その①の続き
第一次大戦敗戦によりトルコは困窮と混乱を極めていた。多民族・多宗教が共存していた帝国の弱点が一気に表面化、分裂主義を唱える様々な政治結社が作られた。小説ではその様子を次のように描いている。「一部の知識階層はクルド人、チェルケス人、アラブ人といった人種的出自を突然思い出したようだった。なかには絶望した挙句、イギリス、フランス、若しくはアメリカの委任統治や庇護を求める潮流に惑わされる知識人も現れる。帝国は崩壊と解体の時代に突入したのだった」(7頁)
そして、「こうした時、好機を伺うギリシャ人に運が向いてくる。この未熟な小国の、野望に満ちた支配層は、その胸に飽くことを知らぬ領土拡大の執念を抱いていた。領土獲得のためなら、歴史的因縁までしつこく蒸し返すのである」(8頁)。もちろんギリシアの侵攻はイギリスの支援を受けてであり、「ギリシャこそオスマン帝国の相続人である」(ロイド・ジョージ)のだから。
ついに庶民の中からも武器を取るトルコ人が現れる。『トルコ狂乱』には彼らの写真も載っており、何人か女性もいる。英タイムズ紙はトルコの動きをこう記した。「全世界の勢力を相手取って民族運動を起すなど、何とも子供じみた空想である」。これは西欧の戦勝国に限らず、トルコの知識人、わけてもイギリスシンパのインテリは国民闘争を嘲笑を込めて書いていた。夢想にふけったり、ハッタリかましている場合か、何が組織だ軍隊だ、ムスタファ(ケマル)ちゃんてば可哀想に。あんた一体正気なの?…
イギリスの走狗ならずとも、徒手空拳にも係らず帝国主義、戦勝国、ギリシア軍、アルメニア人匪賊といった複数の敵を相手取り、武力闘争を企てることを狂気の沙汰と見なした人は少なくなかった。1919年末時点で、武装解除済みのトルコ軍の兵力は4万人がやっと、それに対し、トルコ国内に駐留する武装した占領軍兵士の数は増加し40万人にもなろうとしていた。だが、「貧しい、疲弊したアナトリアが、40万人の侵略者と、武装-非武装を問わず存在した何万人もの国賊を倒すことに成功するのである。国民闘争とは、とりもなおさずこの奇跡の名、この誇らかなる素晴らしき狂気の名であった…」(12頁)
国民闘争を始めたトルコは兵士はもちろん兵器やあらゆる軍需物質、輸送手段、食糧ほかあらゆるものが不足しており、軍服も行き渡らなかったことが、様々で粗末な身なりのトルコ兵たちの写真からも伺える。軍靴もロクになく皮草履を履き、岩場だらけの戦場では草履も破れ、素足を血塗れにしながら闘ったそうだ。
当時、師団や大砲を運ぶのは蒸気機関車だったが、肝心の石炭が不足、薪で代用していた。その薪さえも満足に入らず、線路脇の道端の木を切り倒したり、さらには駅舎の木造部分、果ては列車自体の壁やベンチなどの木材まで薪として使うこともあった!そのため速度は時速10kmが限度で、輸送も大幅に遅れることもあった。機関士はじめ鉄道の技師もギリシア人のようなキリスト教徒ばかりであり、トルコ人ムスリムはいなかったようだ。
兵器輸送に大きく貢献したのが、トルコの女性たちだった。彼女らは牛車で弾丸や大砲を運び、危険を顧みず自国軍に輸送した。中にはゲリラとして戦った女もおリ、夫と共に戦いに参加した者もいた。特に「暗黒のファトマ」と名乗ったファトマ・セヘル・ハヌスは面白い。武装した彼女の写真も載っており、いかにも度胸のありそうな女だった。ファトマは女だけで組織された馬賊を率い会戦にも参戦、この女軍団は少なからぬ戦死者も出したという。
侵攻してきたギリシア軍は至る所で放火や略奪、民間人の虐殺、強姦を行ったが、「暗黒のファトマ」がギリシアのならず者に制裁を下すシーンは胸がすく。ファトマはギリシア兵を捕らえ、被害に遭った女に首実検させ、その女は犯行に及んだ男の股間に銃弾をぶち込む。
看護婦を志願してきた女性たちもいた。教育を受けた数少ない女性さえ看護婦として奉仕することを望むが、家族に反対された者もいたという。ムスリム女性が見知らぬ男の肌に触れるのはケシカラン、という理由で。現代の日本人から見れば、これを後進的と感じるだろうが、当時はまだ女はベールで顔を覆う地域も珍しくなかったのだ。それでも男を見たら、背を向ける習慣だった。そんな現状に対し、医師は志願看護婦相手に檄を飛ばす。
-一方では伝統的なご婦人方がいて、また一方ではあなた方がいる。後進性と先進性が隣り合っている。両者は時間と共に対立していくことでしょう。伝統が進歩を阻むかもしれず、進歩が伝統を打ち負かすかもしれない。トルコの未来は、この戦いにあなた方が勝利することにかかっているのです…譲歩しても、恐れても、現状に満足してもなりませせん。我々の未来を決してあの後進性の犠牲にしてはならんのです!
