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今月の三連休中、山形へバスツアーに行ってきた。ツアーの見どころのひとつが山形県郷土館の文翔館。今回のツアーで初めてこのような施設が隣県にあるのを知ったが、本当に見事な文化財で見応えがあった。仙台と違い戦災に遭わなかった山形市では、昔の貴重な建物が残っており、公式HPのトップでは文翔館をこう紹介している。
「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)は、大正5年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りの建物です。大正初期の洋風建築を代表する貴重な遺構として、昭和59年、国の重要文化財に指定されました。昭和61年から10年の歳月をかけて保存修復工事が行われ、現在は、山形県郷土館「文翔館」として一般に無料公開されています。
創建当時の工法をもとに忠実に復原された建物や豪華な内装は、大正の古き良き時代の薫りを今に伝え、館内には、復原の記録とともに山形の歴史・文化を紹介する展示室も設けられています。どなたでも自由に見学することができます。また、希望の方にはガイドボランティアがご案内します。
文翔館は、「議場ホール」「中庭」「ギャラリー」「会議室」の貸出を行っており、コンサートや演劇公演、展覧会、「県政史緑地」での地域イベントなど、様々な文化活動の場として広く一般に開放され、多くの県民に親しまれています。
先ず旧県会議事堂からの見学で、上の画像が議事堂正面、下は議場ホール。ガイドさんが注目するように言った議場ホールは素晴らしい。ヴォールト天井と呼ばれるもので、音響がよく、現代では公式行事やコンサート使われているそうだ。
また県会議事堂内には、当時としては珍しい水洗トイレが据付けられ、壁や床には色鮮やかなタイルが使われていた。当時の庶民のトイレ事情とはまさに雲泥の差である。
続けて向かったのが旧県庁舎。入口の中央階段室の豪華さに目を瞠った来場者は多かったはず。同行の友人(女性)いわく、「まるでドレスを着た貴婦人が降りてきそうな雰囲気」で、これでは登庁も楽しかったろう。
山形の様な地方都市には不釣り合いとも思える貴賓室まであった。豪華な造りの部屋であり、皇族や国の高官等が来県した際に使用したという。対照的に旧郡市長控室は質素で、ガイドさんも当時の身分制度が現れている、と説明していた。
上は知事室の画像だが、貴賓室よりは質素でも、それでも大正初期としては豪華。知事室の椅子は座れるようになっており、試にそうしてみたら、本当にすわり心地が良かった。
一般職員室も公開されているが、質素を通り越し殺風景な印象だった。マントルピースはもちろん壁紙もなく、照明は裸電球。またしてもガイドさんは、当時の身分制ゆえにと話していた。
旧知事官房は県政の歩みを紹介しており、歴代県令や知事等の肖像写真・プロフィール・年表が展示されている。歴代知事は戦前まで官選、つまり中央から派遣されていて、民衆が投票する公選となったのは戦後なのだ。そのため山形県知事一覧に目を通しただけで、戦前の山形県知事に東北出身は第6代菊池九郎(青森)のみで、山形出身は皆無である。
特に初代山形県令・三島通庸にスポットが当てられ、大々的な土木事業を行ったことから、「土木県令」と呼ばれた。三島は後に福島県令になったが、そこで福島事件が起きている。さらに栃木県令となった2年後の1884(明治17)年には加波山事件も起きている。強権性が当たり前の時代だったが、山形での評判は悪くないそうだ。
旧県庁舎の中庭も美しく、まるでハリーポッターの寄宿舎のよう。当時のガラスがそのまま旧県庁舎と県会議事堂で使われていて、ガラス越しからは景色が歪んで見える。
貧乏庶民の哀しさで、文翔館の豪華さに息を呑みながらも、総工費が気にかかる。ガイドさんに聞いてみたら、当時の金額で3、40万くらいと言っていた。wikiには「当時の県総予算の4分の一である40万円を投じ…」とある。大正時代の1円の相場が載っているサイトもあり、現代との差に驚く。
旧県庁舎と県会議事堂建設は総て人力で行われ、建築素材は人や馬で運ばれた。にも関わらず、あれだけ見事な建造物が完工できたのだ。現代は県総予算の4分の一を投じてまでの公共建築は難しいが、箱モノ行政は戦前からだったらしい。