ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

沼田城 (続日本100名城:群馬県)  2017.8.18


(写真は、沼田城の西櫓台の石垣。)
今年のお盆休みに、群馬の「宝川温泉」で1泊
した翌日の話しの続きです。

(JR沼田駅)
名胡桃城(なぐるみじょう)の見学を終えて
JR後閑駅から、JR上越線に乗り、次の駅の
「沼田駅」で下車、「沼田城」を目指します。

駅前の案内板によると、沼田城は、ここから
歩いて近そうですが、「金山城」の失敗に
懲りて、駅前からタクシーで沼田城へ
向かいます。

タクシーで約5分、沼田城に着きました。

沼田市は、関東と越後・信濃を結ぶ、戦略上
極めて重要な場所に位置する四方を山に
囲まれた盆地です。

市の中心を流れる利根川周辺は、ブラタモリで
放映された様に、非常に高い河岸段丘になって
います。

鎌倉時代からこの地の有力者であった「沼田氏」
が、1532年頃、最初に崖上の台地に城を築き
ました。

(沼田城観光案内所のジオラマ)
「沼田城」は、関東へ至る要衝の地にあったので、
越後の上杉氏、小田原の北条氏、甲斐の武田氏等
により、めまぐるしい争奪が繰りひろげられ
ました。
1580年、武田勝頼の命により、沼田に進出した
真田昌幸は、沼田城を攻略しました。
翌1581年、昌幸は、城の奪還に来攻した「沼田
平八郎景義」を謀殺して沼田氏を滅亡させました。

これ以降、北条氏と真田氏との間に沼田城を
めぐる攻防が続きます。
そして、1590年、北条側が、真田氏の名胡桃城を
不法に攻略したことが契機となり、北条氏は、
豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。
これにより、沼田城主となった「真田信幸」
(幸村の兄)は、近世的な城郭の整備にとり
かかり、二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等
の普請の後、1597年には「五層の天守」を
完成させました。

しかし、その後、1681年、5代城主の真田信利の
ときに、江戸両国橋用材の伐出し遅延を理由に、
領地没収、改易となりました。
このときに、沼田城は、全て破却され、堀も
埋められ、その後天守が再建されることは
ありませんでした。

その後、ここ旧真田領は、本多氏、黒田氏と領主
が変わりますが、1742年、土岐頼稔(とき
よりとし)が、3万5千石で入封し、12代・土岐
頼知(よりおき)のときに明治維新を迎えました。
そして大正時代に入り、沼田城の荒廃を惜しんだ
旧沼田藩士の子「久米民之助」が、私財を投じて、
沼田城跡を購入、公園として整備したうえで
沼田市に寄付しました。

(沼田城観光案内所の展示物)

次頁の写真の久米民之助のお陰で、現在、
沼田城の西櫓台(にしやぐらだい)と石垣、
本丸堀の一部が名残を留めています。

また、沼田城の総曲輪(そうぐるわ)の一部が、
現在、沼田小学校と沼田女子高等学校になって
います。

上の写真が、沼田城跡の入口です。


入口の駐車場の周囲は「三の丸土塁」跡で、土塁
の前に上の写真の説明板が立っています。


更に進んだ広場の「本丸跡」には、前頁の写真の
沼田城のシンボルの「鐘楼」が建てられて
います。

この鐘楼は、元々は、城内にあって廃城の時に
取り壊されたものですが、沼田町役場内に鐘楼を
建て直して時の鐘にしていたものを、昭和58年
ここに復元したらしいです。

更に、この鐘楼には、1634年に真田信幸の長男・
信吉が鋳造させた「城鐘」(じょうしょう)の
複製が釣下げられているそうです。

次頁の写真は、真田信幸(幸村の兄)とその妻・
小松姫(徳川四天王・本多忠勝の娘)の石像
です。

小松姫は、関ケ原の戦いで敵対することになった
義父・真田昌幸が、上田城に戻る際に、”今生の
別れに”と、ここ「沼田城」に立ち寄りますが、
「たとえ舅であっても敵である」と、昌幸を
城門の前で追い返した、という逸話で有名です。



上と次頁の写真は、「西櫓(にしやぐら)台」の
石段と石垣です。

西櫓は、1590年、真田信幸の入封後に、本丸の
北側に築かれました。

写真は、沼田城跡のビューポイントです。

ここに立つと、河岸段丘の上にある沼田城は、
天然の要塞で攻めにくかったのがよく分かり
ます。

このビューポイントの近くに次頁の写真の
「平八石」があります。

真田昌幸は、沼田城の奪還に来攻した「沼田
平八郎景義」を謀殺して、この「平八石」の上に、
平八郎の首級を置いたそうです・・・

二の丸跡にある、前頁の写真の「旧土岐邸洋館」
と、下の写真の「旧生方(うぶかた)家 住宅」
を見学します。(両方で200円)




