東北歴史博物館の『東大寺と東北』展を観てきた。この企画も東日本大震災復興祈念特別展で、「復興を支えた人々の祈り」という副タイトルが付けられている。震災は痛ましいが、そのお蔭で様々な特別展が行われるのを嬉しく思っている東北人が大半だろう。博物館のパンフレットには「東北初‼東大寺の寺宝や史料を一堂に公開-国宝17点、重要文化財25点」のコピーの後、概要をこう紹介していた。
―奈良時代に創建された東大寺は、その長い歴史において、二度にわたる災禍で大仏(盧舎那大仏)や伽藍の焼失と復興を繰り返しています。源平の争乱の際、平重衡の南都焼き討ちによって大仏殿はもとより、堂塔伽藍の大半が焼失しましたが、鎌倉時代に重源上人が中心となって復興を成し遂げました。
しかし、戦国時代には再び奈良が争乱の舞台となり、中心伽藍のほとんどが焼失。大仏は百年以上も雨ざらしのままとなりましたが、江戸時代に公慶上人が全国を勧進し、多くの人々の力を得ながら再興が実現しました。その復興は新たな文化や歴史をも創造し、人々に勇気と希望を与えてきました。
東大寺や東北地方に残されてきた数々の史料や寺宝の展示を通して、東大寺再興の歴史が、震災からの一日も早い復興を願う東北の人々にとって、「未来への道標」となることを願って、本展を開催します。
特別展の公式HPには展示物の詳細が載っている。博物館の入口には大仏の手のレプリカが置かれ、流石“大仏”に相応しく、その大きさに驚いた来場者が殆どだろう。
さらに会場の入口には重源上人座像のレプリカも置かれている。東大寺蔵の本物はもちろん展示されており(№43)、これは国宝。像は実に写実的で、東大寺の再建に尽力した高僧に相応しい風貌だった。重源が東大寺大勧進職に就いたのは61歳、入滅はその25年後というから平安末期から鎌倉初期に生きた人物としては稀なる長寿。
その為か徳のある高僧というより、不敵な面構えの老権力者のようにも見えた。心身ともにタフな人物だったのは間違いないだろうし、乱世ではこのような高僧でなければ、由緒ある東大寺の復興は果たせなかっただろう。
対照的に江戸時代前期、東大寺の復興に尽力した公慶は数え年58で死去している。像はかなり特異な顔つきになっているが、気真面目そうな印象もある。上の画像は公慶は勧進の際に使ったとされる大仏螺髪(№68)。色や形にギョッとした方もいたかもしれないが、あくまで螺髪に過ぎない。さすが大仏の螺髪ひとつだけでもデカいが、重さは書かれていなかった。
2018年6月12日放送のぶらぶら美術・博物館では今回の特別展を取り上げ、その番組サイトもある。放送で映された国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図(№6-7)は、会場より鮮明だった。博物館で直にこの曼荼羅図を見ても、宝塔が全て経文文字となっていることに気付かなかったと思う。
展示された仏像の中では、地蔵菩薩立像(№60)が一番気に入った。何しろ快慶作、地蔵菩薩でも秀麗で品のある作品に仕上がっている。
通称「アフロ仏」と呼ばれる『五劫思惟阿弥陀如来坐像』(№58-59)は実にユニーク。東大寺と五劫院蔵の五劫思惟阿弥陀如来坐像が並べて展示され、手前の合掌している方が東大寺の像、五劫院のそれは手を隠している。前から見てもアフロヘアに圧倒されるが、横から見てもボリュームに驚いた。このような仏像は初めて見た。
『栄西唐墨筆献上状』(№53)もあったが、有名な高僧にも拘らず意外に字が上手くなかった。返って頼朝の書状の方が達筆に見えたが、ひょっとして頼朝直筆ではなく祐筆による書状だった?
