トーキング・マイノリティ

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東北人について思うところ その二

2011-12-19 21:31:09 | 世相(日本)

その一の続き
東北熊襲発言」について、現代は新潟県在住だが、当時は東北に住んでいた主婦ブロガー「ハハサウルス」さんからも、次のコメントが寄せられた。

サントリーの件は私もよく覚えています。腹も立ちましたが、「熊襲”って、バ○丸出し」と呆れたものです。もちろん周囲でも「サントリーなんか買うな!」という人が増え、知り合いの男性も「サントリーのウイスキーはもう買わない」と怒っていましたので、「頂き物はどうするんですか?」と訊いたところ「貰った時は飲む」とのことでした(笑)。
 実はいまだに私も他に選択肢がない場合はともかく、サントリーの製品を積極的に購入する気にならないのは、正直な気持ちです。もう怒りがあるわけではないのですが、何となく習慣になっちゃっているんでしょうね。そう考えますと、いったん放たれた言葉の恐さを感じます。

 私の周囲の反応も似たようなものだったし、「サントリー元会長の“熊襲発言”はア○丸出しでしたね。文化事業を始めた本人の文化レベルが低かったとはブラックジョークでしょう…」と返信した。
 それに対し、shiretokoさんから反論があった。HNから誤解されがちだが、shiretokoさんは関西人である。「思うところを申し上げます」の題で、以下はそのコメント。

熊襲発言は23年前のことです。確かに非常に問題のある発言でした。佐治氏は大阪商工会議所会頭として発言し謝罪しました。また、当時の関西経済連合会会長も東北経済連合会会長に謝罪しました。公職の立場での発言になりますので、大阪、関西全体が東北を侮辱したことになります。自分の発言が大阪関西全体に迷惑がかかる。またサントリーに対する不買運動もあり、佐治氏はサントリーの責任として改めて謝罪しました。

 お怒りはごもっともですが、四半世紀近くになります。サントリー自身これ以後東北において営業成績がふるわない。そして、このたびの大震災で、義捐金、ペットボトルの天然水を被災地に贈っています。また、缶製品一本につき1円の義捐金を積み立てると発表しています。 サントリー製品を買うかどうかは、嗜好の問題ですので無理に買う必要はありませんが、十分に罪を償ったのではないでしょうか。まして、佐治敬三氏は故人です。「バ○丸出し」、「ア○丸出し」、「文化事業を始めた本人の文化レベルが低かったとはブラックジョーク」、いささか度が過ぎるのではないでしょうか。


 あの発言から既に23年も経っていたことに私自身驚いたが、これなら、この先四半世紀近くも語り継がれるかもしれない。長所と短所は背中合わせ、と言ったのは京都人の高坂正堯氏だが、粘り強い長所は執拗で執念深い性格にも繋がるのだ。東北人同士の確執や骨肉の争いも激しいものがあり、寒冷地の人間は我慢強くてもキレれば手が付けられないかも。
 ダニエル・カールさんは「いざという時、皆が力を合わせる文化。これが東北の底力」と述べているが、同時に裏切り者や力を合わせない者への制裁もある。私はその原因を島国や農耕社会に求めていたが、今回の大震災で天災も影響していることにやっと気付いた。三陸地方は津波以外にも、飢饉に幾度も苦しめられてきたのだから。

 東北人に限らず、「いざという時、皆が力を合わせる文化」は他国でも珍しくない。概して少数民族にはその傾向があり、仲間内の“掟”を乱す者には苛烈な対応をとる。私が関心を持つパールシーも団結力で定評があるが、“掟”を守らぬ信者には最悪の場合、教団から追放され、葬式も出してもらえない。村八分ならぬ信徒十分なのだ。

 ダニエルさんのような在日外国人の支援には本当に感謝しているし、おそらく彼から助けられた人はその恩を忘れないはず。日本では義理堅いのは美徳とされるが、これも度が過ぎれば狭量、閉鎖的な性質にもなる。一般に過去を水に流すのが日本の風土と言われるが、東北では少し風習が異なるように思える。人はそう簡単に過去を水に流せるのだろうか?

