トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

アジア主義の悲劇 その②

2009-10-30 21:23:05 | 読書/日本史
その①の続き ゴローニンの『日本幽囚記』を挙げ、高坂氏は次のように結論を下している。-臆病にもなれるし、軍国主義的にもなれるというのが人間の恐ろしいところだと、私も思う。そして、残念ながら、いかに臆病になっても軍国主義だけにならなければよいという訳にはいかないのである。軍国主義化したのが悪かったというようなことを教訓としても、何の役にも立たない。 大体、全ての欠点は美徳と隣り合わせになっているもの . . . 本文を読む

アジア主義の悲劇 その①

2009-10-29 21:20:31 | 読書/日本史
 先日、第一次大戦敗戦後のトルコを描いた歴史小説『トルコ狂乱』を読了し、つい、日本の戦争過程と重ね合わせてしまった。もちろん状況や時代、背景の全く異なる日本とトルコを比較するのはナンセンスだし、“戦後処理”も日土では対照的である。しかし、戦争に至る経過では似ている点もあり、日本がアジア主義を掲げ戦争に突入したように、トルコもまたある種のアジア主義である「汎イスラム主義」を掲げ、亡国寸前に追い込まれ . . . 本文を読む

田沼意次とマスコミ

2009-09-23 20:25:13 | 読書/日本史
 田沼意次といえば、一般に江戸時代の汚職政治家として知られている。もちろん田沼が賄賂と無縁だったはずはないにせよ、有能な政治家でもあったのは事実である。しかし、田沼の功罪両面を知る人は案外少ないのではないか。そして、田沼の悪事やその根拠とされたものが、一様に殆ど彼の没落以降、それも大量に作り出されていることも。 私が中学生の頃、歴史の教師が田沼意次を取り上げた後、江戸時代の川柳「役人の子はにぎにぎ . . . 本文を読む

ナショナリズムの光と影 その②

2009-09-10 21:24:03 | 読書/日本史
その①の続き 戴季陶が日本人の長所として挙げた自尊心という素質がなければ、明治維新はなかったか若しくは相当遅れていただろうと、高坂正堯氏は指摘する。黒船来航から明治維新の行われた間、多くの日本人は強い危機感を抱き、体制を変えなくては日本は西欧列強により植民地化されてしまうと考えたのは所謂尊皇攘夷派の人々だけではなく、幕府側もその点では同じだった。もちろん、全く新しい外国勢力が出現したことにただうろ . . . 本文を読む

ナショナリズムの光と影 その①

2009-09-09 21:17:42 | 読書/日本史
『世界史の中から考える』(高坂正堯 著、新潮選書)というエッセイ集を、読み返している。この本は十年ほど前に1度読んだが、何故か最近になってまた見たくなった。高坂教授の死後出版された2冊目のものであり、'94年当時に問題提起された内容は現代も変わっていないことを痛感させられる。高坂氏は民放『サンデープロジェクト』の常連コメンテイターとしても出演されていた。私は討論番組に登場する知識人連中は御用学者だ . . . 本文を読む

ゾロアスター教史 その④

2009-05-15 21:49:58 | 読書/日本史
その①、その②、その③の続き この本の巻末にある「日本ゾロアスター教研究小史と参考文献」の章は実に興味深い。日本のゾロアスター教研究者について紹介された章であり、マイナーな分野だけに苦労があったことが偲ばれる。 著者によれば、日本におけるゾロアスター教研究の先駆者こそ荒木茂氏(1884-1932)で、今では知る人もない存在として埋もれているそうだ。荒木氏は現代の福井市に生まれ、摂津の戦国大名・荒木 . . . 本文を読む

日本でイスラムが敬遠される理由 その②

2009-01-10 20:21:38 | 読書/日本史
その①の続き 幕末から明治にかけ日本の知識人の多くは海外視察のため欧米に渡航し、ついでイスラム圏にも足を伸ばした者も少なくなかった。その1人に福澤諭吉もおり、中東を見聞した日本人は福澤も含め、帰国後の報告は悪印象と低評価が書き連ねられている。日本人がイスラム世界に初めて接触したのはこの時代だが、当時の中東は欧米列強の攻勢で混迷しきっており、第一印象が悪すぎた。 明治2(1869)年、福澤は『掌中万 . . . 本文を読む

日本人と中国人 その①

2008-09-26 21:24:24 | 読書/日本史
「文藝春秋」の昭和47(1972)年12月号~昭和49年4月号にかけ掲載された『日本人と中国人』(イザヤ・ベンダサン著、山本七平ライブラリー⑬文藝春秋社)を読了した。代表作『日本人とユダヤ人』とはまた論調が異なり、控え目だった主張が全般に断定型に変化している。著者の心境の変化なのか不明だが、江戸時代の中国ブームを分析した箇所は実に面白く、現代にも通じる風潮がある。 この本の第2章「鎖国時代におこっ . . . 本文を読む

首斬り浅右衛門 その②

2008-05-24 20:28:05 | 読書/日本史
その①の続き 斬首、試刀いずれも難儀な技術が求められる。代を重ねる毎に据物斬りの家伝が成立し、工夫研究が重ねられた。秘伝書の一部にはこうある。-えい、やっと太刀先強く打ち下ろすに、手内、左右ともに強く締める。腰柔らかに、足の広さ一尺、踵を上げ、爪先を強く踏む。打ち込む時、ひじ少なく曲げて引く心得にて、すなわち、太刀を先強く切り下げる… 屍を斬る試刀はともかく、生者の首を刎ねる作業を浅右衛門はどのよ . . . 本文を読む

首斬り浅右衛門 その①

2008-05-23 21:26:42 | 読書/日本史
 俗に“首斬り浅右衛門”と呼ばれた山田浅右衛門は個人名ではなく、山田家の代々の当主が名乗った名だった。山田家は享保初年(1716頃)から明治14(1881)年に至るまで、死罪人の斬首の執行をしていた一族である。普通首斬り役人と思われがちだが、正式には役人ではなく、身分上は浪人に過ぎなかった。 山田家は「将軍家御試(おためし)御用」を承わる家柄であり、御試とは将軍家が佩用すべき刀剣で人の遺体を斬り、 . . . 本文を読む