原題は「The Young Victoria」、タイトルどおり若き日のヴィクトリア女王を描いた作品。世界史の教科書では、いかにもヴィクトリア朝時代の女王らしく厳しい老婦人姿の写真が載っていたが、そんな彼女も若く未熟な時代があった。大英帝国の全盛期であるヴィクトリア朝に君臨した女王の私生活となれば、歴史好きには堪らない史劇だろう。
ヴィクトリアが王位継承者となったのはまだ十歳の時だった。以降1人で外出も許されず、宮殿内部でも母が常にエスコートする。階段の上り下りにも大人が手を引くのは、王位継承者ならでは。ヴィクトリアの周辺では即位を見据えた陰謀が渦巻く。本来なら娘を庇護する立場にある実母ケント公夫人は、愛人でもあるアイルランド人の個人秘書ジョン・コンロイの言いなりであり、野心家のコンロイは母を通じてヴィクトリアを支配しようとする。コンロイは摂政政治をもくろみ、それへの署名を強要するが、断固として拒否するヴィクトリア。愛人の意向を優先させる母と娘の確執は深まる。
1837年、若干18歳で即位したヴィクトリアがまず始めにしたのは、自分のベッドを母の部屋から移すことだったのは以前に本で見ており、映画にも描かれていた。本を見た時は、単に過保護のため18歳になっても母の部屋で寝起きしていたものと解釈したが、実母の監視目的もあったようだ。即位後は女王の母でも、許しを得ず娘の部屋に入ることは出来ないのだ。
母を遠ざけ、その影響力を排除したヴィクトリアが頼りにしたのは首相メルバーン子爵。老練な政治家であるメルバーンが彼女に仕え、助言したのも、権力獲得目的もあった。
ベルギー初代国王レオポルド1世もヴィクトリアに目を付けており、甥アルバートを英国に送り込む。ヴィクトリアの母はレオポルド1世の姉であり、ベルギー国王にとってもヴィクトリアは姪となる。レオポルド1世が国王となったのも英国のお膳立てによるものだったが、甥と姪を政略結婚させれば、さらに英国王室との関係と影響力が深まることに繋がる。
ヴィクトリアは即位前にアルバートと出会っており、ベルギー国王の企みに気付いていたが、この出会いは恋に変わる。2人は親密に手紙を交し合い、即位から3年後の1840年、ついに結婚に至った。
「君臨すれども統治せず」の立憲君主体制を採る英国だが、ヴィクトリアが全く政治関与しなかった訳ではない。閣僚会議は女王の目の前で行われたり、政党が女王に政策の承認を求めたりすることもあり、それを他の党が「女王の政治利用!」と非難する。非難する側も政治利用を画策しており、政党の狭間でシーソーのように揺れ動く女王の風刺画もあった。メルバーン子爵を尊重しすぎたためか、女王の女官や使用人はホイッグ党支持者ばかりとなり、後任の首相が彼らの罷免を要求しても、拒否したヴィクトリアには国民から非難が浴びせられた。映画では描かれなかったが、実際には大臣の指名や政策など政治にある程度干渉していたらしい。
まだ若く実務に乏しかったヴィクトリアは、世論に耳を貸さず、己のやり方を押し通そうとするが、やがてアルバートや母の助言を受け入れるようになる。かつては対立した母娘だが、コンロイの失脚後は親子関係は修復された。
女王の夫というのは難しい立場で、決して逆玉生活で楽をしていたのではない。アルバートは黙って妻を影で支えたというより、妻に代わり公務もこなし、事実上は国王のような役割も果たしている。政治家も英明なアルバートを信頼、相談するようになり、お株を奪われたかたちのヴィクトリアが夫に怒りをぶつけることも。
アルバートはまた王室内の財政改革を成功させた。当時の英国王室では人事や予算の使い道はズサン極まりなく、使用人たちによる予算の水増し請求や着服が常態化していた。彼はドイツ人らしく予算を徹底管理し、経費の無駄遣いを改めさせる。この改革で王室費用はかなり節減された。かなり保守的だったヴィクトリアに、自由主義的な考えを吹き込んだのも、アルバートだったという見方もある。
様々な困難を乗り越え、アルバートとヴィクトリアは固い絆で結ばれる。2人は9人の子供に恵まれ、子供達は欧州各国の王家と縁組したため、彼女の子孫は欧州中に広がった。
結婚21年目にして夫アルバートが死去する。以降ヴィクトリアは常に喪服を着用、公式の場に出る機会が殆どなくなったということから、その睦まじさが伺える。それでも夫に先立たれてから40年後、81歳で没したので、長寿と幸福、子宝に恵まれた人生だった。
同じく英国の黄金時代を築いた女王でも、生涯独身だったエリザベス1世とは何と対照的な人生だろう。ヴィクトリア朝時代の経済力の担い手は新興ブルジョワジーであり、英国のブルジョワジー達はフランスのそれと違い王室を廃絶しなかった。彼らは海外に植民地を獲得していくに当たり、その統合の象徴として英国王室を必要としたのだった。その役割を見事に演じた英国王室は、日本も含め世界の諸王室のモデルになったといわれる。
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ヴィクトリアが王位継承者となったのはまだ十歳の時だった。以降1人で外出も許されず、宮殿内部でも母が常にエスコートする。階段の上り下りにも大人が手を引くのは、王位継承者ならでは。ヴィクトリアの周辺では即位を見据えた陰謀が渦巻く。本来なら娘を庇護する立場にある実母ケント公夫人は、愛人でもあるアイルランド人の個人秘書ジョン・コンロイの言いなりであり、野心家のコンロイは母を通じてヴィクトリアを支配しようとする。コンロイは摂政政治をもくろみ、それへの署名を強要するが、断固として拒否するヴィクトリア。愛人の意向を優先させる母と娘の確執は深まる。