「謙遜するのは東北人の良いところだが、今はほどほどにしよう」とのダニエルさんの意見には大賛成。「大声でお国自慢」は急にはやれないし、おそらく東北人の気質から難しいだろう。大声でなくともよいから、お国自慢はあっても当然だ。大声でお国自慢するのは米国人や中韓人に限らない。インド、中東も同様だし、これらの文化圏は自己主張の強さでは欧米人をしのぐほど。インド・オタクからすれば、日本人も少しインドに学んでほしいと言いたい。

◆関連記事:「奥州征伐と東北人

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20 コメント

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理屈ではないもの (ハハサウルス)
2011-12-22 10:30:21
こんにちは、私のコメントをご紹介頂きましたが、shiretokoさんにお叱りを頂いたコメントでしたので、少し複雑な心境になったのを思い出しました。(故人にいまだに腹立たしい思いを持っているわけではないのですが…)

東北出身者として、少し思うところを書かせて頂けば、所謂東北人の気質はmugiさんの仰る通り長短背中合わせだと思います。もちろん皆が一様ではなく個人差はありますし、東北と一括りにされることが多いですが、県民性も違います。僻みかもしれませんが、何となく低く見られていると感じることも多々ありました。「あ~○○県ね」と…、これはニュアンスをお伝えするのが難しいです。私なんかは逆に聞いた時のその人の反応で、内心「ふ~ん」と興味深く感じたりしています。

新潟に嫁いで感じたことは、新潟県人は東北と同一視されることを嫌がるんですよね。東北電力管内には新潟も入りますが、「自分達は違う」と思っていて、特にそれを口に出しては言わないのですが(言う人もいますが)、何となくわかるのです。もちろん皆が皆ではないのですが、これは理屈ではないのでしょうね。

今回の震災で東北人の「我慢強さ」「地域のまとまり」などがクローズアップされていますが、やはりそれも「度を越せば」暗い面も出てきます。「執念深い」という面も否めません。先のサントリーの件も、もはや過去のことという認識は持っていますが、じゃあ水に流して綺麗さっぱりと言うまでにはならず、「覚えている」んですよね。これも理屈ではないのでしょう。

関東、関西と言っても何やら各県いろいろ複雑な思いがあるようですし、同じ県内でも地域によって違います。何でも十把一絡げという訳にはいかないのは、世界共通のこと、だからと言って地域、地域というのもどうかと思っています。違いがあると同時に共通性もある、国民性もある、「さあこれからは地方の時代ですよ」などと言われても、国政がまとまりを欠く今の状態では混沌を生むだけでしょう。

東北の復興が日本再生の機動力となることを強く願っていますが、我慢強さを持ちつつも「言うべきことは言う」東北になって欲しいと思います。(「私は口下手で…」なんて言いながら、陰で悪さする某剛腕政治家のようにはならないように…)

寒さの厳しい中、被災地の皆さんはどうされているかと思うと、申し訳ないような気持ちになりますが、新しい年が飛躍の年になりますようにと願っています。
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創られた恨み (shiretoko)
2011-12-22 21:01:02
 mugi様お世話になります。以前から感じていることを書かせていただきます。東北人は、本当に恨み深いのでしょうか?私は疑問に思ってます。恨みをすんなり水に流せたら大人物です。人間は感情を横に置いて実利を求めるのではないでしょうか。

佐治さんの発言で怒るのは当たり前です。しかし、その怒りに対して、煽りに煽って火に油を注ぎに注いだのはマスコミではないでしょうか。また日本武尊の時代から何度も侵略されたため畿内に対して恨みがあるというのも、明治になってから創られたものではないかと考えています。

