男装の麗人と聞くと、ベルばらを見た中高年世代の女性はオスカル・フランソワを連想する人もいるだろう。しかし戦前の日本で、男装の麗人と呼ばれた実在の人物がいた。おそらく高齢者なら憶えている方もいるはずだが、川島芳子がそれである。名前こそ日本人だが、本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、清朝皇族第10代粛親王善耆の第十四王女。マスコミが広く取り上げたにせよ日本社会、殊に女性の間に . . . 本文を読む
その一の続き 白装束に高足駄という異形の山伏姿の上、主人公・大鷲坊(たいしゅうぼう)はひげ面の大男。これだけでも村人から危険視されるのは当前だし、彼が神社の別当として赴いたのが故郷の村。子供時代の大鷲坊は乱暴なガキ大将だったし、それを憶えていた村人は警戒する。しかし、子供の命を救ったり、村娘の病を治したりなどして、次第に大鷲坊は尊敬の眼差しを集めるようになっていく。 江戸時代までの羽黒山伏は神社の . . . 本文を読む
先日、『春秋山伏記』(藤沢周平著、新潮文庫)を読了した。タイトル通り山伏が主人公という異色の時代小説。主人公が山伏の時代小説は珍しいのではないか?そして舞台は作者の郷里でもある山形県庄内地方。ローカル色豊かな里山での若い山伏と村人との人間模様も面白かったが、会話で庄内弁が使われているのは良かった。東北以外の読者の方には読み辛かっただろうが、東北人、殊に隣県の宮城県人の私には親しみ易い。 一口に東 . . . 本文を読む
その一、その二の続き shiretokoさんは拙ブログで、日本におけるキリシタン迫害の実態についてコメントしており、その箇所を紹介したい。「カトリックの見解によると、キリシタンは、4万人殺されたそうです。しかし、私が調べてみると、―日本の学者の唱える「大殉教」は何万人ものキリシタン殺戮を想像させるが、1612年の禁教令発布から鎖国後の1642年までの30年間に、バテレンとキリシタンを合わせ602名 . . . 本文を読む
その一の続き―日本を侵略征服する方法が具体的に述べられています。そして、日本征服の後、日本兵を使って明を侵略するとあります。また、日本人の子供をスペイン人が育て、教俗(キリスト教と政治)一致した植民地支配をするとあります。カトリック(特にイエズス会)とスペイン、ポルトガルは一蓮托生です。また、オーストラリアで、アングロサクソンがアボリジニーの子供を強制的に取り上げ、アングロサクソンの家庭で育て白人 . . . 本文を読む
拙ブログにも現れたが、信者の中にはカトリックは今危機に瀕していると強調する者がいる。異教徒にはカトリック内部での危機などどうでもよいことだし、アンチキリストならば歓迎するだろう。ただ、未だにカトリックは世界最大最強の宗教組織であり、この先も君臨し世界を牛耳るのは確実である。「カトリックによる日本侵略」という実に興味深いブログコメントがある。コメンターのshiretokoさんは拙ブログにも幾つも詳 . . . 本文を読む
その①の続き 紫式部が日記で非難していたように、清少納言は才気煥発型で学をひけらかす面があったのは否めない。著書『枕草子』でも自慢話が目立ち、ウィットに富んだ会話を得意としていた。かなり前のNHKの歴史番組で清少納言の特集があり、ゲストコメンターだった作家・林真理子氏も清少納言は大嫌いと話していた。学を振りかざし、騒々しい…おそらく同類嫌悪から来ていると思うという。一方、紫式部には大文豪というあり . . . 本文を読む
平安時代は日本史上でも稀なほど、女流文学者を輩出した時代だった。その最高の文豪こそ清少納言と紫式部なのは子供さえも知っている。王朝文学の代表格であり、共に才女を謳われた2人である。特に後者など、現代でも読み継がれる世界最古の長篇小説の著者であり、さぞ頭脳明晰で立派な女性と思われがちである。だが意外にも『紫式部日記』で、あの源氏物語の作者とは思えないほど、清少納言への殆ど中傷にちかい非難をしていた . . . 本文を読む
その①の続き 皇后付きの女官として絶頂にあったはずの薫子だが、心中は満足どころかかなり不満だった。天皇制の政府が成立し、その意味で“尊皇”は実現された。しかし、あとひとつの“攘夷”がまるで実現されないことに、彼女は憤然として激烈な建白書を明治政府に叩きつける。冒頭から「味(私)烈死して言上たてまつわり候…」とあり、建白書を要約すると、次のような内容だった。「攘夷の約束は全く実現されていない。一歩譲 . . . 本文を読む
若江薫子(わかえ におこ、1835-81年)と言っても、一般にはあまり馴染みが薄い人物だろう。実は女ながら、明治政府に度々建白書を書いており、「拝啓総理大臣サマ…」のはしりといえる。明治時代に政府にモノ申す女性思想家がいたこと自体驚きだが、不遇の生涯であり、生前から既にその主張は顧みられないものだった。 彼女の家は代々学者で、父は漢学者として伏見宮家に仕えている。先祖は菅原道真とされ、その子孫に . . . 本文を読む