっしゃって、先祖から伝え聞いたという、
和宮降嫁の際の生々しい様子などを、直接お聞き出来て、
歴史を非常に身近かに感じました。
そして、どの宿場町でも、私のために説明の時間を割いて
くれた宿場毎の親切な皆さん、この郷土を愛する宿場町の
皆さんのお蔭で、楽しい旅が出来ました。
「4」:木曽路の長~い街道は、木曽川沿いの美しい
心洗われる風景が延々と続きました。
途中の各宿場町も、時代に取り残された様なうっとりと
する雰囲気で、心が休まり癒されました。
名もない集落が点在する木曽川沿いの素敵な木曽路は、
もう一度、歩きたいと思っています。
「5」:中山道の山道では、常に熊除けの鈴とラジオを携帯
して、鳴らしながら歩きました。
また、峠道には、いたる所に熊除けの鐘が設置されて
いました。
でも、ブログ上では、熊、猪、マムシ等の出没情報に
ついて、少し大袈裟に騒ぎ過ぎたかなと思っています
確かに宿場町での熊の目撃情報は多くありましたが、街道
歩きの人が熊に襲われたという情報は無かったので、本音
では安心して歩いていました。
また、中山道は、江戸時代から続く街道沿いの食べ物、和宮
降嫁のお祭り、関ケ原の古戦場巡りなど、楽しいことが
盛りだくさんでした。
そして、東海道に続いて中山道も、完全に歩き通した事は
大きな達成感と自信に繋がり、私自身の気持ちのうえで、
中山道のゴールインは大きな区切りになりました。
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