会津の人が長州をいまだに恨み続けている。これも何らかの煽動があるように思います。

GHQ焚書図書開封3(西尾幹二著)より引用

・・・引用開始・・・
  四民平等は国民皆兵も意味していた
・・会津の戦が済んだ松平容保父子が城を出て妙国寺に退隠した或る日、一人の百姓がやってきて、芋を藩公に献じてその不幸を慰めようとした。

 その護衛に当たっていた土佐の侍が、美談として監軍(官軍と同じ)の板垣退助に語ったのである。傍らで聞いていた者は、皆その忠義をほめない者はない。

 このとき、板垣は静かに次のような述懐を洩らしたという。・・中略・・彼はさらに言葉をつないで、
「やがて兵を進めて会津に近づくや、会津の雄藩、必ず一藩を焦土と化して戦うであろうから三千未満の官兵では、とても攻略することは出来ん。唯討ち死にの他あるまいと秘かに覚悟を決めていた。ところが若松城に近づくにつれて、人民(民百姓)は家財道具を携えて、争って地方に逃れ、甚だしきに至っては、人足となって官軍の手助けをする者がある。我が輩はその意外なるに驚いた。諸君は芋を持って来て、その旧主を慰めんとする百姓に感心しているが、それなら何故初めから我々に抵抗して、旧主を助けなかったのか。

・・中略・・これは要するに、戦争は士がやるもの、百姓は初めからわれ関せず、だからである。その楽しみを倶にせざるものは、その憂いを倶にせずだ。武士だけがその特権を振り回している時代に、百姓がどうして国事を共に憂えるものか。これ程の大藩が亡びるのに、之に殉ずる者、僅かに三千に過ぎないと云うのは、この道理に他ならぬ。我が輩は、昨日まではこれを会津のこととして、冷ややかに見ることが出来たが、これを今後の日本に及ぼして考えれば、ゆゆしき大事である。要するに、今日以後は、四民平等の制度を布いて、国民全体が楽しみを倶にし、憂いを倶にしなければならぬ。」

 武士の時代は、武士だけが特権を振り回していました。特権というのは楽しみも悲しみも知る特権です。民百姓はそれに関係なかった。だから、先ほど見たように西郷隆盛も「百姓あがりの兵隊は捕まえても免してやれ」といっていたのです。民百姓などは相手にしていなかった。しかし明治政府になったら国民全部が一つになって苦楽をともにしなければならない。そうでなければ外国との戦争に勝てない。

 つまり板垣が「四民平等」というとき、それは富や権利の平等だけでなく、兵士となって国のために戦い、そして死ぬことも平等でなければならないといっているのです。

・・・引用終わり・・・

 板垣退助の自由民権運動、四民平等、これについて真の意味が説明されていますが、読んでいただくと分かるように、民百姓と武士は価値観が全く違うのです。武士階級が、長州を恨むのは分かりますが、民百姓が長州を恨むことはあり得ない。明治以降の四民平等教育によって会津全体が長州を恨むようになったのか、もしくは、何らかの意図による煽動が考えられます。

同じように、アテルイ、前九年の役、奥州藤原氏滅亡等々で、もし恨みを持っている人がいるのであれば、何らかの意図で煽っている者がいるとしか考えられません。アテルイ以外の「侵略」は、民百姓と何の関係もないのですから。大和朝廷に侵略され現代まで抑圧されていたと主張する人がもしいるのなら、伊達政宗、最上義光は、日本から独立しようとしたといわれるのでしょうか。東北のみならず全国の戦国大名は、上洛して天下を取ろうとしたのでないですか。奥州藤原氏にしても、鎌倉からの侵略を防ぐため、平家、朝廷と連携していたのです。

