ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

奥州街道を歩く(17:宇都宮)栃木県宇都宮市 11km 2017.10.17


(写真は、「二荒山神社」への石段)
 ⇒ 
猛暑、長雨、台風とずっと異常気象が続いていましたが、
ようやく穏やかな秋晴れになったので、東海道、中山道、
日光街道の踏破に続き、奥州街道の踏破を目指します。

早朝に、JR横浜駅から、上野東京ラインで、乗り換えなし
でJR宇都宮駅へ向かいます。

JR宇都宮駅から、路線バスに乗り、地方裁判所前で下りて、
少し戻り、日光街道と奥州街道との追分から、奥州街道
踏破をスタートします。

日本橋から、日光街道とずっと重なってきた奥州街道は、ここ
宇都宮の伝馬町の交差点で、日光街道と分かれます。

上の写真の脇道へ左折する赤矢印が「日光街道」で、大通りを
直進する赤矢印が「奥州街道」です。

(日光街道と奥州街道の追分までの宇都宮宿の様子については、
「日光街道を歩く:17宇都宮」を見てね。)

宇都宮宿は、日光街道・奥州街道で最大の宿場で、二荒山神社
の門前町として発展してきました。

幕府は、日光東照宮の入口として、また、奥州地方に対する
北方への守りの拠点として宇都宮を重視していました。

しかし、宇都宮が戊辰戦争の戦場となった結果、宿場町は
ほとんど焼失してしまい、当時の面影はほとんど残って
いません。


日光街道と奥州街道との追分の道路向かいに本陣がありました
が、現在は、上の写真の様に、大銀杏がそびえています。



大通りの奥州街道を進んで行きます。



間もなく、左手に上の写真の「丸治ホテル」があります。

丸治ホテルは、創業300年で、江戸時代からこの場所で
旅籠を営んできました。

「丸治」の名前の由来は、創業者・丸谷治左衛門に由来する
そうで、丸治ホテルの幅が狭く奥行きが長い敷地が、
江戸時代の「短冊割り」の町割りの名残りです。


更に、大通りの奥州街道を進んでいくと、左側の石段を
上り切ったところに「二荒山神社」があります。





二荒山神社の石段を下りて、更に歩き、田川にかかる宮の橋を
渡ると、下の写真の正面の突き当たりには、JR宇都宮駅が
見えます。

JR宇都宮駅周辺には、餃子店が軒を連ねます。
日光街道踏破の際に、すっかり宇都宮餃子にハマってしまった
ので、素通りする訳にはいきません・・・
取り敢えず、宇都宮駅前の餃子屋で腹ごしらえをしてから、
奥州街道歩きを続けます。

(ネギ味噌焼き餃子と生ビールのセット:880円)  
( ↑ 最初に撮り忘れたので、食べかけの写真ですが

満腹になったので、宮の橋まで戻り、田川に沿って進みます。


暫く歩くと、明治28年に建てられた「旧篠原家住宅」(重要
文化財)があります。
篠原家は、江戸時代の豪商で、江戸時代から第二次世界大戦
まで、醤油の醸造と肥料商を営んでいたそうです。

(篠原家の内部見学については、2013/1の「JR烏山線の沿線
散策」
を見てね。)

旧篠原家の辺りが宇都宮宿の外れで、ここから奥州街道の次の
宿場町の白沢宿を目指して歩いて行きます。

奥州街道は、やがて東北新幹線のガードをくぐり、
県道125号(宇都宮ー氏家線)に合流します。



前頁の写真は、街道沿いにある岩淵家の立派な長屋門です。


暫く歩くと、竹林町の信号の先の右奥の住宅街の中に、
上の写真の小さな「白山神社」があります。

何の変哲もない小さな神社ですが、実は、有名な「宇都宮城
”釣天井”(つりてんじょう)事件」の導火線となった舞台
が、何と!、この神社にありました!
(「釣天井事件」の詳細については、「日光街道を歩く
:17宇都宮」
を見てね。)

1621年、宇都宮城の改築に際し、2代将軍・徳川秀忠は、
根来組同心百人衆を、改築工事の監視のために送り込みます。

これに対し、宇都宮城主の本多正純は、何と!、幕府から
差し向けられたこの百人衆の全員を捕らえ、一日のうちに
処刑してしまいました!

そして、首と胴体を別々に埋めましたが、そのうちの胴体を
埋めた「根来塚」と呼ばれる胴塚が、ここ「白山神社」の
裏側にあったそうです。
怖っ~・・・
それにしても、本多正純と秀忠の確執は、想像以上のものが
あったんですねえ~。
将軍が差し向けた根来衆を、宇都宮城主が捕らえて斬首する
とは!

世間で”釣天井事件”がもっともらしく噂されたのも
頷けます。

という訳で、「白山神社」の裏手を一生懸命に探しましたが、
それらしき場所には、新築の民家も建っており、よく分かり
ませんでした・・・
根来塚を出て少し歩くと、栃木銀行北支店の横手に、次頁の
写真の「首切り地蔵」がありました。


ここが、処刑された根来組同心百人衆の首を埋めた「首塚」が
あった場所だそうです。

ここには、処刑された百人衆が亡霊となって現れるので、
僧侶が、この「首切り地蔵」を建てて、この亡霊達を
供養したそうです。

「首切り地蔵」の横には、次頁の写真の「土堂原地蔵尊」の
標柱と石仏が並んでいました。

そして、この辺りは、また、宇都宮藩の処刑場でもあった
そうです。
怖っ~・・・



首切り地蔵を出て、松や杉などの旧街道の名残りを僅かに残す
直線の旧奥州街道を進みます。



街道の両側には、大谷石作りの塀や倉のある立派な家が
点在します。
暫く歩いていると、突然、右足の付け根に痛みが走りました!

