大腸内視鏡検査、造影CT検査と2週連続で検査をして、今日12/13はその結果を聞きに病院へ行った。
3週連続の病院通いだ
現在、直腸ガンとその合併症を経過観察中で退院して1年8ヶ月が経過している。
血液検査(栄養状態・炎症・腫瘍マーカなど何れも正常値、至って健康です)
次の検査は3ヶ月後
正直飽きてきた。
これが学校だったら?
さぼるだろうな(笑)
自分をさらけ出すようでみっともないが・・・
自分の病気について中締めということで、
今の心境を整理して記録として残しておこうと思う。
◆ 自分が病気になったのは何故か?
また、どうゆう意味があったのだろうか?
その理由は簡単だ、
生活の為といって
本心を押し殺して自分を偽り続けた結果の ➪ 間違った生活習慣
一方的な思い込みによる ➪ 間違った食生活
以上二つは間違いない。
◆ 厳しいことを言うと
「自分への愛情が足りなかった」ということだ
ならば
「苦しみは改善すべき」ということ
~ もう少し噛み砕いて言うと ~
・皆と同じレベルに達しないとならない
・他と同じ考えでねばならない
と思い込むが故に
最近まで (笑)
・やりたいことをやらずに
・やりたくもないことをやる
そんな傾向があった
他に合わせる習性が身に付いていた
歳を重ねる度に、争いたくないが故に
迎合する悪い癖がついた。
前述「苦しみは改善すべき」の
苦しみの原因を一言で表現すると
人目を気にしすぎ
「他人軸で生きていた」
ってことだろうな
じっくり内観していくと・・・
そんな状態で、自分のことはさて置き 周りのため、子供のため、両親のため、会社のためとして生きていくのが当たり前という風潮の中、「清貧を美徳」とする考え方。その「自己犠牲」の精神は歪んでいたかも知れないな。 内観してるとこんな感じで次から次に叩けば埃が出てきて止まりません(笑)
何を選択するのも自由、信教の自由
生き方は個々に委ねられている
その結果は自己責任だ!
ということすら
忘れていたのですね
「自分軸で生きる」ということは、我がままに生きることとは違うんですが
一緒くたんになっている??
◆ 生きていて喜びを感じたか?というと
感じてはいたが・・・
「喜びの質は低かったと思う」
嫌なことでも楽しんでやれるような心の柔軟さを持ちなさい! 心のバネを鍛えるのです!的なことを昔から教育?された記憶があります。悪い教えではないと思うが、全てがそうだと自分の解釈に取り違えがあったと思います。
一方では、「自分には何もない」と自分を卑下しすぎていたのだろう。
今思えば笑い話だが、”生きるとは難行苦行だ”と思い違いしていたフシがあり、他人と自分を比べてばかり。殆どそこに全身全霊を傾けて”自分ではない自分になること”に一生懸命だった。
それと、怠慢にあぐらをかいていたこともあったよな。
病みをキッカケに自問自答する時間ができて、その事に気づき理解した時には、自分が滑稽に見えて腹抱えて大笑いしたな。
思い込み、取り違えは恐ろしいですね。
※ 9月に「喜びの質」のブログ書いてました👇
https://blog.goo.ne.jp/mt0225/e/b39166fa1a6456785068c20ed416b0b9
唯一
自分を褒めてあげたいことは
病みを身体のせいにするのは簡単だけど
「病みを身体のせいにはしなかった」
ということです
昨日、YouTubeを視聴していて、
心に刺さった一文があった
しかし、いつもタイムリーに読み当てる(笑)
まるで誘導されているかのようだ、何となく目を向けると目の前に現象が現れ見せられる。「靈動」というのはこのことだろうな。。。
それにしてもまぁ~ここまでタイムリーだと書かざるを得ないだろうし、心の内に秘めていることもついでに吐き出しておこう。うまく言えるかどうかわからないが...
地球AIチャンネル 12/12投稿より
【神人霊媒日記★77】
「・・・、それぞれの意識相応・因果の現れであるということも理解ください。全てを靈のせいになされませんように。 ご自身の思い癖であったり、生活習慣の病みであったり、人間関係のもつれとしての因果であったり、己を軌道修正させるための病であったり、いずれも改心を促す指導的な顕れでもあります。」
「靈のせい、人のせいに直ぐなさる、ぐちる癖もまた外さないと同じことを繰り返します。選民思想は慢心を募らされるだけ、特別視されたいと思うのは愛に満たされていないだけ。省みることなく相手のせいばかりにする癖を、先ずは浄化為されますよう申し上げておきます。 何でも祝詞を上げて祈れば救われると思わないでください。 祈り地獄に落ちないようくれぐれもお気お付けください。 厳しい言葉として感じられた方も多いかと思いますが、真の幸せを想ってのこととしてご理解頂けましたら幸いです。」
神人メルマガ2014年9月17日「霊症に対する浄霊・除霊②」より抜粋
👆 これを踏まえると・・・
俺の病みはカリキュラムとして準備されていたのか?
課題をクリアできなければ寿命まで同じ苦しみを経験する仕組み?
生まれ変わってもその課題をクリアするまで付いてくる?
選択を間違えるとどんどん苦しくなる仕組み?
怖くもあり有り難くもある仕組みだ
◆◆
死とは宿命であり人は必ず死ぬ
死に方は運命である
宿命=命の時間は決まっている(命は±1年)
という神人さん説で考えると、
死の種類(幸せな死:自然死、普通の死:病死、不幸な死:事故,災害,他殺,不審,自死)というのは、生き方の選択の仕方=心の健康・体の健康ということになる。
残りの人生、今の一瞬が選択の連続、その瞬間を味わうように大切にしたいと思う。
◆ 過去、自分が選択したことは、
良くも悪くも酸いも甘いも、
自分にとって必要だったこと、
それは自分の課題だったこと、
自分の気持ちに素直に従って、
喜怒哀楽すべて自己責任において、
すべてを受け入れ
ひたすら生きてゆくのみ
自分は自分らしくでいいのだ
だから、
おかしな世の中であることや
自分がガンになったことや
💉2回打ったことを
憂うことはないのだ!
※ 💉の件は書くまいと思っていた矢先にある事象が起きて仕方無く、私なりの考え方を「価値観」という表現に変えて書き綴ったブログです。
https://blog.goo.ne.jp/mt0225/e/7607dc271b09c5baa065a7daacfa5875
以上、私の体験と価値観から出た話しでした。
◆ 最後に
先週、心の内から響いてきた言葉です
「よく見てみよ、本当のことを理解する。知ること。ネガティブな出来事を見て憂うでない。これからは、喜びを広げることを想像/創造することです」
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