その①の続き
オランダから追放されたかたちとなったアヤーンだが、早々に米国に招かれ、保守派シンクタンクAEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート)研究員として迎えられた。翌年には永住権も取得しており、かなり早すぎる。
アヤーンが欧米世界で名声を得たのは、彼女が行うムスリム女性の権利の主張そのものよりもむしろ、その主張が引き起こした騒動の方によってらしい。彼女の主張の中核部分は、欧米の「高度な」知識社会の間で、イスラム教に関して行われてきた議論の通説を否定している。それら通説への反論を展開しており、池内恵氏はこれを日本の読者向けに次のようにまとめている。
・通説Ⅰ「イスラムは平和な宗教である」
・反論 「そんなことはない。コーランを読めば、異教徒の殺戮を命じる章句が頻出する」
・通説Ⅱ「異教徒の殺戮を命じる章句を文字通り解釈するのは、一部の狂信的な過激派だけである」
・反論 「そうではない。コーランを一字一句真理として認めるのは、イスラム教の基本中の基本である」
・通説Ⅲ「イスラム教は他の宗教に寛容である」
・反論 「イスラム教の絶対的な正しさと、他の宗教に対する優越性は強く主張され、信じられている。コーランは三位一体への信仰、救世主としてのイエスへの信仰を繰り返し虚妄と断定しており、この教義も絶対的に正しい真理として大多数のムスリムに信じられている」
・通説Ⅳ「イスラム教は信仰の自由を認める」
・反論 「認められるのはイスラム教に改宗する自由だけであり、イスラム教からの改宗は厳しく禁じられ、死刑によって処罰されるべきものと信じられている。これは一部の狂信者ではなく、社会の圧倒的多数によって支持されており、現に無神論を表明した自分は殺害の強迫を受けている」
・通説Ⅴ「問題はイスラム教ではなく、抑圧的な中東・アフリカの政権である」
・反論 「イスラム教の規範による権利侵害をもたらすのは国家よりもむしろ社会であり、家族である。ムスリム女性の権利剥奪は、父、兄弟、夫によって行われている」
・通説Ⅵ「イスラム教では女性の地位は高い。むしろヘジャブ(ヴェール)を着用して社会参加することで、女性のエンパワーメントを認めている。
・反論 「自分の育ったソマリア社会では女性は結婚相手を選ぶ自由もなく、父、兄弟、夫など親族男性による支配と暴力のもとで生きている。この規範は部族的伝統とイスラム教の規範が分かちがたく結びついていることで成り立っている」
以上の論点は9.11事件以降、反イスラム感情を惹起してはいけないとして、欧米の学界やリベラル派政治論客から盛んに出された議論に、真っ向から反するものだった。欧米はもちろんリベラル派が支配する日本の学界や政治論客からも、これら“通説”がメディアにより盛んに流されていたものだった。
一方的な感もあるアヤーンの反論だが、これらは決して虚言ではなく、専門的とされるイスラム研究者たちがイスラム圏に配慮して、触れなかったに過ぎない。彼等は総じてアヤーンの主張を黙殺するか、このような論評を下す。
「繊細なニュアンスに欠ける」「文脈を無視している」「イスラム教に対する誤った印象を読者に与える」「返って逆効果である」等々。
研究者たちの論評に対し、池内氏は次のように反論する。それでは「必要なニュアンスとはどのようなものか示してみよ」「どのような文脈があるのか」「誤った印象とはどのように誤っているのか」「逆効果と望ましい効果を比べて、どちらが重要か」とさらに問われれば、口ごもってしまわない研究者は偽善者であるか、単に教わったことをよく分らずに丸暗記して復唱しているだけだと私は考える、と。
また池内氏は実際にアヤーンと会い、短く言葉を交わしたことがあるという。その時、氏が受けた印象は実に興味深いものであり、彼女がなぜ欧米社会で注目を集めているのか、その背景が伺えた。
その③に続く