トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

女法王ジョヴァンナ その四

2015-12-03 21:10:14 | 読書/欧米史

その一その二その三の続き
 はじめのうち、フルメンツィオはジョヴァンナを取り巻く名声と賞賛を自分のことのように喜んでいた。2人の庵を訪れる客人との会話には、フルメンツィオだけが取り残される。作者はその状況をこう描いている。
彼はジョヴァンナを愛するあまり、彼女のためばかりを考えて生活していたために、1人の男としての進歩が止まってしまっていたのだった。反対にジョヴァンナは、ますます彼女の素質に磨きがかかっていた

 英米文学の翻訳家・黒原敏行氏は英国人作家F.フォーサイスを、人間観においてもシニカルなまでにリアリストと評していたが、日本人女性作家・塩野七生氏もその人間観では負けない。2人の関係の変化をこう書く。
しかし、恋はより多く愛した者が敗者になるのだ。彼が自分を捨ててジョヴァンナを愛すれば愛するほど、ジョヴァンナの方は、彼から離れていくように思われてきたのだ…

 やがてフルメンツィオは恋人の足元に身を投げ出し、涙と嘆きを訴える。ジョヴァンナもはじめは長年連れ添った男の苦悩をやわらげようと、説得と愛撫で優しくなだめたが、それが繰り返されるや、泣き喚くフルメンツィオを残し、1人外に出てしまうこともあった。果てしない苦悩に苛まされ始めたフルメンツィオは、ジョヴァンナを一気に殺してしまうか、彼女を捨てて何処かへ去ることも考えたが、恋人を永久に失うことを恐れ、決心も実行も出来なかった。
 訪問客と高尚な哲学問答を交わすジョヴァンナには、フルメンツィオがもの足りなくなり、男の涙と哀願と口論に、冷たい視線と沈黙で答える日がますます多くなる。彼女の沈黙の底にはある決心が芽生えたのを、フルメンツィオは気付かなかった。

 或る日、庵の外でローマに向けて出港する船を見たジョヴァンナ。これで考えは決まる。庵に戻った時、恋人の甲斐甲斐しい献身の姿を見て彼女は、15年間も苦楽を共にしてきた男をローマまで連れて行こうかと一瞬考えた。しかし、ローマに行ってもまた元の涙と哀願と口論の日々が再開されるかと思うと、彼を置いていくことに決めた。
 ジョヴァンナはフルメンツィオに何も語らず、別れも告げないことにした。その日の夜、恋人にキスと愛撫をし、嬉しさで寝入ってしまった恋人を残し、庵を出る。そして翌朝、彼女はガレー船上にいた。彼女の不在を知ったフルメンツィオは必至で船を追うが、船は水平線の彼方に消えていく。

 無事ローマについたジョヴァンナは、これ程利点のある僧衣を脱いで元の女装に戻ることはしなかった。女に戻っても、行く先はせいぜい尼僧院、そこではまた元の筆写の仕事か、上手くいっても尼僧院長になるのが関の山である。32歳になっていたジョヴァンナは、そんなことでは飽き足らない野心を持ち始めていた。長年勉強したのだから、それをこのキリスト教世界の首都ローマで、存分に活かしてみたいと考える。
 ローマ法王レオ4世と会ったジョヴァンナは、法王からその学識を高く評価され、当時の最高学府・聖マルティーノ学院の神学教授に任命される。一介の修道士に、法王ともあろう者がこうも簡単に会えるのか、と現代人は不思議に思うだろう。しかし、これは中小企業の社長が工員に気軽に会うのと同じであり、9世紀のローマ法王庁はまだ中小企業くらいの規模でしなかった、と作者はいう。現代は大企業になってしまったが、中小企業クラスの中世でも、競争相手のいない独占企業だったが。

 学院でのジョヴァンナの授業は間もなく評判となり、彼女の広い学識は学院で群を抜いていた。学院に押しかけたのは学生だけではなく、法王レオ4世もよく訪ねてきた。この若い教授の学識と人柄に感心した法王は、彼の特別私設秘書にも任命する。法王の側近たちも、利己的な所がなく、理にそった対応をするジョヴァンナに心から敬服するようになった。
 レオ4世崩御後の新法王選出で、学生ら運動員の活動も手伝い、ついにジョヴァンナがジョヴァンニ8世の名で法王に就く。キリスト教世界の頂点に、女でありながら立ったのだ。

 2年半に及ぶジョヴァンニ8世の治世は、なかなか良政だったという。だが、外見が法王らしく様になったジョヴァンナの心中は、騒がしく動き出していた。彼女は35歳を越えた自分を感じていたのだ。リアリストらしく作者は、こう書いている。
人間は野望実現の過程では、異性のことなどは忘れてしまったとて、たいして残念にも思わない。だが、いざ自分の夢が実現したとなると違ってくる。特に自分の人生がこのままで終るかと思うと、胸の中が揺らいでくるのだ
 ある朝、数本の灰色の毛を金髪の間に見つけた時から、彼女の心は騒ぎ出したのだった。法王庁内で仕事をする者の中に、パオロという若者がいた。法王の侍従的な役目をしていたパオロは20歳そこそこの若さであり、学識深い美男の法王を心から尊敬していた。パオロが侍従から愛人になるのに、時間は要さなかった。
その五に続く

よろしかったら、クリックお願いします
 にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る