1837年、若干18歳で即位したヴィクトリアがまず始めにしたのは、自分のベッドを母の部屋から移すことだったのは以前に本で見ており、映画にも描かれていた。本を見た時は、単に過保護のため18歳になっても母の部屋で寝起きしていたものと解釈したが、実母の監視目的もあったようだ。即位後は女王の母でも、許しを得ず娘の部屋に入ることは出来ないのだ。
母を遠ざけ、その影響力を排除したヴィクトリアが頼りにしたのは首相メルバーン子爵。老練な政治家であるメルバーンが彼女に仕え、助言したのも、権力獲得目的もあった。
ベルギー初代国王レオポルド1世もヴィクトリアに目を付けており、甥アルバートを英国に送り込む。ヴィクトリアの母はレオポルド1世の姉であり、ベルギー国王にとってもヴィクトリアは姪となる。レオポルド1世が国王となったのも英国のお膳立てによるものだったが、甥と姪を政略結婚させれば、さらに英国王室との関係と影響力が深まることに繋がる。
ヴィクトリアは即位前にアルバートと出会っており、ベルギー国王の企みに気付いていたが、この出会いは恋に変わる。2人は親密に手紙を交し合い、即位から3年後の1840年、ついに結婚に至った。
「君臨すれども統治せず」の立憲君主体制を採る英国だが、ヴィクトリアが全く政治関与しなかった訳ではない。閣僚会議は女王の目の前で行われたり、政党が女王に政策の承認を求めたりすることもあり、それを他の党が「女王の政治利用!」と非難する。非難する側も政治利用を画策しており、政党の狭間でシーソーのように揺れ動く女王の風刺画もあった。メルバーン子爵を尊重しすぎたためか、女王の女官や使用人はホイッグ党支持者ばかりとなり、後任の首相が彼らの罷免を要求しても、拒否したヴィクトリアには国民から非難が浴びせられた。映画では描かれなかったが、実際には大臣の指名や政策など政治にある程度干渉していたらしい。
まだ若く実務に乏しかったヴィクトリアは、世論に耳を貸さず、己のやり方を押し通そうとするが、やがてアルバートや母の助言を受け入れるようになる。かつては対立した母娘だが、コンロイの失脚後は親子関係は修復された。
女王の夫というのは難しい立場で、決して逆玉生活で楽をしていたのではない。アルバートは黙って妻を影で支えたというより、妻に代わり公務もこなし、事実上は国王のような役割も果たしている。政治家も英明なアルバートを信頼、相談するようになり、お株を奪われたかたちのヴィクトリアが夫に怒りをぶつけることも。
アルバートはまた王室内の財政改革を成功させた。当時の英国王室では人事や予算の使い道はズサン極まりなく、使用人たちによる予算の水増し請求や着服が常態化していた。彼はドイツ人らしく予算を徹底管理し、経費の無駄遣いを改めさせる。この改革で王室費用はかなり節減された。かなり保守的だったヴィクトリアに、自由主義的な考えを吹き込んだのも、アルバートだったという見方もある。
様々な困難を乗り越え、アルバートとヴィクトリアは固い絆で結ばれる。2人は9人の子供に恵まれ、子供達は欧州各国の王家と縁組したため、彼女の子孫は欧州中に広がった。
結婚21年目にして夫アルバートが死去する。以降ヴィクトリアは常に喪服を着用、公式の場に出る機会が殆どなくなったということから、その睦まじさが伺える。それでも夫に先立たれてから40年後、81歳で没したので、長寿と幸福、子宝に恵まれた人生だった。
同じく英国の黄金時代を築いた女王でも、生涯独身だったエリザベス1世とは何と対照的な人生だろう。ヴィクトリア朝時代の経済力の担い手は新興ブルジョワジーであり、英国のブルジョワジー達はフランスのそれと違い王室を廃絶しなかった。彼らは海外に植民地を獲得していくに当たり、その統合の象徴として英国王室を必要としたのだった。その役割を見事に演じた英国王室は、日本も含め世界の諸王室のモデルになったといわれる。
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確か、夫婦喧嘩をして夫が部屋に閉じこもった時、最初は誰何の声に対し「イギリス女王です」と言ったところ返事はなく、次に「あなたの妻ですわ、アルバート」と言うと部屋のドアが開かれた…というエピソードを読んだことがあります。(大分昔の話なので違っていたらすみません)
詳しくはありませんが、ヴィクトリア女王には好印象を持っていました。有能なイメージです。誰しも若い頃はありますし、面白そうな映画ですね。
紹介されたエピソード、私も以前に見たことがあります。いかに庶民の家庭とは違うにせよ、このエピソードは微笑ましいですね。王室であっても、2人はやはり「夫婦」ですから。
アルバートはドイツ系なので、始めは英国国民の評判は悪く、せっかく王室内の財政改革をしても、ケチと罵られたそうです。ヴィクトリア女王はいい夫を持ったと思いますし、彼も賢明でした。
19世紀らしい豪華な衣装や風俗は、特に女性には見ごたえがあると思います。