『フレディ・マーキュリー/孤独な道化』(ヤマハミュージック)を先日読了。この本のカバー裏から一部引用すると…
―フレディ・マーキュリーはロック史上に残る最大のボーカリストであったと同時に、もっとも謎の多いスターでもあった。その天才的な音楽の才能と稀有な創造性で何百万人もの人々を惹きつけたが、プライベートな世界に立ち入ってその素顔に迫ることを許されたのはごくひとにぎりの人間にすぎなかった。
ツアーに同行して世界中をまわった元ロック・ジャーナリストのレスリー・アン・ジョーンズによるこの決定的な伝記は、フレディ・マーキュリーにまつわる伝説や噂、ゴシップの裏に隠された、シャイで魅力的なひとりの人間の姿を描き出す。ザンジバルでの幼年時代からインドでの学校時代、一家でのロンドンへの亡命、クイーンの未曾有の成功、そしてエイズによる悲劇的な最期まで、余すところなく徹底的にフレディの真実の姿を追求している…
波乱の生涯を送ったフレディを温かく見守りながらもその真実に肉薄する本書は、音楽業界で誰よりも複雑で誰よりもこよなく愛された人物の最新の肖像画である。生い立ち、少年時代、栄光、恋人たち、そしてエイズとの戦い--。数多くの証言から「真実」を浮かび上がらせた決定的伝記。
このような宣伝文だけでもファンには堪らないし、424頁で2段組なのだから、実に読み応えがあった。本の中でどの箇所に注目するかはファン同士でも異なるはずだし、ゾロアスター教やパールシーに関心のある私としては、彼の生い立ちが特に知りたかった。
フレディの生前、彼の出自は巧妙に隠れされており、私が昔よく見ていたFM雑誌「FM STATION」には、英国人とペルシア人のハーフと紹介されていた!彼がパールシーであったことが知られるようになったのは、やっと死後のことなのだ。彼自身、インド出身というのはポップスターとしてのイメージに相応しくないと考えており、バンドメンバーにさえ、インドに関する話題を避けていたという。
母ジャーがフレディを出産した時、まだ18歳だったことをこの本で初めて知った。18歳の奥様は初めて母になり、夫のボミは職場で第一子が男児であったことを聞き喜ぶ。これで家族の名が途絶えずに済むはずだった。この時点で夫妻は、成人後の息子のライフスタイルは知る由もなかった。父ボミは仕事で兄弟と共にザンジバルに渡ってきた時、まだ独身だったという。一旦インドに戻り、ボンベイ(現ムンバイ)でジャーと結婚、その後妻を伴ってザンジバルに戻り、フレディが誕生した。
上の画像はフレディ4歳の誕生日、ザンジバルで撮られたもの。ゾロアスター教徒の白い礼拝用の帽子と、お祝いの花輪を身に付けているが、帽子がなければヒンドゥー教徒の子供に見える。
そして父ボミは8人兄弟だったそうだ。2003年12月26日、闘病の末ボミは95歳で他界したことがファンサイトに載っており、もし誕生日を迎えた後の死となれば、1908年生まれで息子を儲けたのは38歳の時となる。パールシーも20世紀初めまでは5人兄弟も珍しくなかったそうだが、日本よりも早く晩婚少子化を迎えており、フレディの属するバルサラ家も例外ではなかったらしい。フレディには妹が1人いるが、彼女は英国人と結婚してしまい、こうなると生まれた子供はパールシーと認められない(※男性信者が異教徒女性と結婚した場合、生まれた子供はパールシーの資格はあるが、その逆は不可)。
著者はパールシー教徒を、「6世紀初頭のペルシャに遡る、一神教のゾロアスター教を信仰する人々」と書いていたが、これはトンでもない出鱈目である。教祖のいる宗教としては世界最古であり、仏教より少なくとも数世紀は古いのだ!そのため“宗教界のシーラカンス”と揶揄する人もいる。
また、この宗教が一神教と言うのも大間違い。アフラ・マズダーは最高神であっても唯一神ではなく、教典アヴェスターには他にも多くの神々への賛歌がある。20世紀後半を代表するゾロアスター教学者メアリー・ボイスは英国人だが、この英国の女ロックジャーナリスト、何を調べて書いたのか?今やネットで簡単に検索できる時代なのに。
その二に続く
◆関連記事:「ザンジバル島」
「フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー」
よろしかったら、クリックお願いします
最新の画像[もっと見る]
- 禁断の中国史 その一 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- 第二次世界大戦下のトルコ社会 2年前
- 動物農園 2年前
- 「覇権」で読み解けば世界史がわかる その一 2年前
- ハレム―女官と宦官たちの世界 その一 2年前
- 図解 いちばんやさしい地政学の本 その一 2年前
