その一の続き
マスコミだけでなく、ネット上でも日本と他国の絆を訴える人を結構見かける。特に親日国としてのエピソードが強調されるのが、台湾やトルコ、ポーランド。台湾については多くのブロガーが書いているため触れないが、トルコやポーランドとの絆を取り上げる人も少なくない。ポーランドが親日国なのは聞いていたが、その理由は知らなかったし、ポーランドというと私が真っ先にイメージするのはポグロム。そのため印象も良くなかったし、関心もなかった。
「ポーランドからの恩返し」というブログ記事にはその背景が紹介されており、トルコに比べると一般に知られざるエピソードだろう。ポーランド人が百年近く前の日本の支援に恩義を感じているという話は、確かに心地よいものでもある。
信仰がイスラムとカトリックの違いはあれど、トルコとポーランド共にロシアにヤラレたという共通点があるのだ。両国が自分たちを苦しめたロシアに勝利した遠い東洋の島国に快哉を叫ぶ気持ちは理解できる。それに両国とも交流もあまりなく領土問題が存在するはずもない遠国。反日国にはなり難いはず。
但し、人間の記憶は時と共に風化しやすいもの。トルコ、ポーランド双方とも何時までも昔の出来事を憶えているとは思えない。ましてトルコとの絆のきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件は、1890年の出来事なのだ。震災時に両国が救援に来てくれたのは感謝するが、親日国というだけで過度な期待はしない方がよい。まして絆に至っては、日本人の独り善がりの幻想にちかいのではないだろうか?
個人間においては異民族同士でも絆は結べる。しかし、国家間となれば難しいというよりも殆ど無理と思った方がよく、当てにはできない。いわゆる「地政学名言集」は方々のサイトで見られるが、「国家に真の友人はいない」(キッシンジャー)、「我が国以外は全て仮想敵国である」(チャーチル) 等の名言からも、国家間には友好の絆など存在しないことが判ろう。
そしてYahoo!知恵袋の「国家が「親日」なんて事はありえません」に至っては、「「国民に日本が好きだと言わせれば、自国の利益になる」と判断すれば、いくらでも親日を演出するでしょうね」というシビアな意見も見られた。
「忘れてはならないベルギーと日本の絆」というブログ記事には、興味深い人物の話が載っている。明治26年~43年の17年間に渡り日本駐在公使だったアルべール・ダネタンの名も初めて知ったし、明治時代の日本の名誉を守り抜いてくれた人物でもあった。以下の色字は記事からの引用。
「日清戦争での日本軍による旅順港占領の際に「何の罪もない住民や婦女子に対する虐殺が行われた」とする記事が海外のメディアで報道された。この報道を目にしたダネタン氏は事の真偽を確かめるべく独自に調査に乗り出した。その調査の結果、結局黄色人種に偏見を持つ米国人記者によるまったくの捏造だったことを明らかにしている。
ダネタン氏はベルギー本国に対して、「旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる残虐行為は二ューヨーク・ワールド紙の記者によって多分に捏造されたものであった。私はそこに居合わせたフランス武官ラブリ子爵に会ったが、彼は私にこう断言した。殺された者は兵士たちであり、婦女子が殺されたというのは真実ではない」と報告している。ダネタン氏は日本に対する偏向や捏造の報道を次々に修正し、公平な情報を世界に向けて発信し続けて、誤った対日観を是正してくれた…」
ダネタンの真摯な行為には言葉もないが、彼のような公使は極めて稀なのだ。日本とベルギーの交流の基礎を築いたにせよ、残念なことに殆ど忘れ去られた人物となった。
改めて日本人というのは、国の内外問わず「絆」を求める気持ちが強いと感じさせられる。しかし、同民族同士でも激しく対立することがあるのだから、まして文化習慣の違う他国との絆は極めて望み薄なのだ。
重要なことは、絆の有無に関わらず「常識」「コモンセンス」として災害時にどのようにして被災者と周囲の人々とが共存するか、助け合うか、エチケットに遵守するか、ということであって、こんなときに「絆」を持ち出すのは、ほんとうはおかしいと思っています。
>珈琲さん、コメントを有難うございました。
やはり貴方も、メディアによる災害時での「絆」連呼には、違和感を抱いておられましたか。たぶん我々と同じ想いの日本人も少なくないと思います。今回の熊本地震でも、被災地入りした報道関係者の横暴な振舞いには激しい非難が浴びせられていましたが、 このような連中が「絆」を強調するのは、違和感を通り越して不愉快です。
さらにおかしいのは、日本国内だけでなく他国との絆を訴える日本人が少なくないこと。同じ日本人同士さえ絆は難しいのに、文化習慣の異なる異民族では。