その一の続き
古代ギリシアで同性愛が発達したのは、勇士を教育する軍隊組織の他に三つの要素を挙げた説が紹介されている。体育への情熱、男の裸体の受け入れ、そして男の裸体の美のカルトがそれらに当たるという。体育は戦争のための訓練として始まったが、やがてそれ自体として発達するようになった。体育は裸で競技されるようになり、絵や彫刻に表現され、男の裸体が美として見られるように至ったという。
これは現代の説だが、既にプルタークが裸の体育競技がペデラスティ(男色)を流行らせたのだ、と非難していた。ドイツのギムナジウムはギムノ(裸)というギリシア語から来ているとか。現代のギムナジウムでは男子生徒の裸の体操競技はないだろうけど。
アレクサンドロス大王の父フィリッポス2世は女色を好んだ王だったが、テーバイで少年時代を過ごしたためか、美少年も愛した。テーバイの神聖隊は勇猛さで有名だったが、これは同性愛のカップルで構成された軍団なのだ。同時に同性愛をめぐるトラブルもかなりあったようで、愛をめぐる嫉妬によって古代ギリシアの宮廷ではしばしば暗殺が起きたらしい。フィリッポスの寵童同士も争い、彼が暗殺されたのは寵童の恨みが原因と見る人もいる。
かなり前、宮城県の戦国史を見たことがあり、騒動の発端が男色のもつれというものがあったのを憶えている。日本でもホモのもつれで名家が滅亡することがあったのは興味深い。
女たらしで知られるカエサルだが、「あらゆる女の男、あらゆる男の女」と罵られたように、今風でいえばバイセクシャルだったようだ。カエサルは洒落者でも知られたが、この本ではスエトニウスの『皇帝伝』からの引用があった。『ローマ人の物語』には載っていなかったが、この本でのカエサルのイメージが変るであろう個所を紹介したい。
「体裁を整えるのに人一倍喧しく、丹念に髪をつみヒゲを剃らせたばかりか、ある人からも非難されているように、体毛すら丁寧に抜き取らせていた…
身なりにおいても、カエサルは人目を引いたと言われる。というのも、手首まで届く広幅の紅紫縞の内着を着て、袖口に飾りふさを付け、その上に何時も帯をまき、それもしどけなく締めていた」
大っぴらに美少年の「その太股と甘美な唇を求めて」いた古代と異なり、中世欧州は性に厳しい時代になった。それでも初期はさほど締め付けは厳しくなく、初期の教会においては聖職者の共同生活で、教師と生徒の「恋愛」関係は理想とされたという。“愛”を謳う神学者もおり、弟子たちに恋文のような手紙を書いた学者までいたそうだ。
もちろんこの場合、古代の露骨な少年愛とは違いあくまでプラトニックな“友愛”であって、性交や男色は否定していた。階級性の厳格な宗教共同体では弟子へのセクハラもあり、教師の要求を拒むのは難しかったのではないか?と私としては勘ぐりたくなる。尤も12世紀頃までは王侯貴族も同性愛に寛容だったという。
13世紀以降になると、狂信と不寛容が欧州を支配するようになる。その背景に専制的政治体制の台頭や法律の整備が挙げられる。ひとつの体制に従わせようとし、全体的な制度化、法律家が進められると、例外や異端には不寛容になる。キリスト教の異端が厳しく封じ込められ、同性愛は異端やイスラムと結び付けられていった。
12世紀末から欧州は法律の時代に突入、教会法がまとめられると同時に膨大な世俗的法も作られ、全て法で規制されるようになる。法典化により個人的自由は奪われ、ユダヤ人への攻撃も強まる。こうして異教徒や異端、男色者が社会から排除されていったようだ。この不寛容な時代のはけ口こそが、十字軍であったかも知れない、と海野弘氏は言っている。
ただし、海野氏は欧州におけるホモセクシャルの非寛容の要因がキリスト教の教義にある、という見方には懐疑的なのだ。キリスト教そのものよりも宗派対立の激しさのため、同性愛への非寛容も高まったと見ている。カトリック僧の性的堕落は新教の絶好の攻撃対象になり、政争や政敵追い落としのため同性愛が標的になったというのだ。それでも日本人の私には、キリスト教圏でのホモフォビアには異様さだけでなく執拗さも感じられた。
その三に続く