- 特別展ポンペイ 2年前
この度のこの映画を観て、あの頃のクィーンへの想いが蘇ってきた感じです。
あの当時の洋楽ファンにはミュージックLIFE誌はバイブルでした。
いつもクィーンは、日本のファンの為に、誠実に取材に応じてくれていた記憶があります。
ロジャー、ブライアン、ジョンは、細かな仕草や表情までかなり似ていたと思います。
やはりフレディ役がもの足らないというか、実際のフレディの風格には程遠く、特に舞台上のパフォーマンスでは、観ていてイライラしました。
日本のファンの間では、早くからフレディの生い立ちや性的なことはよく知られていました。
それ故、カミュ的な不条理の世界観をボヘミアンラプソディーに込めたと受けとめるファンもいました。(ザンジバル(植民地)での光と影)
この映画で一番良かったところは、天才的なフレディがその才能を充分発揮できたのも、クィーンのメンバーそれぞれにその才能に応え、引き出せる力量があったからだということ、完全主義で理想高く頂点まで走り続けたフレディが、改めてその事に気付き、彼の孤独な魂の帰るべき居場所を公私共に見出だし、ライブエイドを迎えるところ。
彼の魂の放浪の代償がAIDSだったということが、悲しく無念で、ここにボヘミアンラプソディーのもの哀しい旋律が重なります。
コメントを有難うございます。『キラークィーン』からのファンで来日公演にも行かれたとは羨ましい。私は現役で聴けた世代にも関わらず、10代の頃は洋楽は聴かなかったし、初めて見たPV『レディオ・ガ・ガ』でのフレディの印象がかなり悪かったので、敬遠してしまいました。ファンになったのはフレディの死後5年後で、既に30代になっていました。
もし10代にクイーンの映像を見ていたら、ロジャーのファンになっていたと思います。『レディオ・ガ・ガ』でも美形ぶりに目が釘付けとなりました(笑)。
やはりみぃさんも、フレディ役には不満を感じられましたか。幾ら熱演しても、風格がでないのは無理もありません。ライブエイドでは本物の映像を使ってほしかったですね。むしろクイーンに思い入れのない人の方が、感動しているようです。
この映画で笑えたシーンもありました。創作かもしれませんが、ロジャーがフレディの妹を父親の目の前でくどいたり、歌詞を間違えたフレディにブライアンが、「歌詞を憶えろよ!」と叱ったシーン。初期のライブだとフレディが歌詞を間違えたり、出なかったりすることもあったはず。
>>日本のファンの間では、早くからフレディの生い立ちや性的なことはよく知られていました。
それは知りませんでした。初めて彼を見た時、いかにもゲイくさい…とは感じましたが、生い立ちは死後に知られるようになったと思っていたのです。ボヘミアン・ラプソディを、ゲイのカミングアウトの曲という解釈をした伝記作者もいますが、カミュ的な不条理の世界観を込めたという解釈もあるでしょう。
確かにボヘミアン・ラプソディはもの哀しい旋律が印象的ですよね。あの曲はフレディでなければ作れなかったでしょう。
ロジャーの若い頃は、今見てもイケメンで服装もカッコいいですo(^-^)o
コンサートが始まるとロジャーがまずドラムにお酒(種類は分からず)をかけるのです。
ドラムを叩く度にお酒の飛沫がシャワーのように飛び散り、ロジャーの金髪が飛沫と共にライトに照らされキラキラ輝いて、どんだけぇええ美しかったか(*^_^*)♪
ブルーレイとか画像でもそこまでは見えないと思います。
mugi様と同じ箇所にみぃも笑えました。
あとボヘミアンラプソディーのシングル化に反対したレコード会社のプロデューサーが、ライヴエイドでクィーンに対し最も大きな歓声が上がる中、忘れた頃にひょいっと映しだされたところ。
なんとも間抜けっぽい映し方が、笑えました。
初来日時のハンチング帽のロジャーをビデオで見ましたが、本当に可愛かったですね。ドラムのお酒は飛沫が勢いよく飛び散るので、ビールと思っていました。ただ、DVDでは飛沫と共に彼の金髪がライトに照らされ、キラキラ輝いていたシーンは見えませんでした。金髪はトクです。生ライブを見られた方が羨ましい。
映画のロジャー(ジョンも)は雰囲気はよく出ていましたが、やはり本物の方がイケメン!
ボヘミアンラプソディーのシングル化に反対したレコード会社プロデューサーに対し、フレディが「あんたの奥さんとは6分?」と言い返すシーン、私的には一番笑えました。あのプロデューサー、意外な人物が演じていましたね。
先日、NHKのブライアン&ロジャーの独占インタビューを見ましたが、あのヘアスタイルのお蔭でブライアンの方が若く見えます。ブライアンは何と7人も孫がいるとか。子供の数では勝るロジャーはいったい何人?と思いました。