その③に続く
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第一次大戦敗戦によりトルコは困窮と混乱を極めていた。多民族・多宗教が共存していた帝国の弱点が一気に表面化、分裂主義を唱える様々な政治結社が作られた。小説ではその様子を次のように描いている。「一部の知識階層はクルド人、チェルケス人、アラブ人といった人種的出自を突然思い出したようだった。なかには絶望した挙句、イギリス、フランス、若しくはアメリカの委任統治や庇護を求める潮流に惑わされる知識人も現れる。帝国は崩壊と解体の時代に突入したのだった」(7頁)
そして、「こうした時、好機を伺うギリシャ人に運が向いてくる。この未熟な小国の、野望に満ちた支配層は、その胸に飽くことを知らぬ領土拡大の執念を抱いていた。領土獲得のためなら、歴史的因縁までしつこく蒸し返すのである」(8頁)。もちろんギリシアの侵攻はイギリスの支援を受けてであり、「ギリシャこそオスマン帝国の相続人である」(ロイド・ジョージ)のだから。
ついに庶民の中からも武器を取るトルコ人が現れる。『トルコ狂乱』には彼らの写真も載っており、何人か女性もいる。英タイムズ紙はトルコの動きをこう記した。「全世界の勢力を相手取って民族運動を起すなど、何とも子供じみた空想である」。これは西欧の戦勝国に限らず、トルコの知識人、わけてもイギリスシンパのインテリは国民闘争を嘲笑を込めて書いていた。夢想にふけったり、ハッタリかましている場合か、何が組織だ軍隊だ、ムスタファ(ケマル)ちゃんてば可哀想に。あんた一体正気なの?…
イギリスの走狗ならずとも、徒手空拳にも係らず帝国主義、戦勝国、ギリシア軍、アルメニア人匪賊といった複数の敵を相手取り、武力闘争を企てることを狂気の沙汰と見なした人は少なくなかった。1919年末時点で、武装解除済みのトルコ軍の兵力は4万人がやっと、それに対し、トルコ国内に駐留する武装した占領軍兵士の数は増加し40万人にもなろうとしていた。だが、「貧しい、疲弊したアナトリアが、40万人の侵略者と、武装-非武装を問わず存在した何万人もの国賊を倒すことに成功するのである。国民闘争とは、とりもなおさずこの奇跡の名、この誇らかなる素晴らしき狂気の名であった…」(12頁)
国民闘争を始めたトルコは兵士はもちろん兵器やあらゆる軍需物質、輸送手段、食糧ほかあらゆるものが不足しており、軍服も行き渡らなかったことが、様々で粗末な身なりのトルコ兵たちの写真からも伺える。軍靴もロクになく皮草履を履き、岩場だらけの戦場では草履も破れ、素足を血塗れにしながら闘ったそうだ。
当時、師団や大砲を運ぶのは蒸気機関車だったが、肝心の石炭が不足、薪で代用していた。その薪さえも満足に入らず、線路脇の道端の木を切り倒したり、さらには駅舎の木造部分、果ては列車自体の壁やベンチなどの木材まで薪として使うこともあった!そのため速度は時速10kmが限度で、輸送も大幅に遅れることもあった。機関士はじめ鉄道の技師もギリシア人のようなキリスト教徒ばかりであり、トルコ人ムスリムはいなかったようだ。
兵器輸送に大きく貢献したのが、トルコの女性たちだった。彼女らは牛車で弾丸や大砲を運び、危険を顧みず自国軍に輸送した。中にはゲリラとして戦った女もおリ、夫と共に戦いに参加した者もいた。特に「暗黒のファトマ」と名乗ったファトマ・セヘル・ハヌスは面白い。武装した彼女の写真も載っており、いかにも度胸のありそうな女だった。ファトマは女だけで組織された馬賊を率い会戦にも参戦、この女軍団は少なからぬ戦死者も出したという。
侵攻してきたギリシア軍は至る所で放火や略奪、民間人の虐殺、強姦を行ったが、「暗黒のファトマ」がギリシアのならず者に制裁を下すシーンは胸がすく。ファトマはギリシア兵を捕らえ、被害に遭った女に首実検させ、その女は犯行に及んだ男の股間に銃弾をぶち込む。
看護婦を志願してきた女性たちもいた。教育を受けた数少ない女性さえ看護婦として奉仕することを望むが、家族に反対された者もいたという。ムスリム女性が見知らぬ男の肌に触れるのはケシカラン、という理由で。現代の日本人から見れば、これを後進的と感じるだろうが、当時はまだ女はベールで顔を覆う地域も珍しくなかったのだ。それでも男を見たら、背を向ける習慣だった。そんな現状に対し、医師は志願看護婦相手に檄を飛ばす。
-一方では伝統的なご婦人方がいて、また一方ではあなた方がいる。後進性と先進性が隣り合っている。両者は時間と共に対立していくことでしょう。伝統が進歩を阻むかもしれず、進歩が伝統を打ち負かすかもしれない。トルコの未来は、この戦いにあなた方が勝利することにかかっているのです…譲歩しても、恐れても、現状に満足してもなりませせん。我々の未来を決してあの後進性の犠牲にしてはならんのです!
その③に続く
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