 東北人は恨み深いというイメージをつくって得をする者がいるのか、国家分裂を企む者がいるのか、地域間がいがみ合えば、得をする地域があるのか、これらが考えられます。

 mugi様は、東北は後進地域だと仰いますが、これも如何なものでしょうか。都から仏師を招いて云々となりますと、京都(もしくは奈良)以外の全ての地域は後進地域になります(笑)。一つの例として、応仁の乱があります。これによって京の都は焦土と化しました。応仁の乱の発端は幕府内の問題から始まりましたが、百姓町人は関係ありません。しかし、応仁の乱で全国の大名が京都に攻め込んだおかげで、全国各地の文化が京の都に集まり、また京文化をそれぞれ持ち帰り、これを約十年間繰り返したおかげで日本文化が完成しました(笑)。また焼け出された貴族は各地の有力大名を頼り、宮廷文化を移植しました。特に有名なのは山口の大内氏でしょう。日本のすべての地域が京文化にあこがれていたのです。東北が後進地域と言われるのは如何なものでしょうか。

 大学時代京都に住んでおりましたので、京都の人の心情をある程度知っているのですが、木曾義仲、高師直、織田信長、そして会津藩配下の新撰組といった困ったお人が都にやってきたと京都の人は心の中で思っています。特に困ったお人は新撰組です。京都の人は、新撰組を暴力団よりタチが悪いと言います。京都に限らず畿内は常に「侵略」にさらされていました。しかし、畿内の人間は常に「侵略者」とされています。

 また、日本武尊と言われても神話であり、大和朝廷の征服がけしからんのであれば、日向国から侵略された「原大和国」の我々原住民こそ「大和朝廷」を恨まなければなりません。話は飛びますが、日本武尊による熊襲征伐自体おかしいと思います。日向国出身の大和朝廷が、なぜ日向国の熊襲を征伐しなければならないのでしょうか。津田左右吉のように、日本書紀、古事記の記述を全否定するつもりはありませんが、神話は神話と考えるべきだと思います。これもまた話が飛びますが、関西広域連合に鳥取県が参加したとき、島根県出身の産経新聞大阪本社所属の記者が、大阪版の夕刊のコラムで、「鳥取県が裏切った」と書いていました(笑)。とはいっても私個人、島根県の人からとやかく言われた経験はありません。

 最後に、佐治さんの問題発言、大和朝廷による侵略云々、東北人の性格云々にしても、煽動者がいると私は考えています。元々京大阪と東北は、北前船による商取引で関係が深かったのです。北前船や大阪堂島の米相場で財をなした本間家のような例もあります。地域間紛争によって得をする者がいるのでしょう。得をする者として「鳥取県が裏切った」とするマスコミではないでしょうか。
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RE:理屈ではないもの (mugi)
2011-12-22 22:05:18
>こんばんは、ハハサウルスさん。

 仰る通り東北人と一括りにされても、それぞれ県民性や県の事情も異なる。東北人全てがマスコミで報道されるような、ステレオタイプの行動や思考をするはずもないのに、この捉え方には不快を覚えます。
 貴女と異なりずっと東北在住ですが、それでも仕事で他の地域の人々と関わる際、私自身も何となく低く見られていると感じることはありました。特に関西人がそうでしたし、東京にさえ対抗意識を持つ彼らにすれば、東北など文化程度の低い“熊襲”の産地と見るのは当たり前かもしれませんね。

 私自身、何故新潟が東北に含まれるのか不可解だし、宮城県人に限らず他の東北人も同じ想いの人も少なくないのかもしれません。東北でも県境を接していない秋田、青森となれば、私でも遠い地域と感じてしまいます。
 震災前からマスコミではやたら、「無縁社会」を強調しているように感じられるのは私だけでしょうか?そして、震災後は「絆」の連呼に正直言って胡散臭さを感じてしまいます。「絆」も度が過ぎれば、全体主義体制ですよ。

