(写真は、崖の道を旧甲州街道から青柳駅へ下りる階段
:Googleマップ)
5街道踏破の最後の甲州街道も、ゴールが近づいた段階で、
どうもやることなすことチグハグになってきました。
何だかなあ~・・・
地図では、旧甲州街道から直線で僅か300メートルの穴山駅
へ向かおうとしましたが、駅は垂直の崖の上に!
(穴山駅については、
「甲州街道を歩く・韮崎宿から台ケ原宿へ」を見てね。)
股関節炎が再発したとき、旧甲州街道から最寄りの信濃境駅へ
緊急避難しようとしましたが、高低差が200メートルもある
崖の道を延々と3キロも上りました!
(信濃境駅については、「甲州街道を歩く・蔦木」を見てね。)
また道に迷ったとき、旧甲州街道から最寄りの富士見駅へ
向かおうとしましたが、崖を上がって行く道を2キロも必死で
上りました!
(富士見駅については、
「甲州街道を歩く・蔦木宿から金沢宿へ」を見てね。)
何だか、最近は、旧街道を歩いている距離よりも、最寄りの駅
に行くために崖道の道路を上り下りしている距離の方が長く
なっています・・・
と言う訳で、今回は、次の最寄りの駅となる青柳駅と
旧甲州街道の位置関係を事前に徹底的に下調べしました。
すると、Googleの航空写真から、これまでとは逆に、
川沿いの低地をJR中央本線が、崖の上の尾根道を
旧甲州街道が走っていることが分かりました。
更にGoogleマップを最大限に拡大してみると、崖の上を走る
旧甲州街道から、崖の下の青柳駅に降りる急な階段(冒頭の
写真の赤丸印)があるのを発見しました!
前回の続きで、親切なオジサンに石仏石塔群の写真撮影の
アドバイスを受けてから、急な坂道を下り、国道20号に
合流して進んで行きます。
国道20号の「御射山神戸交差点」を横断すると、左手に
次ページの写真の堂々たる「冠木門の旧家」があります。
先の神戸八幡交差点の左が、次ページの写真の1762年建立
の社殿の「神戸八幡社」です。
社殿の脇のケヤキは、樹高30メートルで推定樹齢390年
です。
境内には、1843年建碑の芭蕉句碑があります。
”雪ちるや 穂屋のすゝきの 苅のこし”
(句意:穂屋(ほや)はすすきの穂で作った御座所で御射山祭
の際、諏訪大社上社から二神をここに迎えます。
芭蕉は、この穂屋を作るために、すすきを刈り取り、
刈り残したすすきの原に雪が舞っている様を詠みました。)
国道20号を、斜め左の旧道に入ります。
分岐点には馬頭観世音文字塔が祀られています。
上り坂を進むと右手に石仏石塔群がありました。
更に坂を上ると「御射山神戸の一里塚」があります。
日本橋から48里目(192キロ)で、両塚を残しています。
西塚のケヤキは、往時のままのもので樹齢400年です!
一里塚を後にすると、木立の中の長閑な道を進みます。
暫く歩いて行くと、眼下に、江戸時代には道中名物だった
という写真の「ゆるぎ石」(赤丸印)があります。
昔は、触れると揺れる、ということで名所だったらしい
のですが、急な斜面にあるために近寄れません。
ゆるぎ石の少し先に、写真のセイコーエプソンの社宅の
金沢精和荘がありました。
事前の下調べで、Googleの航空写真から、これまでとは
逆に、崖の上の尾根道を旧甲州街道が、川沿いの低地を
JR中央本線が走っていることが判明しています。
Googleマップによると、旧甲州街道沿いの金沢精和荘の
前から、崖下の青柳駅に下りる階段があるハズなのです
が・・・
見当たりません!?
どうも行き過ぎたみたいなので、ゆっくりと引き返して
みます。
念のために、エプソン精和荘の前の路地を少し入ってみると
・・・
ありました!
写真の急な下りの石段が延々と続いています。
上のGoogleマップが、旧甲州街道(黄色線)から、崖を
青柳駅(青色枠)へ下りる階段(赤丸印)です。
セイコーエプソン社が、社員寮から駅までの急石段を自力で
工事したのでしょうか。
延々と続く石段を下りていき、国道20号の陸橋を渡ると
目的の青柳駅に着きました!
今回は、旧甲州街道から最寄り駅まで最短距離で行くことが
出来ました。
大成功!
青柳駅から乗車して、甲府駅まで戻ります。
この頃は、コロナの第5派も去り、感染者も少なく旅行も再開
した時期だったので、甲州街道沿いの韮崎、石和温泉、甲府
など、どこのホテルも満室になっていました。
その様な状況下で、甲府駅前のビジネスホテルにようやく
1室だけ空きを見つけました。
青柳駅から甲府駅まで戻り、甲府駅前のホテルクラウンヒルズ
甲府に1泊します。(1泊食事なし:5,571円)
夕食は外に出て、前回美味しかった、駅ビルの中にある
「郷土料理・信玄」で「甲州名物・鳥もつ煮そば定食」
(1,650円)を食べました。