トーキング・マイノリティ

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江戸時代のカルチャー講座

2006-11-08 21:18:37 | 読書/日本史
 江戸時代、女に学問は不用とされ、ひたすら夫と家に仕え、家事と育児に専念していたというイメージがある。だが、子育てが終わった後、私塾に通い歌や学問を習う庶民の女たちもいたのは案外知られていない。

 江戸末期、九州に伊藤常足(つねたり)という歌人がいた。神官が本職だが本居宣長系の国学を学び、儒学にも明るい教養人で、筑前歌壇の中心的存在だった。彼は自分の住んでいる神社の傍らに「古門小学」という私塾を開き、さらに数箇所に出張教授する所まであったというから、現代の有名塾長のようだ。
 この伊藤塾には女の門人もかなりいた。門人が榊姫神社という社に奉納した歌に、名所和歌婦人三十六首というものがある。歌の選考に漏れた門人もいるはずなので、女弟子は36人をかなり上回ると見てよいだろう。

 伊藤常足の女弟子の一人に安倍峯子が いる。彼女の父も九州地方のインテリで、本居宣長の門人であり、親戚中から「歌じいさん」と呼ばれるほどの教養人だった。この父親は常足の先輩格だったの で、この縁故から峯子も教えを受けるようになったようだ。ただし、彼女が本格的に学問を学ぶようになったのは、中年過ぎてから。
 峯子の実家は大きな醸造屋、嫁ぎ先もなかなか資産家の薬種屋で、彼女は婚家で大いに働き、子供も男女合わせて9人も生む。残念なことに育ったのはたった一人だったが。

 家事育児が一段落した後、余裕の出来た峯子は歌の勉強に身を入れ始める。幸い夫も歌好き、学問好きで、自然に阿部家は常足の小出張教授所になった。門人を何人か集めて歌会を催し、その中で峯子が最優秀点を取ったこともあったらしい。
 しかし、優雅な歌講座もつかの間、45歳の時峯子は夫に先立たれる。その3年後、彼女は近所に住む女友達と連れ立って、伊勢詣でに出かける。往復40日の当時としては大旅行だった。

  帰宅してまもなく峯子はこの旅行の思い出をまとめ、歌入りの「伊勢詣日記」を書いた。文学史に残るほどの作品ではないにせよ、当時の史料としての価値は充 分にあるし、50近くの女が40日間も旅行したうえ旅日記をまとめるなど、現代でもそう多くないのではないか。何も峯子だけでなく、旅日記を書いた江戸時 代の女性は他にもいるという。

 峯子を含め常足の女弟子は大抵中年の主婦だった。それもかなり裕福な家の商家のおかみさんが多い。金持ち マダムのカルチャー講座か、と意地の悪い見方をする方もいるだろうが、金があっても必ずしも学問をするとは限らない。江戸時代より格段に裕福になった現代 のカルチャー講座など、庶民の中年の主婦で盛況ではないか。既に江戸時代にそのはしりがあったのは興味深い。現代と同じく江戸時代の塾が男女共学だったの も微笑ましい。

 いかに恵まれた主婦たちにせよ、江戸時代に文化的な分野に関心を示した女性がいたことは、日本史の教科書に載せてもよい のではないか。とかくマルクス史観論者の語る虐げられた江戸時代の女性史は、男ばかりか同性さえもうんざりさせられる。封建制度に泣いた女がいたのは事実 だが、あの制度は建前であり、史料文献では必ずしも女たちは忍従ばかりでなかったのが浮かび上がる。フェミニストには日本女性史を1から学び直して頂きた いものだ。

◆参考:「歴史をさわがせた女たち-庶民篇」永井路子著

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2 コメント

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江戸の面白さ (「心に青雲」主宰者)
2006-11-14 12:57:07
 はじめまして。
 小生のブログ「心に青雲」をご訪問いただきありがとうございました。
 尼寺のお話も興味深く拝読しました。
 小生も近いうちに江戸時代のことを取り上げる予定にしていますが、書きたいことが山のようにあって、なかなかそこまで行かないのです。
 いずれまたご連絡をいたします。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-11-14 21:49:29
「心に青雲」主宰者 様
こちらこそ、ようこそ拙ブログにお越し下さいました。

私も教科書には載らない江戸時代の素晴らしさを知り、誇らしい気持になりました。
学生時代の教師に江戸時代の百姓や女性は虐げられていた、と教える先生がいましたが、本当にこの類の教師には困ったものです。

今後ともよろしくお願いします。
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