
ジュディ・デンチとケイト・ブランシェットという実力派女優の競演もいいが、女教師が15歳の教え子と性的関係を持ったという設定に関心があって、この作品を見た。昔十代の頃に見た『青い体験』の類の映画かと思いきや('70年代のティーンエイジャーは純情で、この程度の内容でドキドキしていた)
、ハッピーエンドのイタリア映画と異なり、孤独な老女の妄想の挙句の暴走が実に恐ろしい。
ロンドン郊外の中学で歴史担当のバーバラはベテラン教師ではあるが、実に厳格で辛辣な性格、生徒のみならず同僚からも疎まれており、当然独身だった。彼女には家族、友人もおらず、心の拠り所は飼っている猫だけの生活。
ある日、若く美しい美術教師シーバが赴任してくる。シーバに異常な関心を示し、彼女を観察しては毎夜日記に詳細に描写するバーバラだった。さらに計画的にシーバに近付き、着任したばかりで仕事に慣れない彼女に頼りにされ、信頼を得る。
バーバラは親しくなったシーバの家に招かれる。髪を整え、花を持って家に向かった彼女は、シーバには自分と同じ年頃の年老いた夫がおり、2人いる子供のうち、下の男の子はダウン症であることを知る。さらにシーバから、20歳で教師だった今の夫と知り合い、妻子がいたにも係らず夫は別れて彼女と一緒になったことも打ち明けられた。子供の一人が障害を持っているため、これまでのシーバは子供に付きっ切りの暮しをしていたが、子供もある程度成長したため、少しは自分らしい人生を送りたいと教師の職に就いたのだ。
シーバの教え子に絵の上手い少年がおり、彼女はしきりに少年に目を掛け、特別授業を施そうとする。しかし、少年と性的関係を持ってしまい、それをバーバラに目撃される。少年はまだ15歳であり、別れるよう厳命するバーバラに、別れを固く約束しながらその後も密かに少年と密会を重ねたシーバ。密会を知ったバーバラは裏切りと怒り、浮気の事実を脅迫のネタに、執拗にシーバに付きまとうようになる。特に愛猫が死ぬ前後のバーバラの狂気と暴走は鬼気迫るものがある。演じたのがジュディ・デンチなので、迫力がありすぎ怖い。シーバに己の身勝手な要求を拒否されたバーバラは復讐を決意。わざとシーバと少年との関係を同僚に知られるように仕向け、学校は大変なスキャンダルとなる…
妻の浮気を知ったシーバの夫の台詞は思わず苦笑した。「浮気するなら、大人としろ!」。特に年老いた伴侶を持つなら、浮気の対象者なら若い方になりがちだろう。夫も20歳の教え子だった彼女と関係を持ったが、15歳はいささか若すぎる。「いつか、こんな日が来るのではないかと思っていた」と夫も言っているが、もし障害をもつ子供がいなかったのなら、シーバもまた違う人生になったかもしれない。いかに美人教師でも、シーバは男子生徒や同僚の既婚男性教師の目を引き、生徒の一人が言った台詞は彼女の本性を見抜いている。「あれはすぐヤラせる女だ」。
物語が進行するにつれ、バーバラは実は同性愛者であり、以前も気に入った女にストーカーを繰り返し、対象になった女は精神を病み入院したことが分る。シーバもまた教え子との関係で有罪となり、懲役刑となる。映画の最後、公園で一人ベンチに座り、新聞を読んでいる若い女に声をかけるバーバラ。またしても、次の獲物を狙っているのを伺わせるラスト。
バーバラの語り部から勤務先の中学は労働者階級の子女向けの学校なのが分った。生徒の将来は店員か配管工か、またはテロリストかもしれないと彼女は予想するが、英国の中学校なのに有色人種の子供が結構多かった。欧米先進国では公立学校の学力低下が問題視され、教育熱心な親はカネがかかっても私立に入れる傾向があるそうだが、既に'84年に書かれた小説『第四の核』でも、主人公の妻が息子を私立の学校に入れる話が出てくる。確かに言葉も不自由な移民の子供が多ければ、学力向上など望めない。学校一つでも、英国の階級社会の伝統は不変のようだ。
