トーキング・マイノリティ

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弱者にも優しい社会を その三

2013-01-14 21:10:16 | 世相(外国)

その一その二の続き
 2005年12月09日付といささか古いが、「女性の貞操と「名誉の殺人」トルコ」というニュースサイトがある。一般トルコ人への「名誉の殺人」に関するインタビューが紹介されており、そこから一部紹介したい。

18歳〜22歳のグループに分類される男子大学生は、「貞操とは生きていることの意味である。貞操がなければ、生きている意味はない。お金はなくとも名声はなければならない」と言う。
シャンルウルファ県女性(70歳)「頭のいい女性は貞操を恥にさらすようなことはしない。ふらふら出歩く女性はよくないね
シャンルウルファ県女性(30歳 中卒)「従順なら貞操。自由奔放なら貞操がない
バトゥマン県男性(23歳 高校中退)「女性は小学校卒業で十分。外を出歩く女性が多くなれば混乱も大きくなる。混乱が大きくなれば不道徳な行為も増えるんだ

バトゥマン県男性(26歳 高卒)「処女を失ったら女性の意味がない
バトゥマン県男性(34歳 高校中退)「離婚には反対だ。もし妻が裏切ったら彼女を殺す。もし妻の兄か弟がいれば彼に“お前が殺せ”と言うよ
シャンルウルファ県女性(27歳 中学退学)「ここの部族では誰かを好きになれないわ。もし好きになったら殺されるでしょうね。女性が駆け落ちしようものなら、その女性は生きてられないわ
イスタンブル県(男性32歳 小卒 黒海地方出身)「もし妻が私を裏切ったらまず裁判にはならないだろうね。つまり殺すことになるよ

 トルコもイスタンブルのような大都市なら男女交際も可能だが、地方や農村では女性の処女性が未だに重視されている現状であり、調査の結果から低学歴層や若者にもその考えが根強いようだ。殊に南東部のシャンルウルファ県とバトゥマン県はクルド人が多く、開発の遅れた地域と言われる。上記の回答を見て、羨ましがる日本男子もいるかもしれないし、“イスラム珍派”ならば、「良心から来る怒りゆえだ」「そんな文化もあるということを理解すべきだ」とでも弁護するだろう。
 しかし、このような社会は決して男性天国ではなく、女に優しくない社会は男にとっても苛酷なのだ。強者に優しい社会そのものであり、少数民族にも優しくはない。トルコではタブーとされているアルメニア人虐殺事件を告発したアルメニア系トルコ人ジャーナリスト、フラント・ディンクは2007年1月、イスタンブルで射殺されている。

 以上のことをよほど町村泰貴氏に指摘してやろうと思ったが、露骨に喧嘩を売ることになるため止めた。関連記事にもリンクしたが、幕末や明治に中東を訪れた日本の知識人の報告には、当時のイスラム圏の後進性が詳しく描かれている。福澤諭吉に至っては、トルコやイランを“支那”と並び、「未開」の「最も著しきものなり」と分類、次のように述べた。
其人情、外国人を忌み、婦人を軽蔑し、小弱を凌ぐの風あり」(その性質たるや、外国人を嫌い、女性を蔑視、弱者や年少者を侮る傾向ありの意)

 福沢に限らず他の教養人もイスラム世界への評価は至って低いが、今と違い中東情報の殆ど得られなかった時代、鋭い現地報告と分析をしていたのは興味深い。日本では大震災でもパニックや暴動が起きなかったのも、それだけ社会のシステムと秩序に対する信頼があるためであり、その方が弱者にもプラスになったのだ。町村氏に限らず現代日本の学者連中は、訪問先が先進国、第三世界問わず端から「弱者にも優しい社会を」の意見を出すのではないか?

 トルコ史研究家の故・大島直政氏は著書『遠くて近い国トルコ』(中公新書162)の79頁で、氏が通訳を務めた日本の困った「お偉方」の例を挙げていた。大島氏はそのお偉いさんの尻拭いをする羽目になったのだが、「こんな連中に限って帰国後、「現代日本青年の堕落について」などと一席ぶっているのだと思うと、情けなくなってくる」と結んでいる。
 この新書の初版が昭和43(1968)年なので、中東訪問をする日本の「お偉方」の中には当時から、己の見聞で帰国後に説教したがる者も少なくなかったのやら。

