先日、『ペルシャ細密画の世界を歩く』(湯原昌明 著、幻冬舎ルネッサンス新書あ-4)を読了した。本の腰帯には「1000年の歴史、宗教、文化……ペルシャ(現イラン)のすべてがわかる!日本初公開の作品72点!」のコピーがあり、以下の説明は裏表紙にあったもの。
―サーサーン朝ペルシャの美術を継承し、9世紀にギリシャの科学文献の挿絵として始まったペルシャ細密画。13世紀にはモンゴル人の侵略により中国美術の影響も受けるなど、数多くの民族の侵入と文化交流により発展した。ゾロアスター教からイスラム教へと続く独特の文化が凝縮された作品、厳選75点を掲載。砂漠とオアシスの民が築いた至高の芸術と歴史ロマンを堪能できる一書。
掲載されている75点もの細密画の内、実に72点が日本初公開の作品というだけで、いかに日本でペルシア細密画がマイナーな状態にあるのか知れよう。そして75点の中でもカラーなのは口絵の僅か16点に過ぎず、アマゾンの書評にもあるように「カラー図版が少ないのが残念」だった。そのカラー版も新書ゆえに、大きさや鮮明度では専門の美術書には及ばない。
だが、日本ではイスラム美術専門家や研究者自体が殆どおらず、余程の数寄者か中東オタクでもないかぎり、関心を示さないのがペルシア細密画。マーケットも確立されていない状態であり、初心者向けには優れた解説書だと思う。作者はいわゆる美術専門家ではなく、本末には次のように著者紹介している。
―1941年大阪市生まれ。1964年大阪府立大学経済学部卒業。同年松下電器産業株式会社入社。1979年同社のインドの子会社に出向。インドの細密画に初めて出合い魅了される。定年退職後、細密画研究のためインド、ペルシャの美術館・博物館や、それらが描かれた宮殿跡等を訪ねる。市井の研究者ながら細密画に描かれた歴史・文化・宗教等を、多くの人々に紹介する活動を行なっている。著書に『インド細密画への招待』(PHP新書)がある。
スキャナーがないため画像が載せられず毎度恐縮だが、専門的な知識がなくとも新書で掲載された細密画はどれも素晴らしい。テーマが分からずとも画自体が美しく、日本画と同じく中国画の影響も受けているため、人物や風景の表現は西洋画よりも親近感があるはすだ。
口絵を飾る図1は興味深い。アブドゥイラ・フマーン・スーフィー(903-986)の『星座の書』で、制作は1158年頃のセルジューク朝末期、制作地はバグダードという。バグダードで描かれた細密画でもスーフィーはイラン人で、この新書の裏表紙にある通り『星座の書』は科学文献の挿絵なのだ。星座といえば、古代ギリシアが発祥と思う日本人が殆どだろうが、実はそうではない。BC6世紀頃、バビロニアで占星術の本が記され、身近にいる動物(牛、山羊、蛇、ライオンなど)の姿を当てはめて、“星座”を考え出したと言われている。その後ギリシアに伝わりギリシア語に翻訳された。そして星座は中世にアラビア語に翻訳され、再び中東に戻ってくる。
2世紀、古代ローマの天文学者で数学者でもあるプトレマイオスは、『ギリシア科学集大成』を記した。9世紀当時アッバース朝の首都だったバグダードで、この本はアラビア語に翻訳され、後に『アルマゲスト』と呼ばれるようになる。この翻訳は挿絵入りの写本として制作されたそうで、イラン地域で最も初期の挿絵(細密画)だった。
10世紀に入り、イラン人のスーフィーはプトレマイオスの天文学をさらに発展させ、『星座の書』を著した。図1では両手を開いた人物と馬のような動物の上半身の絵が描かれており、星は身体の各場所に丸い円で描写されている。これが現代の何座に当たるのかは不明だが、星座のルーツは元々中東だったのだ。
古代から人間が生きていくためには、“時間”と“農業に適した季節”を知り、さらに交易のための方角を知る必要から、天文学は基本的学問として発展してきた。ギリシアに先駆けて古代バビロニアで天文学が花開いたのは当然だろう。日本人はともかく中近東の人々にも、星座を初めて考案した地がバビロニアだったことを知らない人が少なくないのかもしれない。
その二に続く
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