その一、その二、その三、その四の続き
「強大なササン朝が宗教の不寛容で衰退した」(283頁)の箇所も、曲解から来る極論に見える。ササン朝衰退の最大要因は、26年に亘るビザンツ帝国との全面戦争(ビザンツ・ペルシア戦争)だった。
商人が戦いを避けて別なルートを開拓、ヒジャーズもそのひとつだったが、戦争前から海のシルクロードでの交易は盛んだった。陸路は長年の戦で影響を受けたが、ゾロアスター教徒ペルシア商人たちは、海上交易で巨万の富を得ていた。
ビザンツ・ペルシア戦争は当時の超大国同士を極度に消耗させたが、戦争末期の628年、ペルシアは大規模な天災に見舞われる。ティグリス川の大氾濫で灌漑施設もろとも開墾地を押し流し、穀倉地帯メソポタミア平原南部の農業は壊滅した。耕地を管理すべき地主や自由農民を根こそぎ戦場に動員、灌漑施設のメンテナンスを怠っていたことも大きい。
戦を起こしたペルシア皇帝ホスロー2世は暗殺され、皇位継承者が決まらぬまま4年に及ぶ内戦が勃発する。加えてメソポタミア平原には伝染病まで発生、皇族を含む老若男女が大量に犠牲となり、人口が激減する。
歴史上はアラブ人イスラム教徒がササン朝を破った642年のニハーヴァンドの戦いを以って、ササン朝滅亡とされている。しかし、ゾロアスター教研究者の青木健氏は、628年に自滅したのであって、それから十数年間存在していたのはかつての大帝国の残骸に過ぎなかった、と述べている。先に簡単に触れたササン朝末期だけで、宗教の不寛容で衰退したというのは安易すぎる結論なのが知れよう。
本書ではジハードについて、こう述べている。
「ジハードというアラビア語には、日本語で訳されるような「聖戦」という意味はなく、異教徒を説き伏せて「変えさせる」、あるいは「改心」させるということが本来の語義です。『コーラン』や『ハディース』(ムハンマドの言行録)に「ジハードせよ」と書かれているからといって、それがすべて武力行使を伴う戦争であるとは限らず、それは説得的な布教行為を第一義としているのです。」(279頁)
これまた、タテマエに基づいた典型的なイスラム擁護論なのだ。ジハードは必ずしも武力を伴うものではなく、説得的な布教行為を第一義とするという解釈。しかし、この種の解釈は近代以降に見られるようになったことを、バーナード・ルイスが著書『イスラーム世界の二千年―文明の十字路中東全史』で指摘している。それまではイスラム圏でジハードとは、殆ど武力行使を伴う戦争とされていたという。
本書には参考文献にルイスの著者は載っておらず、ジハード解説の後、「それでも、イスラム教徒に危険な過激主義者が多いというのは事実です」と言い訳も抜け目ない。
chapter9ではヒンドゥー教について、こう記されている。
「ヒンドゥー教は極端な男尊女卑で、女性が社会的に保護されていません。そのため、インドではレイプが頻発しており、社会問題化しています。理不尽なことに、レイプをされた女性が罰せられることが多く、男性を取り締まっていません。」(98頁)
残念ながらこれは事実だし、未だに文盲で極貧生活を送る女性が大勢いる。同時に女首相も出した国だけあり、政治面での女性の進出は日本以上なのがインド。極端な男尊女卑で、女性が社会的に保護されておらず、レイプをされた女性が罰せられ、男が免れているのはイスラム圏も同じだが、こちらには言及していない。
イスラムに護教的な見解をするのは自由だが、曲解を重ね、極論ともいうべき擁護をするイスラム研究者が日本では少なくない。特にメディアに登場するイスラム専門家はその類が際立つ。日本のイスラム専門家は左派学者が大半で、何かと欧米諸国の偏見やイスラエル批判をしても、ウイグルには言及しない。
第1部の内容から著者は左派どころか明らかに右寄りだが、それでもユダヤ教やキリスト教に比べてイスラムに対しては見方が微温と感じた。せっかく「宗教地政学」の本と銘打ち、「宗教とは安全保障問題」と言いつつ、この辺りは実に残念だった。
本書の最後には著者・宇山卓栄氏の経歴がこう紹介されており、これではイスラムに批判的な言説は難しいだろう。
「1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務めたのち、著作家となる。テレビ、ラジオ、 雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。」
少なくとも日本では、イスラムは脅威だと私は思わない。イスラム教徒自身よりも、イスラム主義者と連帯するリベラル知識人の存在を飯山陽氏は指摘しており、後者の方が遥かに危険なのだ。欧米諸国にも日本のイスラム研究者の様に、イスラムを過剰に美化して称賛する輩が多いようだ。
専門がイスラム政治思想の池内恵氏も、著書『イスラーム国の衝撃』の中で、興味深いことを述べていた。
「無自覚に現存秩序の否定を提唱する知識人の、誤解に基づいた「ラディカル」な言説に煽られて、日本社会の片隅で不満や布教活動を持て余した者たちが、過激派に一方的な思い入れを託して爆発する事態が、運悪く生じてくることもありえる。」(167頁)
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「宗教に救いを求める人々」
「イスラム世界はなぜ没落したか?」
中東編は明らかに付け焼き刃ですが、こうなると他の地域も疑問に思えてきます。
「イスラム教は寛容と不寛容の両面があり、その時代やそれぞれの指導者によって使い分けられ、一概に定型化することはできません。」というならば、キリスト教やその他の宗教にもその論法は当てはまります。
「宗教地政学」を自称するなら、最低限宗教学の基礎を押さえてほしいものです。
ササン朝滅亡の歴史は私の大好きなペーローズにも関わっているため興味が尽きません。
ビザンツ・ペルシア戦争は両国を消耗させましたが、相対的に周辺諸民族の力を高め、自立の動きを加速させることになります。もし両国が長期戦争をしていなければ、イスラムはアラビアの一地方の宗教に留まっていたかもしれません。
ペーローズとは唐に亡命した皇子ですよね?異国で生涯を終えたのは悲劇ですが、亡命も叶わなかった庶民はもっと悲惨でした。