その①の続き
『僕の違和感』で最も重要となるのは、メヴルトの駆け落ちなのだ。冒頭でこの場面が描かれており、その後は時間をさかのぼる形で物語は進行していく。小説ではメヴルトの他に、彼の親友や次女までもが駆け落ち婚をしている。
駆け落ちというと、日本では何処かロマンティックな印象もあるが、翻訳者の宮下遼氏はあとがきで、農村的風習の最たるものだと述べている。氏は混乱を避けるため、本文では「駆け落ち」としたが、学術的には「誘拐婚」と呼ばれ、娘をかどわかして無理矢理に関係を結ぶことで結婚を迫るという風習という。
このような暴力的犯罪行為は当然ながら「名誉殺人」の要因にもなるが、実際には結納金を捻出できぬ貧しい男と、やはり嫁入り道具を用意出来ない貧家の娘、そして各々の家族同士があらかじめ示し合わせたうえで行われる「出来レース」も少なくないらしい。
その際にカップルは一定期間どこかへ身を隠したのち、新郎となる男から娘の父親に詫びをする。こうすることで、辱められた娘の父の名誉は回復し、また娘も肉体関係の有無に関わらず、傷物と謗られる不名誉を免れ結婚が叶うのだ。小説での「駆け落ち」は全て純愛から来ているが、一定期間カップルが姿を隠したのち、新郎となる男が娘の父親に詫びを入れる形式を取っている。
「駆け落ち」の長所は双方の家族が結婚する当てのない子供を、出費を伴わずに独り立ちさせてやれるという経済的な利点にあるが、その背後には名誉と恥のせめぎ合いが複雑に働くという。名誉か恥かという概念は、トルコ社会に重要な価値判断として根付いており、特に農村部では今なお大きな影響力を持つ。
例えば駆け落ちにしても、仮に貧しい両家の間で金のかさむ婚約式、披露宴を行わないという合意を交わそうとしても、ことは簡単ではない。仕来たりを踏まえない家は不名誉な家と見なされ、域内共同体内での様々な恩恵を享受できなくなり、頼みの綱の親戚も恥の巻き添えを食っては堪らぬとなかなか手を差し伸べてくれない。
早い話が、名誉と恥の一線を踏み越えた家は村八分となってしまうのだ。日本人には理不尽にも思える仕来たりだが、宮下氏はその背景をこう述べている。そもそもイスラムは人間は誘惑に弱く、簡単に身を持ち崩す生き物と規定する性弱説を採用する。そのためにこそ細かな宗教的、慣習的規則が定められ、名誉と恥の概念がそうした細則を踏み外さぬための強迫観念としてトルコ人の行動を規定するという。
飲酒に関しては大甘のトルコ人でも、男女関係に対しては他の中東諸国同様に宗教的細則の虜になっているのだ。尤もトルコ人は女性の社会的地位については他の中東諸国より遥かに先進的といった強い自負があるようだ。欧米諸国からの「名誉殺人」への批判に対し、「我国では被害者の7割は男だ」と反論したトルコの知識人がいたという。駆け落ちを決行したメヴルトの親友も、何年も「名誉殺人」という名の復讐に怯えており、日本における痴情のもつれとはレベルが違い過ぎる。
キリスト教と同じくイスラムも原則上は中絶は厳禁のはずだが、wikiの人工妊娠中絶には次の解説がある。
「イスラム教では中絶は母体を救うという目的以外はハラーム(禁止)であると記述されている。また一部の宗派においては胎児が受精120日以内では入魂していないので道義的には悪であることには変わりないが、宗教法で罰せられるハラーム(禁止)ではないとの立場を取ると記述されている」
小説にはトルコの中絶事情が描かれている。1980年9月12日クーデターから3年後、クーデター指導者ケナン・エヴレン将軍が妊娠十週以内の独身女性たちに中絶手術を受ける権利を認めたという。但し既婚女性の場合、中絶同意書に夫からのサインが必要だったそうだ。要するに妻だけでは妊娠十週以内であっても、中絶は認められなかったということ。
一夜建てに住む夫の大半は、罪深い、罰が当たると中絶に反対しており、許可が得られなかったケースが多く、そのため「とんでもなく原始的な方法」で中絶する女が後を絶たなかったとか。
メヴルトの妻ライハも「手ずから酷く野蛮なやり方」で我が子を堕ろそうとして失敗、30歳の若さで死ぬ。生活苦からこれ以上の子供を望まなかったライハだが、夫の同意はなかなか得られず妊娠十週をとうに過ぎてしまう。「酷く野蛮なやり方」とはいかなるものなのか、具体的には書かれてなかったが、闇中絶の果て出血多量で死亡する女は全世界で絶えることはない。
その③に続く
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