それにしても、主人公が歴史教師という設定は歴史好きからすれば気になる。たとえ若い美男美女教師でも、1517年にマルティン・ルターが云々…ではあまり格好つかないが、絵筆をとり粘土をこねている姿は年配者でも絵になるのだ。昔読んだSF『闇よ、落ちるなかれ』(L・スプレイグ・ディ=キャンプ著、ハヤカワ文庫)の冒頭で主人公の「考古学者とは女にモテない人種」ような独白があったのを憶えている。私は個人的に人文系の中で、例外もあるにせよ社会学者を低く見ているが、彼らはマスコミに人気がある。それに対し、考古学、歴史学者は一般受けしないので、メディアにも敬遠されがちなのは実に残念。ショボーン
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ロンドン郊外の中学で歴史担当のバーバラはベテラン教師ではあるが、実に厳格で辛辣な性格、生徒のみならず同僚からも疎まれており、当然独身だった。彼女には家族、友人もおらず、心の拠り所は飼っている猫だけの生活。
ある日、若く美しい美術教師シーバが赴任してくる。シーバに異常な関心を示し、彼女を観察しては毎夜日記に詳細に描写するバーバラだった。さらに計画的にシーバに近付き、着任したばかりで仕事に慣れない彼女に頼りにされ、信頼を得る。
バーバラは親しくなったシーバの家に招かれる。髪を整え、花を持って家に向かった彼女は、シーバには自分と同じ年頃の年老いた夫がおり、2人いる子供のうち、下の男の子はダウン症であることを知る。さらにシーバから、20歳で教師だった今の夫と知り合い、妻子がいたにも係らず夫は別れて彼女と一緒になったことも打ち明けられた。子供の一人が障害を持っているため、これまでのシーバは子供に付きっ切りの暮しをしていたが、子供もある程度成長したため、少しは自分らしい人生を送りたいと教師の職に就いたのだ。
シーバの教え子に絵の上手い少年がおり、彼女はしきりに少年に目を掛け、特別授業を施そうとする。しかし、少年と性的関係を持ってしまい、それをバーバラに目撃される。少年はまだ15歳であり、別れるよう厳命するバーバラに、別れを固く約束しながらその後も密かに少年と密会を重ねたシーバ。密会を知ったバーバラは裏切りと怒り、浮気の事実を脅迫のネタに、執拗にシーバに付きまとうようになる。特に愛猫が死ぬ前後のバーバラの狂気と暴走は鬼気迫るものがある。演じたのがジュディ・デンチなので、迫力がありすぎ怖い。シーバに己の身勝手な要求を拒否されたバーバラは復讐を決意。わざとシーバと少年との関係を同僚に知られるように仕向け、学校は大変なスキャンダルとなる…
妻の浮気を知ったシーバの夫の台詞は思わず苦笑した。「浮気するなら、大人としろ!」。特に年老いた伴侶を持つなら、浮気の対象者なら若い方になりがちだろう。夫も20歳の教え子だった彼女と関係を持ったが、15歳はいささか若すぎる。「いつか、こんな日が来るのではないかと思っていた」と夫も言っているが、もし障害をもつ子供がいなかったのなら、シーバもまた違う人生になったかもしれない。いかに美人教師でも、シーバは男子生徒や同僚の既婚男性教師の目を引き、生徒の一人が言った台詞は彼女の本性を見抜いている。「あれはすぐヤラせる女だ」。
物語が進行するにつれ、バーバラは実は同性愛者であり、以前も気に入った女にストーカーを繰り返し、対象になった女は精神を病み入院したことが分る。シーバもまた教え子との関係で有罪となり、懲役刑となる。映画の最後、公園で一人ベンチに座り、新聞を読んでいる若い女に声をかけるバーバラ。またしても、次の獲物を狙っているのを伺わせるラスト。
バーバラの語り部から勤務先の中学は労働者階級の子女向けの学校なのが分った。生徒の将来は店員か配管工か、またはテロリストかもしれないと彼女は予想するが、英国の中学校なのに有色人種の子供が結構多かった。欧米先進国では公立学校の学力低下が問題視され、教育熱心な親はカネがかかっても私立に入れる傾向があるそうだが、既に'84年に書かれた小説『第四の核』でも、主人公の妻が息子を私立の学校に入れる話が出てくる。確かに言葉も不自由な移民の子供が多ければ、学力向上など望めない。学校一つでも、英国の階級社会の伝統は不変のようだ。
