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先日、日帰りバスツアーで福島県の南会津郡・下郷町にある大内宿(おおうちじゅく)を見てきた。遅ればせながら今回の南会津を巡るバスツァーで、大内宿という観光地が福島県にあることをようやく知った。トップ画像は大内宿観光協会のHPからの借用であり、最新の紅葉情報に載っているもののひとつ。写真というのは実物よりもきれいに撮られていることが多く、殊に観光地ではその傾向が多い。
しかし、先日見てきた大内宿は観光写真と変わらなかったし、30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ風景は壮観で、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだった。
寛永20(1643)年頃、大内宿は会津西街道の宿場町として開かれ、当時から街道に沿って整然とした屋敷割の街並みが形作られたという。純粋な宿場町ではなく「半農半宿」の状態だったそうだが、やはり一般の農家とは見た印象が違っている。宿全体が開放的なのだ。
茅葺き屋根の民家は観光地ということもあるのか、どれもよく手入れされていて美しく見飽きない。
整然とした街並みには堀のような水路が流れ、大内宿の人の話では沢からの湧水とか。湧水のため水は澄んで冷たい。この水路で飲料水を冷やしている店は幾つもあり、今でも水路は生活に欠かせないようだ。尤も現地の人の話では、沢の水は冷たいため米作りに適さず、もち米なら質が良くなるという。
上の画像は子安観音堂付近から見た大内宿(2006年7月撮影)で、wikiに載っているもの。宿の中でも最も高い場所にある子安観音に行くには石段を登らなければならないが、石段の幅が狭く角度がとても急なのだ。私の前には子供連れの若い母親がいたが、彼女も登るのに苦労していた。しかし、一旦登れば大内宿の街並みを一望できるし、美しい風景を思う存分眺められる。同じ街並みでも夏と秋ではかなり違った印象がある。春や冬も違った風景になるだろうし、違う季節に大内宿を観るのも素晴らしいだろう。
大内宿名物といえば、そばを一本のねぎを箸代わりにして食べる「ねぎそば」。大内宿に行ったのが昼食を取った後の午後だったため、かなり迷って名物そばを食べることは止めにした。一応箸は用意されているが、ねぎ一本でそばを食べるのは難しそうだった。そして、そばを食べ終わった後のねぎはどうするのだろう?捨てるのはもったいないし、そのまま齧っても美味しいとは思えないが…
午前中には会津鉄道の湯野上温泉駅に立ち寄り、上はその湯野上温泉駅の画像。茅葺屋根の駅舎は風情があって良いと思ったが、 茅葺き屋根の新駅舎が完成したのは1987(昭和62年)12月だという。待合室には囲炉裏があり、これまた風情がある。くべられた薪は2~3本くらいでも実に温かかった。囲炉裏は飾りのみならず、茅の虫除けのためにも必要らしい。
薪を使う囲炉裏はエコの点からも優れているが、最大のネックは薪が確保できないことだろう。里山暮らしならともかく、都市では薪を手に入れること自体が難しい。他にも煙や常に薪をくべなければならない問題があるのだ。
バスツァーの日は天候に恵まれたが、内陸部にあるためか大内宿は日中でも仙台より寒かった。11月はじめの晴天でもこの気温ならば、真冬はさぞ寒さと積雪が厳しいだろう。茅葺屋根の家は夏は涼しく冬は暖かいと言われるが、今の日本では萱の確保すら難しい有様。萱葺の維持は金も手間もかかる上、萱葺職人も減少している。大内宿のような観光地ではメンテナンス作業のための人員も集められるだろうが、そうでない処は萱葺の維持も困難なのだ。
駐車場に留められた車を見たら、首都圏ナンバーが最も多かった。昔ながらの茅葺民家を観るために首都圏から多くの観光客が来ているのだ。それだけ茅葺民家に対する日本人の郷愁は強いとも言えよう。同行した友人の旦那は職場の慰安旅行で大内宿に行ったことがあるそうで、とても良い処だと友人に話していたという。機会があったら私も別な季節にまた訪れてみたい。