沼田城跡の入口に戻り、観光案内所で、お土産に
写真の「真田 兵糧丸」を買いました。



あんこがたっぷり入っていて、4種類の味が
楽しめます。

沼田城跡案内所でタクシーを呼んで沼田駅に
戻ります。

JR沼田駅で、JR上越線に乗り、高崎駅で乗り換え
て、湘南新宿ラインで横浜に帰りました。

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コメント一覧

ウォーク更家
iinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、沼田氏を滅亡させた真田氏の遺構を、沼田藩士の子が保存するということは、言われてみれば、確かに、広い気持ちで受け容れた、ということなのでしょうね。

特に、謀殺された沼田平八郎の遺恨は深いでしょうから、よほど広い心の持ち主でないと無理ですよね。

小松姫が義父・真田昌幸を追い返した逸話は、本多忠勝が娘を戦国の女として立派に育てていた、ということなのでしょうね。
もののはじめのiina
沼田 
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1e90d2a26e1a0e598f0b844a6c731e9d
> 沼田城の荒廃を惜しんだ旧沼田藩士の子が、城跡を購入、公園として整備したうえで沼田市に寄付しました。
地名が残る「沼田」ですから、遠いご縁とは申せ濃い縁ですね。

その跡地に立つ石像が、沼田氏を滅亡させた真田信幸(幸村の兄)とその妻・小松姫でも広い気持ちで受け容れたのでしよう。
謀殺された沼田平八郎の骸骨も、昔の遺恨を置いて「沼田」のためを思って黙っているものと考えます。

小松姫の義父・真田昌幸が、上田城に戻る際に”今生の別れに”と、ここ「沼田城」に立ち寄った際、「舅であっても敵」 と 
追い返した逸話は小説等で読みました。さすがは、本多忠勝の娘です。

ウォーク更家
Komoyo Mikomotiさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
沼田城は、名胡桃城以上に有名なお城ですが、残念ながら、歴史の痕跡は少なく、むしろ山城の名胡桃城の方が、戦国時代のイメージが湧いてきました。

でも、河岸段丘の断崖の上のお城の石垣という立地は、現在でも変わらないので、その意味では、現地の地形を見物出来て満足しました。
これは、やはり、現地に行ってみないと実感出来ませんね。
ウォーク更家
コスモタイガーさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、名胡桃城に沼田城と、大河ドラマ・真田丸の舞台を、ブラタモリの気分で満喫しました。

そう、小松殿の”義父といえども敵”と門前払いした逸話は、戦国時代の厳しさを感じて印象に残りますよね。

私も、昔、真田太平記を読みましたが、やはり幸村は、いつの世でも、日本一の武将で英雄です。

Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
沼田城は、名胡桃城以上に有名なお城ですね。
ブラタモリで、河岸段丘も有名であることを知りました。
駅は河岸段丘の下、沼田の町は上にあるんですよね。
それも含めて、行ってみたいところの1つです。
コスモタイガー
小松殿
http://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
今度は沼田城ですか~、良いですね~、城めぐり。
沼田城も真田丸や真田太平記の重要な舞台になってました。
真田丸では小松殿、吉田羊さんが演じていて、なかなかのはまり役でした。
真田太平記でも詳しく書かれていたことを記憶しています。
義父昌幸が「孫の顔を見たい」と、いかにもブラッと立ち寄ろうとしたところを、完全武装で「義父といえども敵方となった以上、城に入れるわけにはいかぬ」と立ちはだかったとか。

30年以上ぶりに、真田太平記を読みたくなってきました…。
ウォーク更家
沼田城の攻防の痕跡
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
沼田城の攻防の痕跡を探しながら見物しましたが、残念ながら、沼田城の痕跡は少なかったです。
しかし、隣の名胡桃城とセットで見物したので、この辺りの地形や距離感などの全体感はよく掴めました。

そう、ドライブや電車だと、沼田市は通過地ですものね。
tadaox
沼田城の攻防
http://blog.goo.ne.jp/s1504
遺跡や痕跡をたどりながらの歴史探訪、興味深く拝見いたしました。
沼田市も上田市もドライブで通過するだけで、真田氏の盛衰もあまり知りませんでした。

色々と勉強になりました。
ありがとうございました。
ウォーク更家
大河ドラマ真田丸
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、大河ドラマ真田丸を自分の足でたどれて楽しかったです。
城跡や沼田地方の地形等を見て回るうちに、かなり具体的な当時のイメージが湧いてきました。

日光街道の途中で大変なことになりましたね。
少しづつでも回復に向かわれる様にお祈り致します。
hide-san
大河ドラマ
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
大河ドラマ真田丸を自分の足でご覧になりましたね。

楽しく拝見しました。

ありがとうございました。

(日光街道の残りを続けようとしたところ、
カミさんが転んで、足腰が立たなくなり、
日常の生活が一変して食事の用意から後始末、
洗濯から取り込み、衣服をたたむ、お風呂の掃除から、etc.
一番困っているのが三食の献立、料理、部屋の掃除、
街道歩きどころではなくなっています。)
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