フェミ系学者や知識人にとって右派や保守系は相容れぬ存在だし、殊に彼女らは保守系とされる女性政治家を目の敵にする。自民党の高市早苗議員はフェミ系にとって格好の標的であり、高市議員を「性別が女性のおっさん」と呼ぶ女もいる。
9月16日付だが、「新聞記者「性別が女性のおっさん」←ヒドいLGBTQ+差別主義者ですね」というブログ記事で、管理人は望月衣塑子のツイートを取り上げ、ヒドい差別主義者と非難している。ちなみにブログ主は男性。
但し高市氏を性別が女性の“おっさん” と言ったのは望月ではなく、同調した作家・中島京子で、中島は以下のツイートをしている。
「高市さんは安倍元首相の極端な思想をそっくり持っている人物なので、“名誉男性”的なポジションなのではないでしょうか。たとえると、性別が女性の“おっさん”」
両名にとって「性別が女性の“おっさん”」「“名誉男性”的」は最大級の侮辱を込めているだろうが、性別が女性の"おっさん”の表現には思わず笑ってしまった。私自身がまさに性別が女性の"おっさん”だからだ。
歴女ブロガーは珍しくないが、インド・中東史をよく取り上げるブログ主は男性でも少ない。歴女ブロガーでも私はマイノリティであり、ブログタイトルもそこから付けた。
ブログ開設は2005年5月27日だが、暫くは性別を伏せていた。当時のgooブログには居住地と性を明記するコーナーがあっても、性の方は非公開にしていた。私が女であることを初めて明かしたのは2011年1月であり、開設当時は結構プロフィールに性別や居住都道府県を明記しないブロガーも珍しくなく、それに倣った。
女性であることをカミングアウトしたら、常連さんの大半が驚いており、私の方も驚いてしまった。確かにエントリーから女性があまり書きそうもないテーマが多いし、団塊世代の女性ブロガーさんからも、「女性がこのようなことに関心があるはずがない」「女性がこのようなことを書くはずがない」と言われたので、同性からもよほど女らしくないと見られていたのだ。
そのためか、今でもコメンターの大半は男性であり、性別が女性の"おっさん”ゆえに書込みしやすいのだろう。
尤も女性的でない中年女性は珍しくなく、常連さんの1人「のらくろ」さんの職場には、「私はカラダは女でも心はおっさんだ」と言った同僚がいたそうだ。件の女性は子供もいるが、長くワーキングマザーを続けているとオス化しやすいのか?
職場環境だけではなく、生来の性格も影響している。私は若い頃から女性があまり関心を持たないことに興味があったし、大半の女性が関心を持つことには疎い傾向があった。大抵の歴女なら西欧史に興味を示すし、彼女らより少なくとも中国史好きな歴女もいる。しかし、インド・中東では肩身が狭い。男性の歴史ブロガーも、この方面を書くと反応が薄いと苦笑いしていた。
ただ、十人十色が人間社会だし、どの職種でもそれは同じこと。「性別が男性の“おばさん”」「“名誉女性”的」な男性も存在している。“多様性”はフェミ系知識人が常日頃主張しているスローガンだが、彼女らこそが価値観の異なる“多様性”を最も認めない集団だった。
望月や中島は己を、「性別は女性の“おばさん”」を自覚しているのだろう。確かに見解の異なる相手には平気で人格攻撃を行うのは“おばさん”の特徴だし、私もその類のえげつなさは十分持ち合わせている。
実は2019-06-23付で望月を思い切りコケにした記事をアップしたことがある。「安保法制以降、日本の中東でのイメージが悪化しているのを安倍政権はどこまで把握しているのか」の書込みだけで、この女記者のデタラメさが判ったためだ。
日本のオールでメディアは女記者というだけで異様に持ち上げるようだが、女記者が書いたからいいというわけでは全くない。望月の記事や価値観では女記者への評価は著しく低下する。私から言わせれば無能としか見えないし、これだから女はダメと云われるのは当然。
何時もはジェンダーに拘り、「女らしい」という表現には性差を表す概念として激しく抗議するのに、「性別が女性の“おっさん”」という言葉だけでフェミ系知識人こそがジェンダーに憑かれている実態は興味深い。要するに自分が一番言われたくないことを、気に食わぬ同性に投げつけているのだが、連中にとって性別が女性の“おっさん”は女としての欠陥なのだ。