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以前ここにも書いた元福音派の元男娼は、少年時代に実父と牧師の2人に3Pをさせられ(一方に掘られながら、もう一方に口に入れられる)、「父と子と牧師の三位一体」となっていたのでした。他にも、寄宿舎がホモランパの場となっていたカトリック神学校の話も卒業生から聞きました。
なお、お断りしておきますが、私はゲイではありません。
もっとすごいのが、誰に教わったのか、「ケツ掘れ、ワンワン!」という「有名な言葉」が出て来る「日本の昔話」は何か?と真顔で言っていたのです。(面白がって変なことを吹き込んだ日本人がいたらしい。)
彼は変な人でしたが、深入りしなければ、それほど害のない人でした。
アメリカはゲイに寛容というイメージのある日本人は多いと思いますが、サンフランシスコやニューヨーク等の大都市と違い地方では厳しいですよね。同性愛関連の研究書があるのは結構でも、貴方の挙げた本はレッテル貼りにちかいような。日本でも有名人が独身ならば、同性愛者?と疑うことも珍しくありませんが、このような本はまず考えられません。
少年時代に実父と牧師から性的暴行を受けた元福音派の元男娼のお話を前にも伺いましたが、2人に同時にやられたのですか??彼の育った環境には同情しますが、これでは男娼になるのは当然かもしれません。
実はイスラム圏にも少年男娼がいるのです。4月のNHK BSの世界のドキュメンタリーで、パキスタンの少年売春を扱った特集がありました。
http://www.nhk-g.co.jp/program/documentary/bs_worlddocumentary/131/index.html
結婚して子孫を増やすのを奨励する傾向の強いのはイスラム圏も同じですよね。奇妙なことにキリスト教文化圏と似ています。
件の元男娼ですが、確か日本ではカマ掘りが大っぴらにやれると期待して来日した人物でしたよね?彼の生い立ちには同情しますが、こんな変態外人は来てほしくありません。記事の続きに書きますが、帝国主義時代の欧米人同性愛者の中には、現地の少年と遊んだ者もいたとか。尤も白人の金目当てに近づいた少年男娼もいたので、必ずしも暴行とは限りません。現代でも東南アジアの歓楽街で、少年に手を出す白人がいるそうです。
それにしても、日本昔話で「ケツ掘れ、ワンワン!」バージョンがあったとは知りませんでした。彼にこの話を吹き込んだ日本人もゲイ?ストレートの男性がこんな話をしますか?これでは未だに日本の仏教寺院で稚児灌頂が続いていると思うのは当然かも。
他にも色々と変なことを吹き込まれており、例えば、「コケシ」とは下半身の穴に入れる器具のことであって、民芸品のことではないと信じていたのです。(民芸品のコケシも秘密でその用途に使用する器具だと思っていたようです。)
日本でホモダチが見つからなかった彼は、タイに行って美少年に掘ってもらっているそうです。
件の男娼は専ら掘られ役でしたか。「コケシ」は日本でも性具のスラングですが、彼は本気で大人の玩具と信じていたのですね。このような基地外は害人そのもので、ずっと祖国に籠っていろ、と言いたくなりますよ。この類に限りフットワークが軽く、ホモダチを求め東洋に来るのでしょうか?キモ過ぎる。
彼は実父と牧師から同時に暴行されたそうですが、生母はどうしていたのか、と思いました。いずれにせよ、崩壊家庭同然だったのでしょう。
他宗教にも性的不祥事をする聖職者はいるし、悪行は発覚しにくいと思います。例え破戒僧であれ聖職者への批判はタブーだし、批判者が悪者にされて、コミュニティーから追放されるでしょう。これが宗教組織の恐ろしさですね。
カトリックだったか、キリスト教性職者が女性信者に暴行を加えた際、女性信者たちがとにかく聖職者を庇い、被害者女性を散々誹謗中傷していたことを書いたブログ記事を見た記憶があります。BSドキュメンタリー「ある神父の私生活」という番組を見たことがありますが、神父が隠し子をつくり、それが発覚しても聖職者は責められなかったとか。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/c96aa184285c270746f6c00e1e02a505