ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 37-2:金沢宿から上諏訪宿へ①)(長野県茅野市) 2021.10.27

(写真は、「寒天の里」の大看板)

 

 


金沢宿を抜けて、旧甲州街道を真っ直ぐに進むと、矢ノ口の

交差点で、国道20号に合流します。

 

この矢ノ口の交差点の右手にあるのが「権現の森」です。

権現の森の境内には、1654年建立の「金山大権現」の石祠が

あります。

武田信玄が開発した金鶏の金山は、南アルプスの北端に

ありました。

武田家が滅亡すると、金山の鉱夫達は、青柳宿(金沢宿へ

移転する前の宿場町)に定住し、金山の守護神の「金山権現」

をここに祀りました。

境内には、他にも、摩利支天、不動明王、御獄座王大権現、

大六天、甲子、如意輪観音、蚕玉大神などの石仏石塔が

あります。

 

 

権現の森を出て、国道20号を進み、森の口バス停から

斜め左の「青柳旧道」に入ります。

青柳旧道は、車もほとんど通らず長閑な田園風景です。

 

 

旧道の左手に、「寒天の里」と書かれた大看板があります。

そういえば、中学時代の社会科の教科書で「茅野の寒天」と

習ったなあ~。

 

へ~、あれって、この辺りなんだ!

 

海藻のテングサを煮た汁を固めたのが「心太(ところてん)」

で、更にこれを凍結乾燥させたものが「寒天」です。

 

この辺りは、冬になると、日中は晴れていても、夜間の気温が

零度以下に下がるので、寒天作りに適しており、農家の副業

として盛んになったそうです。

 

 

旧道は、T字路に突き当たり、左手に下の写真のホテル

虹色メルヘンが見えますが、右折して国道20号に突き当たり

合流します。

 

この合流地点には「清水橋バス停」(写真赤丸印)が

あります。

国道20号を暫く歩いて、「木舟交差点」を過ぎると、右手に

浮彫の「地蔵尊」が安置されています。

少し進むと、上の写真の木舟入口のバス停がありますが、

停留所の名前は消えかかっていますし、便数も4時間に

1便くらいです・・・

更に進むと、右手に「旧甲州街道」の案内看板があります。

いや~、この様な分かりにくい分岐点に、この様な大看板は

非常に有難いです! 

看板が無ければ通り過ぎてしまいそうですし、表示が

小さければ見落とすかも知れません。

この看板の矢印に従って、Uターンして坂を上って行きます。

 

坂をヘアピン状に上り切り、跨線橋で中央本線を越えて

左折します。

 

旧道は、中央本線に沿って進み、阿久川を宮澤橋で渡ります。

 

橋の先を斜め右に進み、その先ののぞみ大橋の高架下を

くぐります。

 

 

 

その後は、宮川に沿って進み、小早川を小早川橋で渡ります。

 

 

すると、その先で、宮川に沿って走る県道197号に

突き当たるのでここを左折します。

 

 

 

更に進んで、JR中央本線のガードをくぐり、再び宮川に

沿って進みます。

 

 

暫く歩くと、宮川坂室の交差点に突き当たるので、ここで右折

して、国道20号に合流します。

この交差点の右手には、次ページの写真の秋葉山常夜燈、

出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山大権現)碑、三十三夜塔、

馬頭観音などがあります。

 

国道20号を進んで行くと、右手の斜面に掘り込まれた祠の中

に石仏が三体安置されています。

 

 

更に進んで、弓振(ゆみふり)川を建倉橋の歩道橋で

渡ります。

 

その先の酒室の交差点から右に入ると、「酒室神社」が

あります。

酒室神社の祭神は、酒解子(さけとくね)之神で、酒造の

守護神です。

本殿は1825年の建築です。

写真では分かりづらいですが、格子から薄暗闇の中を

覗き込んでみると、見事な彫刻が施されています。

 

国道20号を延々と歩いて行き、中央自動車道の高架の茅野橋

をくぐって進みます。


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コメント一覧

ウォーク更家
hide-sanさんへ
海から遠く離れた信州の山奥まで、はるばるとテングサを運んでから加工するなんて、確かに意外ですよね。

次回は、その出来上がった寒天を収納するための、江戸時代から残る茅野市街地の「巨大な寒天蔵」をご紹介しますので、お楽しみに!
hide-san
寒天
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
テングサから出来る寒天、まさか山の中で造られるとは、
意外でしたね。
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
現在残っている旧道は余り歩いていない道ですが、昔は大勢が歩いていたので、それによって踏み固められたりして、少なくとも今よりも分かり易かったと思います。

それに、昔はほとんどの村人が農作業に出たりしていたので、仰せの様に、村人に聞きつつ進んだのでしょうね。

更に、道標や追分の石碑など、もっとたくさん建っていて道に迷わない様になっていたでしょうね。
ええ、「旧甲州街道」の案内看板は、現代人にとってありがたいです。

そう、寒天は素晴らしい発明ですよね。
もののはじめのiina
旅人たち  
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b45a457a86403914c89ef7e7d7efdf59
むかしの旅人は、あまり歩いていない道を村人に聞きつつ進んだのでしょうか・・・。

「旧甲州街道」の案内看板は、現代人にとってありがたいですょね。

テングサを煮た汁を固めた「心太(ところてん)」を凍結乾燥させて「寒天(かんてん)」にしたのですね。
知恵とはいえ、すばらしいです。
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