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ホモセクシャルの世界史 その三

2014-06-15 21:11:04 | 読書/欧米史

その一その二の続き
 さすがに欧州も近代には刑法の改正が進み、多くの国で男色を処罰する法律が廃止される。特に啓蒙君主のいた国ではそれが早かったが、欧州の大国、英国やフランスではそれが遅れた。近代までの欧州諸国では男色者というだけで処刑対象だったのだ。1783年がフランスで最後の男色者処刑と言われるが、この場合は男色よりもそれに伴う殺人が極刑理由だったらしい。そして1791年、ついにフランスでは男色が犯罪ではなくなる。

 犯罪ではないため、罪に問われずとも差別意識は根強く残り、むしろ19世紀フランスでのホモ嫌いはさらに強力になったらしい。警察は同性愛者への密かな監視を続け、それが問題になり廃止されたのは、何と1981年になってだという。
 一方、英国ではフランスで廃止になった極刑が19世紀まで続いていた。19世紀にはホモ・バッシングはヒステリー状態にまで高まり、同性愛者へのさらし台での見せしめや絞首刑が行われた広場に民衆が集まった。1806年から36年にかけ、英国で男色者60人が絞首刑になったという。英国での男色による死刑は1861年まで続き、この年は男色が無期懲役になったそうだ。

 現代でも米国は各州毎に法律が異なっているが、19世紀までは男色を死罪とする刑法が多くの州であったという。それでも男色を処刑する法は多くの州で次第に廃止されていく。米国でホモセクシャルが犯罪でなくなったのは20世紀半ば以降であり、幾つかの州では処罰が続いていた。米国最高裁がテキサス州法を憲法違反とし、同性愛の刑法を廃したのが2003年という。尤も21世紀に至っても米国のホモフォビアが治まったとは思えない。

『ホモセクシャルの世界史』には全く意外な人物が数多く登場しており、中でもセシル・ローズ(1853-1902)が挙がっていたのには仰天させられた。帝国主義の権化で、しかもホモ・バッシングが酷い時代に生きていた。同世代のオスカー・ワイルドのような軟弱文士とは対極の人物が、ホモセクシャル視されていたとは想像もつかなかったのは私だけではないだろう。
だが、男らしさの極限というのも女を近づけず、男だけの仲間を好む、ホモセクシャルの世界ではないだろうか」と著者は述べている。軍隊というのは男だけの世界であるから、同性間の結束とともに友愛を強める組織にもなるのだ。

 地位と富を得たローズの夢は、大英帝国を統治する若者を育てることだった。彼は不充分にしか行けなかったオックスフォード大に強い憧れを抱いており、この名門大で優秀な若者をスカウトし、未来のリーダーを教育、彼らを世界に送り出そうとした。大英帝国時代の人物らしく、世界をどうするか、がローズの若い頃からの思想だった。世界は少数の知的エリートにより導かれるべき、と彼は考え、そのエリートこそアングロサクソンの白人男性でなければならなかった。
 ローズは男らしさを強調かつ重視しており、彼の定義する男らしさとは、勇気、義務感、友愛などだったそうだ。現代でもローズ奨学生制度があり、これは彼の死後に始まっている。男らしさが求められるのだから、当然ローズ奨学生は男性だった。女性が入れるようになったのは、1976年になってからという。

 1877年、ローズは「信仰告白」を書き、自分が大いなる神の意志を果たすこと、祖国のために自分を捧げることを誓っている。そのためには結婚という個人的幸福を犠牲にし、生涯独身を貫いた。その使命感が選ばれたエリートのための秘密結社のような夢を生む。また、彼は青い目で金髪の若者を自分の周りに集めるのを好んでいた。そして若者がオックスフォード出身ならば申し分ない。若者たちはラム(子羊)、アポストル(使徒)等と呼ばれていた。
 ローズと若者たちは非常に親密だったらしい。しかし、性的な要素は伝わっていない。ただ、頭脳明晰で容姿端麗の若者に囲まれていたならば、例え精神的であっても愛情がなかったはずはない。ローズはとにかく男だけのインナー・サークルを好み、仲間は独身でなければならず、結婚すると追放された。彼は毎日、何人もの若者の面接を行い、気に入ると雇ったという。やはり金髪碧眼の美男子が選ばれたそうだ。

 後年になると、ローズはある特定のお気に入りというよりも、美少年クラブのようなものをつくっていたらしい。彼の伝記にはその様子を次のように描かれていたとか。
「若者はローズを青春時代、さらには子供の世界に連れ戻した。彼はからかったり、からかわれたりするのが好きだった。喧嘩があり仲直りがあった。ローズは子供になったり、親になったりした」
その四に続く 

◆関連記事:「欧米社会は同性愛に寛容?

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2 コメント

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アラン・チューリング (巨大虎猫)
2014-06-15 21:59:32
イギリスでは、1950年代前半でも、同性愛を犯罪として扱っていました。有名な例が、数学者のアラン・チューリングです。彼は、同性愛者であることが発覚し、逮捕されました。それが元で追い詰められたチューリングは、リンゴに青酸化合物を塗って噛り付き、自殺したのでした。
それを考えると、1980年代に女装っぽい衣装のイギリスの歌手が大流行したのは、イギリスも変わった、ということなのでしょう。
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RE:アラン・チューリング (mugi)
2014-06-16 21:34:36
>巨大虎猫さん、

 アラン・チューリングという数学者のことは知りませんでした。wikiでみたら、当時の英国社会が伺えて興味深いです。
「1952年、同性愛の罪で逮捕。保護観察の身となり、ホルモン療法を受ける」「入獄を避けるため同性愛の性向を矯正するために、性欲を抑えると当時考えられていた女性ホルモン注射の投与を受け入れた」そうですが、2年後に自殺しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

 1970年代初め、イギリスでグラムロックが流行りましたね。男でも化粧し、アクセサリーを付けて派手な衣装でステージに出る歌手が登場したこと自体、時代が変わったのでしょう。
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