 昨年7月の記事「ポーランドの悲劇と聖徳太子の政治」は興味深いです。私もポーランドについてはまるで浅学で、管理人の主婦ブロガーさんの記事に、世界史教科書にも記載されている「ポーランド分割」の背景が描かれています。その原因は「地方分権」にあったようだとか。中々考えさせられる記事でした。
http://blog.livedoor.jp/rihotan221-sekaishi/archives/51472280.html

 阪神大震災で神戸の復興には十年ほどかかったと言われますし、東北はそれよりかかると私は見ています。場所によっては復興しない町もあるだろうし、逆にそれ以前より繁栄する所も出てくるはず。「ことを為すのは人にあり、これを成すのは天にあり」なので、地道にやっていく他ありませんね。
 震災とは無関係で、ネットに溺れるだけの無能な暇人に「東北がんばれ!」と言われずとも、やるべきことをする人に運は開けてくると思います。
返信する
雑感 (スポンジ頭)
2011-12-23 17:27:40
 こんにちは。
 >それでも仕事で他の地域の人々と関わる際、私自身も何となく低く見られていると感じることはありました。特に関西人がそうでしたし、
 以前の私の書き込みもそう思われたのでしょうか。私自身仕事で東北の支店等とやり取りしておりますので複雑な気分です。

 ところで、ポーランドの場合は選挙で選ばれた国王はもともとロシア女帝、エカチェリーナ二世の愛人で、女児まで生まれた仲です。それをロシアが後ろ盾となって立候補させ、結局彼はロシアの言いなりとなる羽目になりました。もちろん、彼自身女帝に訴えてロシアの圧力を軽減しようとしますが、もはや女帝は弱国の彼の言うことなど無視してポーランド分割へと進みます。彼はそれでも女帝に好意を持ち続けたそうですが、彼女の方は軽蔑していたとか。彼個人は繊細で上品な人間だったのですが、それが却って国を不幸にしたようです。
 そして外国を後ろ盾にしながら参政権を与えようとする考えの人間を見ると、ポーランドの話を思い出すのです。
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RE:創られた恨み (mugi)
2011-12-23 21:03:36
>shiretoko 様、こんばんは。

>>東北人は、本当に恨み深いのでしょうか?

 記事にも書いたように東北人も十人十色なので、出しゃばりもちゃんといます。少なくとも私は慎み深くはありませんし、タカリ名人の東北人もいることでしょう(笑)。たとえ恨みがあっても利が得られると思うなら、過去を水に流すフリをする人間が多いのではないでしょうか。そして、私個人は畿内には何の恨みもありませんし、ましてアテルイの時代の“侵略”を未だに憤慨している東北人こそ稀だと思います。

 今年の春、山口県在住のブロガーの記事「会津の人の長州への確執」を興味深く読みましたので、私も記事に引用しました。この記事から一部引用します。

-「薩長は残虐非道なことした」とよく言われますが、具体的に薩長だけが、特筆するようなどんなことをしたというのか、よくわかりません。150年も前の、今とは人道上の考え方などが全く違う時代です。だから仕方がないという意味ではありません。お互い(どの軍にも)おろかな、残酷な行為はありました。たとえば・・
●第二次長州征伐の時、長州の周防大島では、上陸してきた幕府軍に家を焼かれ物は強奪され女性は強姦されました。今でも年寄りは恐ろしい嫌なものが来ることを「バク(幕府軍)が来る」と言うそうです…
http://blog.goo.ne.jp/akiller_2006/e/7011d56582e5c6151412fcb3b194fb8c

 大陸レベルに比べれば温いにせよ、日本でも内戦時には残念なことに民百姓への暴行略奪はあったはず。そのため、会津でも官軍が「若松城に近づくにつれて、人民(民百姓)は家財道具を携えて、争って地方に逃れ」たのです。被害を受けなかった民百姓は違うにせよ、暴行略奪の被害者が長州を恨むのは無理もありません。
 ただ、貴方の仰る通り、一部煽動者がいる可能性もあると私も思います。国家分裂を企む者や利益目的もあろうし、単に話題性づくりのため、マスコミが面白おかしく報道することもあるでしょう。