ネギで食べるおそば、おいしそうですね。僕は蕎麦が大好きなんです。一本のネギで食べるのは難しそうですが、あのネギは蕎麦を食べながらかじるものだと思いますよ。おそらくそれほど違和感は無いのではないかと思います。
古い民家を煙でいぶす必要の話、京都でも同じことがあります。京都のまちなかの民家は瓦屋根なのですが、それでも、内側の木組みなどは、おくど(かまど)の煙でいぶされることを前提にくまれているのだそうで、民家を保存する機運がましていても、薪で飯を炊く覚悟がなければ意味がないのだそうです。
記事にも書いたとおり、トップの画像は大内宿観光協会のHPからの借用であり、最新の紅葉情報に載っているもののひとつです。おそらく公報係が撮ったものだろうし、だから綺麗な画像に仕上がっています(笑)。そのため、左側の家屋の屋根にある黒い影は分りません。
私も蕎麦が大好きだし、うどんよりも蕎麦のほうを好みます。例のネギは仰る通り蕎麦を食べながら齧ることもできますが、新鮮でないと思い切りネギくさくなると思います。大のネギ好きなら話は別ですが、生ネギの丸かじりは私的には苦手です。
『おくどはん』という京都が舞台のТVドラマが昔あり、これで京都ではかまどを「おくど」と呼ぶことを知りました。確かに「おくど」で炊いたご飯は格別でしょうが、今時釜でご飯を炊く家庭は稀でしょうね。ガス火でも、土鍋で炊いたご飯も美味しいそうです。
「おくどはん」という番組は知りませんでした。しかし、京都の人で「おくどはん」という人はいないように思います。「おくど」または「おくどさん」ではないでしょうか。少し前ですが、京都は年末、事始め(13日)を過ぎると、挨拶が「お事多さんでございます」となります。お互い正月の用意で大変ですね、という意味なのですが、これも「お事多はん」と紹介されていたことがありました。「はん」というのは、どうも大阪風なのではないかと思います。
どうでもいいような細かいことで、恐縮ながら。
『おくどはん』について、wikiにも解説がありますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%A9%E3%81%AF%E3%82%93
放送が1977年10月から翌年3月なので、古~いドラマです(笑)。それにしても今の京都の人で、「おくどはん」という人はいないのですか?京都では「○○さん」のところを「○○はん」と呼ぶイメージがありますが、「はん」というのは大阪風??関西弁ということで大阪と京都がゴッチャになっているのやら。
『おくどはん』の脚本を書いた花登筺は、滋賀県大津市出身の人です。彼はよく大阪もののドラマを書いていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%99%BB%E7%AD%BA
大内宿ですが、会津でもかなり山奥のようですね。また、今年、福島に行った際に知ったのですが、福島は会津・中通り・浜通りの三地方に別れるのですね(天気予報もそうでした)。
「ねぎそば」は美味しそうですね。でも、私も、ねぎとそばは大好きですが、かじってまでは頂きたいとは思いませんね。
福島も、会津も広いのですが、山には川があり、美味しい魚や水、それを利用したお酒、肉(馬肉など)もありますよね。こんな地方で一生は過ごしたいとまでは思いませんが、一週間位、時間を忘れてのんびりしたいものですね。
大内宿は山奥にあったために近代化が遅れ、結果的には古い街並みが残ることになりました。ここに電気が引かれたのは終戦の翌年(昭和21年、1946年)になってだそうです。旧宿場の街並みが再評価されるようになったのも高度経済成長以降で、こことは無縁の余所者の方が昔ながらの茅葺の家の保存活動を始めたとか。
取りたての新鮮なネギは甘みもあるそうですが、農家でもない限り、そんなネギは手に入りませんよね。焼き鳥のねぎまは美味しいですが、生ネギ丸かじりはちょっと、、、
仰る通り福島県は広く、豪雪地帯の会津とは対照的に浜通りは温暖で、冬でも車は夏タイヤで走行出来るそうです。仙台の冬は夏タイヤでの運転は無理。大内宿のお土産屋さんで試食した漬物はどれも美味しかったし、のんびりと一週間ほど過ごしてみたいものです。