(写真は、JR中央西線の十二兼駅)
野尻宿は、外敵を防ぐための「七曲がり」と呼ばれる曲がり
くねった町並みが特徴です。
野尻宿も、何度も火災に見舞われて、多くの家は消失して
しまいましたが、僅かに出梁造りの民家も点在して、少しだけ
昔の面影を残しています。
野尻宿は、東の枡形道から始まります。
直ぐに、「南無妙法蓮華経」と刻まれた下の写真の石碑が
あり、この台座は「イボ石」と呼ばれているそうです。
この石に触るとイボが取れると人気だったそうです。
イボ石から少し歩いてゆくと、「脇本陣跡」の石碑があり
ました。
脇本陣跡の石碑は真新しいです。
野尻宿には、出梁造りの民家が点在しています。
(本陣跡)
町並みは、「七曲り」の呼称の通り、右へ左へとカーブして
進みます。
直ぐに、上の写真の野尻駅を右手に通り過ぎ、やがて町並み
の外れになると、左手に下の写真の「はずれ」と称する屋号
の家がありました。
野尻宿は、この「西のはずれ」の民家で終わります。
宿場を出ると、下在郷公民館の先に、”真新しい”「下在郷
の一里塚」の石碑がありました。
下の写真の「誰でも歩ける中山道六十九次」は、素晴らしい
案内書なのですが、残念なことに、著者が亡くなられたので、
その後、メンテされていません・・・
2006年発行の「誰でも歩ける中山道六十九次」には、筆者
が、 ”下在郷一里塚跡には、一里塚の大きな石碑でも
建てて欲しい”と書いていますので、この案内書を読んで
地元の人達が、真新しい石碑を建てたのかも・・・
誰でも歩ける中山道六十九次 (中巻) | |
日殿言成 | |
文芸社 |
下在郷集落からは、線路を渡らずに、線路沿いの狭い舗装道を
ずっと歩いてゆきます。
やがて、第13仲仙道踏切で初めて線路を渡り、線路沿いの
反対側の狭い舗装道を、秋のススキの穂を眺めながら
歩いてゆきます。
木曽川の対岸には、地元の人に大人気だという下の写真の温泉
施設「フォレスパ木曽」が見えます。
次に、第14仲仙道踏切を渡って、坂道を上りながら国道
19号へ向かいます。
国道19号に出たらすぐ先の橋を渡り、国道を横断して狭い、
急なジグザグの坂道を上って行きます。
坂道を登り切ったところに、上の写真の「八人石の二十三夜
様」と呼ばれる石仏が祀られています。
旧中山道は、集落の先のY字路を右に下り、「熊野神社」の
横を通って、国道19号に出て、十二兼駅に向かいます。
しかし、国道19号には横断歩道があるものの、その先の
JR中央西線には踏切が無いので横断できません?!
周りをよく見ると、横断歩道の脇に写真の赤丸印の怪しげな
低いプラスチック屋根のトンネルが!
国道19号とJR中央西線を横切って川を流すためのトンネル
みたいです・・・
川沿いの地下遊歩道は初めてです!
増水したときは怖そう・・・
トンネルを抜けると、旧中山道に出ました。
暫く木曽川に沿って歩いてゆくと、階段の上に小さな小屋あり
これがJR中央西線の「十二兼駅舎」でした。
出入り自由の無人駅なので、階段を上がって駅の構内に入って
トイレをお借りします。
有難い!
十二兼駅から先は、左上に国道19号を睨みながら、右下の
木曽川に沿って緩やかな下り坂を歩いてゆきます。
木曽川の向こう岸の山から、写真の様に、一条の煙が立ち
上っているのが見えます。
枯葉を焚いているのでしょうか、それとも野焼きみたいなこと
をやっているのでしょうか。
木曽川沿いの道を暫く歩いてゆくと、写真の「中川原 明治
天皇御小休所跡」碑と御膳水碑がありました。
御膳水碑の少し先で、国道19号に合流します。
これから先、国道19号沿いに、3キロ以上の長い距離を
ひたすら歩き続けます。・・・
歩いても歩いても、国道19号沿いには、地名がわかる
何らかの道路標識も地名表示も全くないので、地図と
照合も出来ず、どの辺りを歩いているのか、見当がつきません・・・
この何の表示もない辺りは、江戸時代は木曽川に崖が迫る
難所中の難所だったらしいです。
島崎藤村の「夜明け前」の序章で書かかれているのは、
この辺りの風景らしいです。
木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
一筋の街道は、この深い森林地帯を貫いていた。
また、木曽川沿いのこの辺りは、南寝覚と呼ばれ、寝覚の床と
同じ様な素敵な景色が続きます。
ひたすら国道19号を歩き、木曽川沿いの集落を右側に
見ながら通り過ぎると、旧中山道は、国道19号から左に
別れる細い県道の264号に入ります。
左手を走る中央西線のガード下を通り、坂道を上っていくと、
やがて三留野宿の入り口らしく、人家が見えて来ました。
野尻宿から三留野宿までは、約10キロです。