 東北は後進地域だと言うのは私だけではないし、殆どの東北人がそう見ています。これも「東北は遅れている」と毎度書き立てる地元メディアの影響も大きいにせよ、東北を先進地帯と思っている人はまずいないのではないでしょうか?かつては京文化に日本中が憧れていましたが、近代以降は東京になりました。
 地元の人間が東北を後進地帯と思うのは、やはり収入や若者の勤め先の不足、文化施設や催しの乏しさがあるはず。以前、高知県出身で今は首都圏在住の方からもコメントがありましたが、高知は美しい自然以外、何もないと言っていました。

>>元々京大阪と東北は、北前船による商取引で関係が深かったのです。
>>北前船や大阪堂島の米相場で財をなした本間家のような例もあります。

 これも日本海側の東北であり、太平洋側は異なります。特に仙台藩は江戸時代から米どころで、米を江戸に輸送していた。そのため、東北太平洋側では京大阪との関係は薄いのです。もしかすると、宮城県人の東京志向は江戸時代からかもしれません(笑)。
 対照的に山形県は京大阪との関係は深かった。山形県人は伊達政宗は山形人と言っており、政宗も晩年に仙台入りしているから山形人なのは事実です。山形人の“植民地”が仙台の始まりでした。

>>日向国出身の大和朝廷が、なぜ日向国の熊襲を征伐しなければならないのでしょうか

 恥ずかしながら、大和がかつて日向国を統治していたことも頭に浮かびませんでした。須佐之男尊は出雲国を建国、さらに九州遠征によって「大和の国」の基礎を築き、天照大神とその子は日向国を統治していた説ですね。後に大和(奈良県)に東遷したにせよ、ルーツは日向国。熊襲征伐説にかなり意図的な煽動があるかもしれません。
 以前、古代日本の“侵略”を糾弾する「反米嫌日家」について書いたことがあります。この類の日本侵略説は低レベルにせよ、マスコミにも似た様な怪しい者がいるはず。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/85cedbefead691b5c024ed771b72ac9f
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RE:雑感 (mugi)
2011-12-23 21:11:55
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 匿名ネットということもあるのか、貴方のこれまでの書込みには低く見られていると感じたことはありませんが、仕事で直に接した関西人にそのようなタイプがいました。これは私だけの感想ではなく、「関西人は上方という意識があり、プライドが高いのだろう」と他の同僚も話していたから、同じ想いだったはず。もちろん関西人全てがそうではなかったし、そう感じられた人もいたのです。

 ポーランドの国王とは、エカチェリーナ二世の元愛人だったのですか!このようなことは高校の世界史ではまず教えないですよね。多くの愛人がいたことで有名な女帝ですが、元彼の感情を利用して分割を図ったとは、やはり大した女君主でした。
 19世紀エジプトの民族運動指導者でアフマド・アラービーという人物がおり、彼と会見した日本人に東海散士がいます。アラービーは東海散士に、「外国人を国家の顧問にして、高位にあげてはならない」と忠告しており、以前記事もしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/33cb12a2e6fbfe36df03b7aafeb39249

 私も外国人を登用しようとする動きをみると、エジプトの過去が思い出されてなりません。
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同じ悩み (shiretoko)
2011-12-24 13:03:42
 Mugi様お世話になります。お返事有り難う御座いました。

>それでも仕事で他の地域の人々と関わる際、私自身も何となく低く見られていると感じることはありました。

 東北の方も同じ悩みをお持ちのようですね。私も関東や東北、特に東京、横浜、仙台の人から蔑まれることがあります。金に汚い下品な大阪人というイメージがどうしてもありますから。つらいですが仕方がありません。しかし、このような時だからこそ偏見をなくさなければいけません。
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RE:同じ悩み (mugi)
2011-12-24 21:10:21
>shiretoko 様、こんばんは。

