正月用に調達したDVD第2作目をやっと観ました!
新海誠監督「すずめの戸締り」という映画は古典色の濃い映画ですね。
主人公の ”岩戸鈴芽” 名前そのままで古事記や日本書紀で天の岩戸隠れ(開き)に登場する「アメノウズメ」をモチーフとして、裸踊りをしたとされているが、ホツマツタエ文献では鉾を持って武将のように、男役的に?踊ったとされる。なお、「アメノウズメ」は踊りで「明るさを取り戻す」役割を担っていたとされる。
※天の岩戸隠れ=反乱により太陽神、天照が岩戸に隠れ世界が暗闇になる事件。アメノウズメは猿田彦(巫女集団の長)の妻とされる
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一方椅子に変えられた「閉じ師」として登場する"宗像草太"は、宗像大社の住吉大神「カナサキ」さま?をモチーフとして、宗像さまは「闇を押さえる」役割を担っていたとされる。
また、話の鍵となるのが
異次元界への入り口?である「扉」は、亡くなった「イザナミ」を追いかけ、生きている者が決して立ち入ってはいけないとされる「黄泉の国」へ入ってしまった「イザナキ」の話しを連想させる
災いを抑える「要石」は、
アマテルカミの時代のハタレの乱において鹿島神宮(タケミカヅチ)、香取神宮(フツヌシ)の武将が戦勝の褒美で授かった要石とされている。映画では、その要石をモチーフとした二神は「ダイジン」「サダイジン」として「猫」に変身して登場する。
鹿島(凹)・ 香取 (凸)
凹凸で対になっています
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「常世」=死者の赴く場所のシーンからこの映画に感情移入してしまった!
① 神戸にある廃墟になった観覧車のゴンドラ内が、”すべての時間が同時にある空間” という設定で、そこに「すずめ」が入り見聞きするシーン
② 椅子に座った「草太」が椅子をすり抜けて暗闇を沈んでいく、見上げると徐々に光の環○○○○が小さくなっていき消える、声も消える、カラダが消え、寒い寒いと闇の中に落ちていくシーン
この2場面は、
私が2年前の2月に病院のベットで息が止まっていた間に見聞きした事と酷似していた点です。違うところは、①椅子ではなくて綺麗で繊細な砂地、②地球ではなく他星、寒いのではなく死ぬ間際は心地よいという感覚です。このまま味わいたかったのに起こされた(笑)という体験です。そういうことがシンクロして思わずこの映画を見入ってしまいました。
※ 一般的にはただの夢で戯言です。面白いのでいろいろ調べて腑に落とし私の中だけの事実として心の内に閉まってあるうちの②つです。
これらの出来事?を忘れないようにと思い回想録に書きとめておりますが、よく言われる魂の記憶というものなのでしょうか?視せられたことを今でも全然忘れないばかりか、人とは?生とは?死とは?靈とは?神とは?宇宙とは?地球は?真実は?何かと深く考えるキッカケになりました。そのことを考えると、やはり空想や夢ではなかったのかも知れません(笑)
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映画のシーンに話を戻しますと
3.11の三陸で、大人になった未来のスズメが母を探す4歳のスズメに、「私はあなたの明日よ」と声を掛け抱きしめる。ほら、あなたは、こんなに素敵な女性になるのだから心配ないのよ! すべての時間が同時にある空間で過去の自分を癒すシーン、それは「扉」の向うにある自分の過去をしっかり内観をして、”自分の闇は自分が解決していくしか方法がない” のですよ。そのようなメッセージが込められた一場面だった思う。
また、「草太」さんが閉じ師として自分が犠牲になることで世の中が治まるのではなく、(ヒーローが現れるのではなく) 2人の心を合わせることで(各々の心の闇や穢れを洗濯することが) 闇と対峙でき世の中が治まっていくのだ! という強いメッセージを感じました。また、捉えようによっては厳しい内容の話しだと思いました。
久々に感情移入しましたが、しばらく時をおいて観るとまた違った感想になりそうな、自分の心のあり様で何通りにも観れる不思議な映画だと思います。
今日の一言
◆ Facebookグループ「神人」さん投稿記事より
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