◆関連記事:「明治の日本人が見たイラン
  「福沢諭吉たちの見たエジプト

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4 コメント

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部族制社会 (室長)
2013-01-15 09:51:24
Mugiさん、こんにちは、
 前回の長いコメントの続きをこの欄に移って少し続けさせてください。パールシーが「母国」を持たない、というのは、小生が見落としていた点です。ゾロアスター教徒として、イランから1千年以上前に亡命してインドまで来た、ということだから、もはや「母国」はないのと同じですね。しかし、千年以上を経ても、パールシー文化というか、拝火教の宗教とか文化を維持し続け、進取の気性でインド経済を牽引している、とはすばらしい。とはいえ、部族主義的に、他のインド人諸部族とは別社会を築いていることも確かでしょう。日本のように、一つの文化、村社会への同化という力学が強い社会では、パールシー族としての社会は、存続できなかったように思える。

 秀吉の時代に移民した日本人が、東南アジア、フィリピンなどで、全く消えていて、日本式文化すら、ほぼ何も残っていなかったのも、不思議ですが、ハワイで日系人社会を見てきた感じでは、3世になると英語世代となって、本土の大学を出て、白人と結婚し、ハワイには帰ってこない例が多い。ハワイに帰ってきても、もはやアメリカンとしての感覚で、日本人的な要素は、日本食が好きで、卵かけご飯を食べる、という程度になっている。どうも日本人には、中国人、韓国人に比べても、同化能力が高すぎるという感じです。

 結局日本人には、部族制度、宗族制度、或は大家族制というような、古い「家」の概念が弱いので、そうなるというか。簡単に近代化とか、現地のシステムに同化しないのが中国式な「忠、孝、大家族、宗族、同郷人互助制度」の仕組みが強い社会なのかも。

 トルコ式というかイスラム式の部族社会では、個人の権利は否定されるし、女性に対しても集団的な抑圧、規制が強いので、近代的個人としての生き方は難しいようですね。ともかく飢え死にしないように、集団で相互扶助するという、最低限の生活を守るという側面では有効なシステムだけど、近代的な個人の人権とか、女性の男性と対等な権利とか、そういう面では保障されない社会と見えます。

そういえば、やはり長年のオスマン統治の遺産は根強いというか、ブルガリアでも、女性は夜は一人で出歩いてはいけない、とか、買い物はむしろ亭主の役割という風に、ムスリムと同じような感覚が、田舎では強かったです。事故などの非常時に、困っている人を救わねば、という、その感覚もトルコ人とほぼ同じなのが、ブルなどのバルカン半島の気風です。核家族化がかなり進んでいるように見えても、オスマン時代の部族主義、大家族制時代の感覚も残っている、それがバルカンです。
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RE:部族制社会 (mugi)
2013-01-15 21:50:21
>室長さん、こんばんは。

 パールシーが独自の宗教や文化を維持できたのも、インド特有のカースト制があります。ヒンドゥーにとって外来民族のカーストが増えたに過ぎず、布教せず分を弁えている異教徒は有難い存在です。基本的にゾロアスター教もヒンドゥー教も異教徒との結婚は認めないため、別の部族社会が維持できました。

 日本なら仰る通り村社会への同化が強いため、パールシー族の存在は難しいと思います。それでも数は少なくとも、日本にもパールシーがいて、既に3~4世となっている。日本人と結婚する人もいるそうですが、重要な宗教行事にはインドに渡航することも珍しくないとか。ここにパールシーの強い伝統への拘りが感じられました。中国にもゾロアスター教徒は亡命してきましたが、こちらでも同化している。ただし、同化には少なくとも数世紀はかかっています。ユダヤ人ほどではありませんが、この民族も強かですね。

 日本人が移住先で同化しやすいのも、確かに部族制度、宗族制度、或は大家族制などのよう、古い「家」の概念が弱いことが大きいのかもしれません。よく知識人が、日本の血族主義や家社会を後進的と批判しますが、儒教、ヒンドゥー、イスラムなどの他のアジア文化圏に比べれば、物の数ではありません。

 イスラム圏に限らず近代以前はどの文化圏でも、女性には集団的な抑圧、規制が強かったのですが、西欧では宗教優位が崩れると、近代的な個人の人権や権利が確立されました。個人の権利や人権という概念はキリスト教から来ていますが、同じ一神教でもイスラムにはそれが起きなかったのは不思議です。政教一体という基本原則が阻害したのやら。

