( 写真は、金沢城の五十間長屋)
もともと、ここ金沢の地には、加賀の「一向一揆」
の拠点だった「御山御坊」(おやま ごぼう)と
いう浄土真宗の寺院がありました。
1580年、この「御山御坊」は、「織田信長」
によって攻め落とされ、信長から加賀一国を
拝領した「佐久間盛政」によって築城されたのが
「金沢城」のはじまりです。
その後、佐久間盛政は、「賤ヶ岳(しずがたけ)
の戦い」で「豊臣秀吉」に破れ、金沢城は
「前田利家」の所領となりました。
「前田利家」は、キリシタン大名として有名な
「高山右近」に金沢城の縄張りをさせて、金沢城を
大改築しています。
金沢城には天守閣が設けられていましたが、
1602年、落雷によって焼失し、その後再建される
ことはありませんでした。
天守閣に代わって三階櫓が建てられました。
我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、初日、
金沢駅からバスで先ず「兼六園」へ向かい、園内
の茶屋で昼食、その後は、兼六園内の1時間の
自由散策時間になりました。
私は、一昨年に見学した兼六園の散策はパスして
、兼六園の前にある金沢城を、集合時刻に
間に合う様に、駆け足で散策して来ました。
「石川門」
上の写真の様に、石川門の表門の部材に張った
筋鉄が見所です。
石川門の石垣は、下の写真の様に、様式の異なる
石垣が特徴です。
写真の左側が、表面を叩いて軽く整えて隙間に
小石を詰めた「打込み接ぎ」で、右側が、
積む前にキチンと整形してびっちりと積み上げた
隙間の無い「切込み接ぎ」です。
石垣の上は、前頁の写真の白壁と「鉛の瓦」です。
「鉛の瓦」は、戦時には鉄砲の弾になるそうです。
石川郡の方向を向いていたので石川門という名称
になったそうです。
上の写真は、右から「菱櫓」、「五十間長屋」、
「橋爪門続櫓」です。
前頁の写真は、「菱櫓」(ひしやぐら)です。
2001年に木造で復元された「菱櫓」は、
高さ11.7メートルの石垣の上に、3重3階の櫓
が建っています。
菱櫓を外側から見ると、下の写真の様に、
「菱櫓」の銅板張の「唐破風出窓」になって
います。
「三の丸広場」
上の写真の「三の丸広場」の奥に「五十間長屋」
が見えます。
「五十間長屋」(ごじっけんながや)
五十間長屋は、右側の「菱櫓」と左側の「橋爪門
続櫓」(はしづめもん つづき やぐら)を結んで
います。
2001年に木造で復元された建物で、武器などを
保管する倉庫として使われていました。
中に入って見学することができます。
これだけたくさんの木で作られているのに、釘や
ボルトは1本も使われていないそうです!
「橋爪門続櫓」(はしづめもん つづき やぐら)
二の丸の正門である「橋爪門」と、その橋爪門を
見下ろす位置にあるのが写真の「橋詰門続櫓」
です。
橋詰門続櫓は、菱櫓と同様に、3重3階の構造
です。
菱櫓、五十間長屋と同様、2001年に木造で復元
されました。
橋爪門続櫓も中の見学が出来ます。
極楽橋を渡って、三十間長屋へ向かいます。
三十間長屋は、幅3間、長さ26.5間の2階建ての
櫓(やぐら)です。
石川門と同様に、海鼠壁(なまこかべ)です。
当時のまま現存する遺構は、石川門とこの三十間
長屋です。
上の写真の赤丸印は、右から「菱櫓」、「五十間
長屋」、「橋爪門続櫓」、その手前の広場が
「三の丸跡」です。
上の地図の様に、兼六園の前が金沢城の石川門
です。