その一、その二、その三の続き
「支払われた税金は異教徒が屈服した証とされ、それ以上の迫害は自分たちにとって利益にならないと考えられたのです。他宗教への寛容を税というカネと引き換えに認める実利的な規定を持つ宗教はイスラム教だけです」(280頁)という文章もあるが、これは違う。
税というカネと引き換えに他宗教を認めた点ではゾロアスター教が先行しており、こちらも税を払うことで、敵対行為を繰り返すキリスト教の存在も認めている。尤も彼らにはゾロアスター教徒の倍の税がかけられたが、同時代のビザンツ帝国ではこのような寛容など考えられない。
聖典アヴェスターの実に四分の三が散逸しているため、ゾロアスター教が実利的な規定を定めていたかは確認できない。しかし、カネと引き換えに他宗教を認めていたのはイスラムのオリジナルではない。イスラム独特の異教徒への税としてはジズヤ(人頭税)が知られており、征服したサーサーン朝ペルシアから受け継いだと研究者等は見ている。
では、屈服してカネを払えば迫害しなかったといえば、これも違う。ジズヤも実に屈辱的なやり方で取られたし、イスラム世界最高の神学者とされるガザーリーさえ、こう記していたほど。
「ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてマギ教徒(ゾロアスター教徒)はジズヤを支払わなければならない……ジズヤを差し出すにあたっては、役人がそのあごひげをつかみ、耳の下の出っ張った骨を打つ間に、そのズィンミーは頭を垂れていなくてはならない(たとえば、下顎……)」
このような侮辱的な儀礼に対し異を唱えた学者もいたが、少数派に過ぎなかった。イスラム研究者たちはジズヤこそが異教徒の改宗を促したとしており、私もそれを疑わなかった。誰でも節税したいのだ。しかし、Oleanderさんから昨年頂いたコメントにハッとさせられた。
「物証より最後の審判を恐れる者の証言を信用するイスラム法は「何人のムスリムの証人が必要」のオンパレードです。ジズヤよりこちらが改宗を促す強力な武器になってきたのではないかと考えています。」(2020-03-01)
名指しこそしていないが、本書で「イスラム教に関して、極論ともいうべき言説」をしていると批判された飯山陽氏はイスラム法研究者である。イスラム研究者の中でイスラム法まで研究した学者はさほど多くない。神が定めたとされるイスラム法がどのようなものか、そしてイスラム法からの逸脱がどうなるのかは、研究者ならずとも想像はつこう。
私から見ると、本書はゾロアスター教に関し、曲解ともいうべき言説が気になった。「ササン朝は士気を高めるため、イラン人独自のゾロアスター教を国教化し、国威の発揚」を図ったのは事実だが、続けてこう述べられている。
「そして、他教を異端として、激しく弾圧します。東西交易に従事する商人たちは様々な信仰をもっていましたが、ササン朝は商人らの信仰を許しませんでした。商人たちはササン朝を見限り、アラビア半島西の端の紅海沿岸地域ヒジャーズに向かいます」(281頁)
この箇所には大いに反論したい。ササン朝が激しく弾圧した他教はキリスト教やマズダク教、マニ教くらいで、ササン朝がこれら以外の商人の信仰は許していた。
キリスト教を迫害したのは、日本のキリシタンと同じく信者は実に戦闘的かつ破壊的だったから。ゾロアスター教の寺院を破壊したり、神官を殺害することもしばしばで、これではササン朝が激高するのは当然だ。
異端として迫害されたネストリウス派キリスト教徒は、ササン朝に亡命しているが、彼らはここでも大人しくしていなかった。ササン朝の宮廷女性にはキリスト教に帰依する者も増え、ササン朝は危機感を抱く。
マズダク教は原始共産主義運動にちかく、ペルシア社会全般に大混乱を招いている。マニ教はゾロアスター教の異端であり、異端を迫害しない宗教はまず考えられない。イスラム教もマニ教を激しく迫害しており、その度合いはゾロアスター教より凄まじかった。
そもそも民族宗教のゾロアスター教は基本的に布教しない。布教しようとしてもイラン人独自色が濃いゾロアスター教は異民族に受けが悪かったし、ヒンドゥー教ほどではないがこの宗教もカースト制がある。高度な文明を誇ったササン朝だが、貧富の格差も激しかった。そのため「神の前の平等」が受け入れられる。
序文には、「ゾロアスター教はイラン人を優位とする選民主義思想をもっていたため、中東の多民族を統合することができませんでした」(15頁)という一文がある。
しかし民族宗教だったからこそ、あれだけ広大な領土を統治できたといえる。ササン朝に先行したアケメネス朝は宗教に寛容で、諸民族の信仰を認めていたが、最も古くから文明が栄えた中東地域では様々な宗教が存在していたため、そうする他なかったといってよい。
ササン朝はアケメネス朝より宗教への寛容度が劣るのは否めないが、アケメネス朝時代の一神教はユダヤ教くらい、これまた布教しない民族宗教である。対照的にササン朝は西からはキリスト教が侵食し、東でも仏教が浸透し始めていた。
その五に続く
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