 ブルの田舎でも女性の夜の独り歩きは戒められ、買い物も旦那の役割だったのですか??ブル以外のバルカン諸国もオスマン時代の部族主義、大家族制時代の気風が見られるとは…
 面白いことにインドにも似た様な現象があります。近代以前のインドには「バルダ」という女性隔離の習慣がありましたが、これはペルシア語でカーテンを意味します。イスラム支配により女性隔離の習慣がインドにも見られるようになりました。インドでもムスリムの多い地域だと、ヒンドゥーの娘は家に籠り、一人歩きは認められなかったそうです。ふらつく娘は売春婦と見られ、暴行されても文句は言えないという考えでした。
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カースト制度 (室長)
2013-01-16 11:09:06
こんにちは、
 パールシーも、新しいカーストの一つと認識され、結婚による血液の混淆もなく、ずっと別部族として、ヒンズーたちと平和共存できた・・・・ということですか!
 小生の頭には、やはりカースト制度という概念が念頭にないので、同化しない理由がよくわからなかった。

 それに比べると、バルカン半島は、血液の混淆という面では、凄く混淆しているという感じです。昔(69年ころ)、長谷川慶太郎氏がブルに来て、小生が私用の車でソフィアの市内を案内したのですが、その時の同氏の印象が、「ずいぶん多くのアラブ系、エジプト系というべき顔が多くてびっくりする」、ということでした。
 オスマン帝国首都コンスタンチノープル(帝都)に近いブルからは、多くの美人たちが連れ去られて行ったので、ブルには美人が残っていない・・・というのが、当時のブル人の説明ぶりだったし、逆に男性も鼻が高くて鷲鼻のように鋭い、など、中東風の風貌も多く、小生は、スラヴの血液はどれほど残っているのか?と不思議な気持ちになることも多かった。女性も、名前はクリスチャンでもトルコ人と思える風貌も多かった。

 ところが、不思議なもので、00年代以降のブルでは、白人美人が増えているし、男性の風貌でも、欧州風に見える人が増えている感じがします。
 結局は、化粧の仕方とか、タンパク質摂取の増加による風貌の変化(日本でも、最近は美男、美人が増えている)などもあって、ブル人は、最近中東風の風貌が減って、欧州風になってきた感じです。

 しかし、カースト制のない欧州では、異民族間の結婚も、決して昔から少なくないし、部族内での結婚ということも、さほど完結されていなかったから、やはり血液の混淆は多いと思う。ユダヤ人でも、文化、宗教の継続という意識は強くとも、他民族との血液混淆を嫌うという意識は弱かったのではないか?と思う。結婚までしなくとも、マルクスも結構浮気していたというし、浮気という、裏ルートでの血液混淆も多い、というのが欧州大陸の昔からの伝統ともいえる。
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RE:カースト制度 (mugi)
2013-01-16 21:37:20
>こんばんは、室長さん。

 ゾロアスター教では近親婚を説いていました。最近では違うでしょうが、パールシーも19世紀までは従兄妹婚が一般的。だから純血度は高いのです。一方、ヒンドゥー教は従兄妹婚を認めない。同カーストと結婚するのが原則ですが、実際には異なるカースト同士の結婚もあり、女性よりも男性のカーストが高い、所謂「純毛婚」は概ね認められました。
 カースト制度自体、混血を防ぐ目的もありましたが、本当のところはあまり効果がなかったようです。叙事詩マハーバーラタにも、「それを言えば、全てのカーストは混血となる」という聖仙の言葉があり、古代から既に混血は進んでいたと考えられています。

 あの長谷川慶太郎氏は、共産主義時代のブルにも行ったのですか!そして首都ソフィアには、中東風の顔つきの人間が多かったとは…オスマン帝国時代、バルカンにトルコ人の入植活動が盛んだったことも影響している?ТVで見ただけでもイスタンブルの町には白人風の顔つきも多いのですが、中東風や異邦人なのかモンゴロイド風の人もいました。
 それにしても、化粧の仕方や栄養により風貌も変わるのでしょうか??元から彫りの深いブル人なら欧州風にもなるでしょうけど、日本人には整形でもしない限り難しいかも。

 ユダヤ人も建前上は同教徒以外の結婚は認めませんが、実際は混血も珍しくなかったようです。王や一般信者だけでなく、祭司までもが異教徒の女と結婚している。異民族の女を娶ったら、子供共々追い出せと言う祭司が登場する一方、サムソンとデリラのエピソードで有名な前者は、とにかく異民族の女にぞっこん。それでデリラに裏切られるのですが、かなり人間的ですね。
 中東世界も血液の混淆が激しく、表向きは純血主義を貫かないと他民族に埋没してしまうため、このような掟が生まれたのかもしれません。
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