トーキング・マイノリティ

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虚言で国会議員を辞任した女 その③

2016-12-17 21:10:06 | 世相(外国)

その①その②の続き
 池内氏がアヤーンと会ったのは、米国の保養地で行われた、とあるイベントに参加した時だったという。米国や西欧では夏休みの季節に政治や外交、学界のエリート保養地に集まり議論する催しが数多く、そういう処でコネクションが作られ、議題が定まり、共通認識が形成されているそうだ。
 参加者の圧倒的多数が白人、WASP、ユダヤ系であり、そこに「多様性」とやらのアリバイ作りのため、氏のような全くのアウトサイダーが少数のみ参加を許されていたとか。



 そんなイベントに参加を許されていた池内氏も、日本のイスラム研究者としては異色だが、そこでアヤーンの姿を見たそうだ。彼女ほどの有名人が参加者のプログラムに名が載ってなかったのを不審に思った氏が訊ねたところ、“彼”が招待されたから来ているという。話してみて、さらに氏は不思議な印象を受けたそうだ。
 アヤーンの著作には大抵彼女の写真があしらわれており、胸をそびやかし真直ぐこちらを向いたもので、上の画像通りに邦訳された本もその構図となっている。いかにも「女性の権利侵害と戦う闘士」といったところだ。

 だが、接して見た印象はまるで違ったそうだ。写真でイメージするよりずっと背が低く、手足が細くて華奢な上、話し方もか細く鼻にかかったような声だったという。池内氏は、「まるで男性の庇護心をそそるかのような印象を与える物腰と話し方」と表現していた。
 そして氏は、英語圏のメディアがアヤーンにインタビューした記事などで、男性インタビュアーが妙に浮ついた表現を交える理由に合点がいったそうだ(「彼女はその透き通った茶色の瞳で私を見つめた」等々)。移民して十年で国会議員となってしまうというのも、単にムスリム女性の権利擁護を主張しただけでは説明がしにくい、と述べている。

 平たく言えば、戦闘的なフェミニストの女闘士というよりも、男心をそそるブラックビューティーだったという訳だ。確かにアヤーンが不美人だったならば、注目される存在にはならなかっただろう。美女ならば難民に偽装し、名前と年齢を偽って申請を行なった過去は概ね不問とされ易い。
 しかも、同行者の彼氏が何とハーバード大教授ニーアル・ファーガソン。その頃はまだ公然と交際が表明されてなかったため、池内氏はひどく驚いたという。アヤーンとファーガソンの関係は、単にパパラッチ的興味をそそるだけでなく、「思想的」な意味があり、衝撃的でさえある、と氏は書く。

 日本ではあまり知られていないが、ファーガソンは英国生まれ、オックスフォード大のフェローを経て米国に渡り、経済史を基礎に帝国衰退論などを一般向けに展開し、広範に人気を博す歴史家だそうだ。池内氏によれば、「イギリス英語で弁舌さわやかにまくしたてて米国知識人のコンプレックスを刺激しつつ、大英帝国衰退原因論で誇りをくすぐるなど、米世論への取り組み方が見事」とか。トレンドを読んで先回りするのが上手く、ハンサムでテレビ出演も多いそうだ。
 このファーガソンとアヤーンのカップルは、政治的に「最強の組み合わせ」である、と言う池内氏。アヤーンとの交際により、ファーガソンは「黒人への偏見がない」「異文化に寛容な」「アフリカ支援に尽くす」先進的人物であるということになる。同時にそれは「世界から優れた美しいものを引き寄せる」欧米社会の優越性の証左となる、と。

 実際には、「文明社会に渡ってきた美女」を「ムスリム男性の魔の手から庇護する」という保守派の優越意識や征服感情が色濃く漂っているが、それはリベラルな「政治的正しさ」の要素により中和される、とする池内氏。これらを踏まえ、氏はアヤーンの存在の意義をシニカルにこう断言する。
 アヤーンとは西洋白人男性の知識人にとって、西洋文化の普遍性・優越性への内心の確信を深めさせ、同時にアリバイも提供する、極めて心地よい存在である。
その④に続く

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