会場は第Ⅰ部/東大寺の復興と第Ⅱ部/古代東北における災害復興の2部構成となっていたが、Ⅱ部で展示されていた多賀城政庁や陸奥国分寺跡から出土した軒瓦類は、前にも見ているので関心がなかった。やはり東大寺関連は観ていて面白い。
東大寺だけあり、今回はスケールの大きな特別展だった。それにしても、東日本大震災復興祈念特別展は何時まで続くのだろう?そろそろ終りになりそうだが、この様なイベントが再びあることを願いたい。
私も黒木氏のファンで、2014年から、殆どの「無敵の太陽」を保存して居ります。
此6月30日、サーフって居りました所、図らずも今年3月9日付の「ゴイム」に関する記事が目に留まりまして、取り敢えず①②③を保存し、序でに2005.05.31分及び本年6月分を保存しました。
酔生夢死と謂いますが、未だ生きて居りまして、貴方に比べて読書量は九牛の一毛と察せられます。
畏友の言に依りますと、此処数年が日本の正念場らしいので、政治には素人乍ら大いに懸念して居ります。
そろそろ酷暑が始まりますね。
ご自愛を祈って居ります。
PS 暫く正式な自分のURLを確認しないでいたので、http~ なのか https~ なのかも分かりません。
こんばんは、初コメントを有難うございました!
今年3月9日付の記事にも書きましたが、黒木氏の「無敵の太陽」は昨年に初めて知りました。それ以降、氏の新記事だけでなく遡って前の記事も興味深く拝読しました。米国の教育界やメディアもおかしくなっていることは意外に知られていませんよね。その意味で黒木氏のブログはとても参考になります。
「貴方に比べて読書量は九牛の一毛と察せられます」とは買い被りすぎですよ(笑)。私より遥かに読書家のブロガーやコメンターさんは沢山います。ネットの有難いことは、そのような読書家たちの見解が分ることです。
こちら東北でも既に酷暑は始まっています。高温多湿は体に応えるので、お互いに体調には気をつけましょう。
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渡来文化をいち早く取り入れて、大陸に匹敵する文化国家を打ち立てようとするこの情熱!
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その頃、庶民はまだ竪穴式住居に住んで、食物は手掴みで食べていた(実際に、この頃『他国に対して恥ずかしいから、お箸を使え』と奨励されている)。
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国威高揚のために建てられた毘盧遮那仏は金ピカ、極彩色で色取られたその光景に当時の人々は極楽浄土がこの世に現れたように感じたことだろう(今、これをやったら『タイガーバームガーデンかい!』と突っ込まれそうだが・・・)。
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日本のこの柔軟さには驚かされる。そして天皇家というものが今まで存続したことにも・・・他国だったらとっくに天皇一族は弑逆されて、他の王朝が取って代わっていたことだろう。しかし日本では天皇家を存続させてその威光を借りて自らを権威づけるといった流れがずっと続くのである。不思議だ!(信長がもっと生きていたら天皇家を廃していただろうに、残念なことである)。
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さて、他国から日本の天皇はエンペラーと呼ばれているが、私はそれが間違いであると思う。
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国土の豊穣と密接に繋がる王はキングなのである。アーサー王伝説の時代から王の力が衰えると国土も荒廃する、そういう支配者はキングである。天皇陛下は田植えや養蚕をして国土の豊穣を日夜祈っておられるではないか!これに対してエンペラーにはナポレオンだって成れるのであるから、正統な血筋を持たない成り上がりものなのである。
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どうして宮内庁は『天皇はエンペラーではない!キングである!』と対外的に主張しないのか、これも実に不思議なことである。
神道も仏教も多神教なので、混淆は可能です。中華思想の大本でも神仏混淆ならぬ道仏混淆をやっていたし、古代ローマも中近東渡来の神々を広く受け入れていたほど。良くも悪くも外国渡来の思想を“国教”に据えるのは、辺境国家の柔軟さです。
天皇家がもし廃されていたならば、おそらく現代日本はあり得なかっただろうし、日本も南米やフィリピンのようになっていた可能性もありますね。信長のあの最後は当然の結果でしょう。
私も日本の天皇がエンペラーと呼ばれていることはおかしいと感じていますが、問題はないと思います。結構な「誤解」であり、宮内庁が『天皇はエンペラーではない!キングである!』と対外的に主張しないことを不思議とは思いません。対外的にトクだし、自国を大きく見せようとするのは外交の基本。
韓国も実質的には小韓民国が相応しいのに大韓民国と自称、「日王」という言い方を好む意図は分りますね。今のところ天皇の存在はデメリットよりメリットの方が大きい。尤も天皇制廃止を夢見るサヨクの見方は違うでしょうが。