それにしても、主人公が歴史教師という設定は歴史好きからすれば気になる。たとえ若い美男美女教師でも、1517年にマルティン・ルターが云々…ではあまり格好つかないが、絵筆をとり粘土をこねている姿は年配者でも絵になるのだ。昔読んだSF『闇よ、落ちるなかれ』(L・スプレイグ・ディ=キャンプ著、ハヤカワ文庫)の冒頭で主人公の「考古学者とは女にモテない人種」ような独白があったのを憶えている。私は個人的に人文系の中で、例外もあるにせよ社会学者を低く見ているが、彼らはマスコミに人気がある。それに対し、考古学、歴史学者は一般受けしないので、メディアにも敬遠されがちなのは実に残念。ショボーン

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確かに戦国時代の武家は早婚ですが、庶民はもう少し遅く、15歳近くで嫁入りしました。娘も大事な労働力でしたので。
昔の日本は15歳で元服、「大人」として認められましたが、この年をもって成人と見なすのは他国にもあり、古代イランもそうでした。
この映画に出てきた15歳の少年など、童貞などではなく、既に体験済みと思われ、『青い体験』の少年のような初心さがなくて、可愛くなかったですね。これも時代もあり、今時のティーンエイジャーは『青い体験』など見ても、クラシックと笑うでしょう。
何しろ、ネットでエロサイトにアクセス、ダウンロードできる時代です。まだ控え目なwikipediaの性的な図解など、私の学生時代の保健の教科書より詳しくディープですよ。
「日活ロマンポルノ」とは懐かしい。「団地妻」シリーズなども「熟練した女性」が若い男に調教するなど、たぶんあったと思います。
今は調教モノといえば、女性を監禁、集団暴行の流れになってきており、“ロマン”も何もありません。これを青少年が見るのは私も問題だと思います。
ただ、エロサイトを引き合いに、お上や新聞業会が青少年を守ると称し、ネットを糾弾するのは言論封殺のニオイを感じます。
人間の大人ってなんでしょう。
生殖能力がつけば、生物学的には「大人」という気がします。
その昔、前田利家の正妻まつは、今で言う11歳で嫁入りし、12歳程度で第一子を出産しているはずです。当時犬千代(若き日の前田利家)は主人の信長から放逐されていて、暮らしぶりは赤貧を洗うがごとしだったといいますが、後の加賀百万石の礎を築いたのが利家とまつであったのは、皆さんご存知のとおり。
それが現在は、なまじ高校、大学とか「高学歴」社会になってしまったため、「学生」という子供とも大人ともつかない人種が増えてしまった。むろん生殖能力はあるので性行動に走るのは当然だが、「ワルい先輩」がセックスに伴う性感染症や妊娠といったリスクをきちんと「教育」しなくなったので、一方で少子化、その一方で性感染症の蔓延といった事態を招いています。親や「大人」は人にもよるのでしょうが、子供の性的成長からは逃げまくっている例が多いと思われます。
>昔十代の頃に見た『青い体験』の類の映画かと思いきや('70年代のティーンエイジャーは純情で、この程度の内容でドキドキしていた)
逆に「エッチ系」はこのテのものから「坊や」たちは「入門」しないとマズいでしょう。ネットからダウンロードできるAVの類は、「顔射」、「中出し」、「生ハメ」など妊娠や性感染症リスクを軽視するものや、硬軟とりまぜた「レイプ」モノなど、女性蔑視ものが多いのが気になるところ。「日活ロマンポルノ」あたりの山本晋也監督の「未亡人下宿」シリーズのように、性的に「熟練した女性」が若い男を「徹底的に仕込む」ことは、じつは結構大切なのではないかと思う今日この頃です。