奥州街道のスタート早々に、アクシデント発生です・・・
びっこをひきながら、ゆっくりゆっくりと歩きます。
しかし、歩く毎に、右足の付け根に軽い痛みが走ります。

半年ぶりの街道歩きで、ウォーミングアップ不足か?

びっこをひきながら、かなりの距離を歩いたところで、旧奥州
街道は、上の写真の「稚児坂」にさしかかります。

1196年、鎌倉幕府から奥州総奉行の任命を受けた伊沢家景
が、任地に向かう途中、この坂にさしかかったところで、
同行していた乳幼児の我が子を亡くしました。

それ以来、この坂は「稚児坂」と呼ばれる様になりました。

稚児坂を上り切ると、左手に広大な王子製紙の再生紙工場が
ありました。

更に進んで行くと、Y字の分岐がありますが、奥州街道は
直進して、横断歩道橋のある方の道に向かいます。



やがて道は、右にカーブする坂道となり、その坂道を下り
始めると、右手に、前述の稚児坂で亡くなった稚児を
供養する前頁の写真の「白沢地蔵尊」がありました。

案内板によると、奥州総奉行・伊沢家景は、ここに我が子を
葬り、地蔵堂と石塔を建てた、とあります。

白沢地蔵尊で水分を補給して、一休みして、足の痛みが
治まったところで、白沢地蔵尊の前の坂を、ゆっくりと
下って行きます。

この坂は、案内板によると、漢方の薬種を砕く舟形の器具
(薬研:やげん)に坂の形が似ているとことから、
「やげん坂」と呼ばれているそうです。

やげん坂を下り切った突き当りの交差点が白沢宿の入口です。

宇都宮宿から白沢宿までは、約11キロです。

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コメント一覧

ウォーク更家
T.K.さんへ
白山神社についての地元ならではの有力な情報をありがとうございます。

当時、白山神社の裏手は鬱蒼とした森でその中に5mほどの高さの盛り土があったという事で、私のブログの記載の裏付けを得ました。
ご協力ありがとうございました。
T.K.
1972年まで岩曽町に住んでいました。当時白山神社の裏手は鬱蒼とした森で、その中に5mほどの高さの盛り土が確かにありました。
ウォーク更家
長い長~い奥州街道
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。

奥州街道踏破、ご期待に沿える様に、レポート頑張ります。

”長い長~い”街道なので、焦らずに、じっくりと楽しみたいと思います。
コスモタイガー
奥州街道
http://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
長い長~い奥州街道が始まりましたね!
楽しみにしています。
ウォーク更家
宇都宮の二荒山神社と餃子
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ホントに、宇都宮二荒山神社の石段はきつかったです。

ええ、上野東京ラインが出来たお陰で、日光街道踏破と奥州街道踏破が凄く楽になりました。

そう言われれば、日光東照宮の見学では、二荒山神社へ寄るのを忘れました。(-_-;)

宇都宮の餃子、北九州の焼うどん、どちらも外せません。
iina
宇都宮
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/34d68ce302d924122b48d892a522f7e9
横浜駅から上野東京ラインで、乗り換えなしでJR宇都宮駅に行けるとは、便利になりました。

宇都宮の二荒山神社は、高い階段を登ったところに建っていたとはお疲れさまでした。
           (日光の方は更家ブログにアップしてなかったですょ。)http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/63c5c267103d3d947ccbf25c06cb9690

宇都宮といえば餃子ですから、必食ですね。小倉も、有名になってましたからと一緒に食べてきました。
飲んだ次は、店を変えて小倉名物の焼うどんを食べて 〆ました。

ウォーク更家
奥州街道と奥の細道
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、奥州街道は奥の細道でもあり、大部分が重なっているのですが、だいぶ離れているスポットもあり、どうしたら両方を踏破出来るか、悩ましいところです。

そう、家屋などの遺構建築も、数が多いと見学料もバカにならないので、旧篠原家住宅が100円で見学出来るのは有り難いです。
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
今度は奥州街道ですか。
奥の細道の始まりですね。

旧篠原家住宅、もう一つの記事も拝見しました。
たった100円で見学できるのですね。
ウォーク更家
2つの二荒山神社
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
栃木県の2つの二荒山神社については、宇都宮二荒山神社は古代からあり、全国区の日光二荒山神社は江戸時代の創建ですから、こちらが後で出来たにも拘わらず有名になってしまった訳ですね。

奥州街道については、街道歩きのお師匠様であるhide-sanさんの分まで、頑張って歩いて来ようと思います。
hide-san
二荒山神社
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
宇都宮二荒山神社と日光二荒山神社と二つの神社が栃木県にあります。

宇都宮の方が先にあって、後の江戸時代に日光二荒山神社が出来たそうですね。

この先を楽しみにしております。

残念ながら、今年は何処にも出られそうにありません。
ウォーク更家
奥州街道も頑張ります
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。
東海道、中山道、日光街道の踏破に続いて、奥州街道踏破も、ご期待に沿える様に頑張ります。

原人さんも、離島巡り、頑張ってください。

このひとつ前のブログの宗像大社の大島も、お勧めですので、是非、離島巡りの際に立ち寄って下さいね。
船橋原人
奥州街道
いよいよ「奥州街道」編が始まりましたね。
この先の記事を楽しみにしております。
体調に気を付けて、元気に踏破されることを期待しています。
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