高市氏はこの罵倒にどう感じるのかは不明だが、仮にも政治家なのだから度胸があり、歯牙にもかけないかもしれない。私も“名誉男性”的と言われれば、むしろ誉め言葉と解釈する。逆に名誉フェミと呼ばれたら、大変な不名誉としか感じない。
◆関連記事:「ジェンダー」
「女記者たちへ」
「女権原理主義」
「スター記者とフェイクニュース」
>女らしい」という表現には性差を表す概念として激しく抗議するのに、「性別が女性の“おっさん”」という言葉だけでフェミ系知識人こそがジェンダーに憑かれている実態は興味深い。要するに自分が一番言われたくないことを、気に食わぬ同性に投げつけているのだが、連中にとって性別が女性の“おっさん”は女としての欠陥なのだ。
これは納得ですね。ようは「バカって言ったやつがバカなんだよ!うわーん」を理屈ともっともらしい用語で誤魔化してるように見えます。
https://www.youtube.com/watch?v=NDUN09XC4fM
HNが本文中に出てしまったので、実は前エントリーにもコメしなきゃと思いつつ、歳を取ってズボラにますます磨きがかかり(?)、全くコメせずにいたら、とうとうブログ主に「督促」された(?)。
多分ブログ主の共感を得られる動画と思う。
ご存知かもしれませんが、静岡県知事がトンでも発言をしていますね。しかも静岡文化芸術大の学長を務めたこともあったのに。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2012301.html
果たしてフェミ系知識人から非難はあったでしょうか?これに比べれば、張本や森の発言は失言レベルです。
紹介された動画主のLanaさんはロシア人でしたか。黒髪黒目で陽気な女性なので、言われなければ南欧女性と思ったでしょう。
Lanaさんの晩酌が鯖の味噌煮にイカの炙り焼き、じゃがりこでキリンの一番搾りなのは、私とあまり変わらないので笑えます。私はじゃがりこはチーズの方が好みですが、ポテト系スナックはビールにぴったり。最近の晩酌はビールよりも焼酎ですが。
酒豪で知られるロシア人だから、女でも大酒のみは珍しくないようです。酒癖が悪いといえ、器物損壊や暴力行為に及ばないのであれば、ご愛敬でしょう。
「性別が女性の"おっさん”」と識者気取りのおばさんフェミ、支持されるのはどちらなのか書くまでもないでしょう。自称"おっさん”の同僚女性によろしく。
今では「男らしい」「女らしい」などの表現も使用しづらくなっています。尾木ママは「女らしい男性」になりますが、高度経済成長生まれの私には、ナヨナヨしてキモいとしか感じません。
「男らしさ、女らしさを押し付けるな。自分らしさを尊重しろ」と言われますが、それなら「男らしい男になりたい」あるいは「女らしい女になりたい」と考える人達の意志や権利だって尊重するべきでしょう。
ところが、「男らしさ、女らしさという固定観念を押し付けるな」と言っている人達が、自分達の考える理想(理想は人の数だけ種類があります)の「男性像」「女性像」という固定観念をおしつけているのです。それも多様性を口にしながら。
こうしたフェミの暴走によって、童話や漫画が攻撃されていますが(サザエさんが家父長制度の押しつけだとか)、ムーミンママがエプロンをつけているため、「性の固定観念を植え付ける」として、ムーミンの本が図書館から姿を消すことも、起こるかもしれません。
こうした状況は、本当に男女双方を幸福にするのでしょうか?
フェミニズムを語る女たちほど、他人の多様性を認めませんよね。自分達の理想とする「男性像」「女性像」の固定観念をおしつけているのこそ全体主義の見本で、フェミナチ呼ばわりされるのは当然。女は家にいるべきだというマッチョと全く同じです。
「SNSでフェミニズムを語る女性たちが、男にも女にも嫌われる決定的理由」というコラムは興味深いですよ。コラム主は男性ですが、フェミ間のやっかみがあるようです。
https://president.jp/articles/-/38065
童話や漫画を攻撃するフェミですが、小説や教典は完全にスルーしていますね。聖書やコーラン、共産党宣言の影響でどれだけの人間が虐殺されてきたことか。連中がこれらを言わないのはテロリストが恐ろしいか、支援者の意向なのやら。行方知れずの中国の女子テニス選手にも全く言及していないそうです。
現代の状況が続くのであれば、フェミたちの将来にとっても幸福にはならないでしょう。