>>私も関東や東北、特に東京、横浜、仙台の人から蔑まれることがあります

 え、関西人を蔑む仙台人もいたのですか!東京や横浜ならまだ分かりますが、仙台となれば信じられません。「金に汚い下品な大阪人」というイメージはマスコミで垂れ流されており、申し訳ありませんが、私もそんな印象が皆無とは言えません。ТVドラマに登場する大阪人に、まさに「金に汚い下品な」人が登場しますが、その影響は大きいのかもしれませんね。

 たぶん互いをよく知らず、安易な先入観で見てしまうため、他の地域の人を蔑むことがあるのではないでしょうか?思い込みに基づく偏見で話してしまい、悪気はなかったにせよ傷つけてしまったというケースもあると思います。そして東北人がよい例ですが、昔から辺境の地ということで、劣等感が強い。それが被害妄想にも繋がるのです。
返信する
理不尽 (shiretoko)
2011-12-24 21:48:34
mugi様お世話になります。

>え、関西人を蔑む仙台人もいたのですか!東京や横浜ならまだ分かりますが、仙台となれば信じられません。

 基本的に東日本の方が多いです。東京や横浜など関東が多いですが、東京の影響力の強いところが多いですね。若い頃、年配の上司に、佐治さんの発言以降、東北特に仙台の人はかなりつらく当たってくる。だから東北特に仙台の人と接するとき(仕事であろうとなかろうと)は丁重にしろといわれました。ですから大阪周辺の人たちは、申し訳ないですが、仙台の人には慎重に応対しています。ですから、mugi様が関西人に馬鹿にされたと書かれているのを見て正直驚きました。

 かなり前に月刊誌で読んだのですが、金に汚い下品な大阪人というイメージは、こちらでつくられたようです。

 がめつい奴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%A4%E3%81%84%E5%A5%B4

 東京の芸術座で初めて公演されたものだそうです。脚本を書いたのは関東の人間で意図的に大阪を貶めたようです。

 ここにも書かれていますが、「がめつい」も関東人である脚本家の造語だそうです。谷崎潤一郎ですら知らない言葉とのことです。確かに子供の頃、「がめつい」という言葉を使うと、汚い言葉を使うな、と親に怒られました。ここまでつくられたイメージが定着するとどうしようもありませんが、腹が立ちます。
返信する
RE:理不尽 (mugi)
2011-12-25 21:16:43
>shiretoko 様、こんばんは。

 東北の中でも特に宮城県は東京志向が強いと思います。8世紀に国府・多賀城が築かれたこともあり、もしかすると中央への憧れは江戸時代以前からかもしれません。申し訳ありませんが、概ね仙台人の関心は東京ばかりで、関西には興味は薄いのです。

 私の職場の上司や同僚に宮城県以外の出身の東北人がいましたが、彼らもまた佐治発言は憶えていました。彼等も関西人はやはり東北を見下しているとの想いを話していたのです。酒の席といえ、東北弁を揶揄した関西人もいます。ただ、件の関西人は大阪人ではなかったはずです。

「がめつい」が関東人の脚本家の造語とは知りませんでした!wikiに脚本家の菊田一夫は、こう解説されています。
-神奈川県横浜市生まれ。生まれてすぐ養子に出され、生後4ヵ月で両親(西郷姓)に連れられて台湾に渡ったが、まもなく捨てられ、転々と他人の手で養育された末、5歳のとき菊田家の養子になった。台湾城北小学校に入学したが、学業半ばで薬種問屋に売られ、年季奉公をつとめた。その後大阪・神戸で小僧をして夜学(実業学校)に学ぶ…

 菊田は大阪・神戸で小僧をしていた頃、不快な体験があったのかもしれません。考古学者の故・樋口清之氏は著書で関西を見下す関東人への反論を書いていました。wikiで見たらこの人は奈良県出身だったのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E6%B8%85%E4%B9%8B
返信する